第二話「魔法使いの少年」
「――大丈夫ですか!」
俺が最初に聞いたのは高い少年のような声だった。
ゆっくり重い瞼を開くと、眩しい夕日の閃光が目に飛び込んできた。
俺はその痛いほどの光に目を細める。
その光に目が慣れてくると、目の前に十歳ほどの少年がしゃがんでいた。
金色の短い髪に、中性的な顔立ちの美少年だった。
淡いオレンジ色のローブに身を包み、景色に溶け込むようだった。
少年は心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込んでいた。
「ああ、大丈夫だ……」
俺はそう言い、一気に立ち上がろうとした。
しかし鋭い痛みが足に走り、上手く立つことができなかった。
その痛みは俺のぼやけた記憶をはっきりさせた。
「王国は? みんなはどうした!?」
冷静さを失い俺は、少年に向かってまくし立てるように叫んだ。
「見たところ、魔物に襲撃されたようですが、どうしたんですか?」
少年が心配そうな顔で質問をした。
俺は頭を押さえて、事の顛末を思い出していく。
「俺はハルト、ここの門番をしていた。そして国が襲われ、それを止めることができなかった……」
パニックを越えて落ち込んでいく俺は、少年に今までにあった事を全て話した。
「僕は旅の者で、ゲルニカと言います。この近くの遺跡に向かうところで、凄まじい魔力が放たれているのを感じ取り、元を探ったらここに着いたわけです」
そう名乗った少年は、呪文を呟き俺の額に手を当てる。
すると身体中の痛みが和らぎ、末端の痺れが消えていく。
「つまり、みんなはどこかにさらわれたということなのか!」
俺はゲルニカの話に衝撃を受け、強引に立とうとする。
しかし力の入らない身体は、勢いに任せて前に倒れる。
「まだ、傷は治っていませんよ。安静にしていてください」
ゲルニカの回復魔法のおかげで、全身の痛みはどんどん消えていく。
しかしその間も、急速に心配が募っていくのみだった。
「みんな、どうなっちまうんだ、俺の力不足のせいで……」
俺は地面を拳で殴り付け、力無い声で嘆く。
涙すら枯れ果て、自分が何をすればいいのかがわからない。
「ハルトさんのせいじゃ無いです。あれだけの魔物に一人で勝てる訳無いですよ。」
ゲルニカは俺を励ますためにそう言ったのだろう。
だがその言葉は、俺の胸を満たすと同時に抉っていった。
「とりあえず、どこに連れて行かれたか分からないとどうしようもありませんね。少し待ってくださいね」
そう言ってゲルニカは、赤い染料で地面に何か円形の物を描き、呪文を叫ぶ。
「――炎よ、この者の求める先を示し、輝け!」
ゲルニカのその言葉に反応し、染料は色を変えながら炎を上げた。
炎は渦を巻きながら、この島の形を映し出した。
その中の海岸線、ここよりさらに北にある部分が光を放った。
そしてその一点から黒く染まり、消えていってしまった。
「……さて消えはじめた点は、覚えられましたか?」
ゲルニカの言葉に、俺は口を開けたまま首を横に振って答えた。
正直、何を言いたいのかもよくわかっていなかった。
「まあ、急に言われても困りますよね。拐われた場所は、火山の先の鬼の角ですね」
ゲルニカは染料の袋をポケットの中にしまいながら言った。
鬼の角とは、この島に一つだけある崖の名前だった。
とりあえずは場所だけでもわかり、喜びが胸を満たす。
「じゃあ、そこに行けばみんなを助けられるんだな!」
俺は希望を取り戻し、いつものやる気を出す。
そんな俺を見て、ゲルニカはため息をついた。
「ええ、そういうことになりますね。だけど、今日はもう遅いですよ。準備を整えてからの方がいいかと」
彼はただただ冷静にそう言う。
他人とはいえ、何故ここまで冷静でいられるのか?
これはもはや一国の危機レベルなのだぞ!?
そう思うと、怒りが込み上げてくる。
「落ち着いている場合じゃねえだろ! 食料にでもされていたら大変だろうが!」
俺は再び冷静さを欠いて叫び、強引に出発しようとする。
しかしそんな俺の前に、ゲルニカが魔力を打ち込む。
するとそこから、巨大な火柱が上がる。
不意の出来事に俺はしりもちをついてしまった。
「焦らないでも、大丈夫ですよ。占いの結果、当分の間は命の心配は無いようですから」
ゲルニカが杖を振りかざしながら言う。
その炎の勢いを見て、本気で止めにかかっているのがわかった。
「……その占いは本当に信用できるのか?」
俺は不安を抑えきれずに言った。
信用しきっていた魔法に裏切られたばかりだったから。
そして俺自体が、それを証明することができないから。
「この周囲には死のオーラは漂っていません。食料の為の奴隷なら、その場で数人食べられていてもおかしくないですしね。」
ゲルニカがそれを予想していたかのように言う。
「そうか……なら大丈夫なのか……」
俺はほんの少し安心して、再びゆっくりと立ち上がる。
「ですが急いだ方がいいでしょうね。被害者の精神面を考えればね」
ゲルニカがそう言い、顎に手を当て何かを考えているようだ。
「かといって、どう助ければいいんだよ……」
俺も再び冷静になり、色々と募っていた悩みで頭を抱える。
多勢に無勢、あんなに強いやつが大量にいるのに勝てる気がしなかった。
「そうだ、この辺りの魔物は弱いですから、それで特訓していけば良いかと」
ゲルニカが閃いたように話す。
それで無勢をできるだけ補えというわけか。
「わかった。明日、この国を出発する」
誰に言うわけでもなく、俺は天に剣を掲げ宣言した。
どこまでできるかわからない、だが意地だった。
「ええ、成り行きですが、僕も手伝わせてもらいますよ」
ゲルニカは変わらず冷静な顔で話す。
俺の命の恩人、だからこそ心強かった。
「今日初めて会ったばかりなのに、そこまでしてくれてありがとうな」
俺は頭を下げて、心から感謝していた。
ゲルニカがいなければ、俺はたった一人でさ迷うことになっただろう。
それ以前に、ここで死んでいたかもしれない。
「とりあえず壁の中に入って、休みましょうか」
ゲルニカのその提案を聞いて、今度は強く賛同できた。
焦らずとも大丈夫、その言葉に勇気づけられたからだろう。
「そうだな。門の術はそのままみたいだから大丈夫か」
俺は門の周りの石を確認して言う。
陣は壊れていないようだ。
「上の結界も僕が直しますから、魔物は完全に入れないようになりますよ」
ゲルニカはそう言って、俺に向かってウインクした。
その動作だけを見ると、ただの子供にしか見えなかった。
「本当に何から何までしてもらってすまんな」
俺はゲルニカに向かい、深くお辞儀をしていた。
ゲルニカはそんな俺に対し、微笑みを返してくれた。
そして俺達は国内に入っていった。
門をくぐると、夕日に照らされた町が視界に広がる。
いつもと違い、町は不気味な静寂に包まれていた。
住宅が破壊された様子は無いが、そこには誰もいない。
強い悪寒に、俺は身を震わせた。
「僕は一応、宿屋で休みます。その時に、その剣を貸してくれないでしょうか? 少し調べたいことがあるので」
ゲルニカが俺に振り向き、首を傾げながら言った。
調べたいことが何かは知らないが、さすがに悪いことはしないだろう。
「ああ、それぐらいかまわないが、ほらよっ!」
俺は鞘に入った剣を軽く投げて渡す。
ゲルニカは回転しながら、それを上手くキャッチした。
「しかし、とても綺麗な剣ですね。ではまた明日、あそこの広場で落ち合いましょう」
ゲルニカが大通りの先の広場を指差して、俺に背を向けた。
そして剣を背中に背負い、宿屋のある方角に向かっていった。
「ふう、色々ありすぎて疲れたぜ……さて、家に帰るか」
ゲルニカを見送り、俺はそう呟き走りだした。
明日から忙しくなる、しっかり休もう、そう思った。