第二十八話「旅の始まり」
慎重に一歩踏み出し、船体に足をかける。
すると船は一気にぐいっと沈み込み、水面に波紋を描き出す。
「……どうやら、大丈夫そうね。このままゆっくりと乗り込んでくれればいいわ」
シグレはそう言って、操舵室の外壁へともたれ掛かる。
ライデンはそれを聞いて一声吠えると、さらに一歩踏み出していく。
「さて、王様からの書面は持った。お前達も忘れ物は無いな?」
俺が聞くと、ゲルニカとシグレは頼もしく頷いた。
その間も、ライデンは船体を揺らし続けている。
その揺れにも慣れたもんだと俺がため息を吐くと、ライデンは完全に乗り込んだようだ。
揺れはじょじょに収まっていき、波の動きだけに戻った。
「……じゃあ、出発しましょう。すぐ動き出すから、くつろいでてね!」
シグレはゆっくりと歩き出して、操舵室へと入っていった。
俺はそれを見届けると、船着き場を見渡した。
薄暗い明かりに照らされ人一人いない中、波の音が耳に響いてくる。
「ったく、一人の見送りも無しかよ。寂しいもんだなぁ……」
そう呟いて、目線を船の上へと移す。
「仕方ないですよ。ほとんど誰にも言ってなかったですし。それに、朝早いですからね……」
ゲルニカはそう言って、水平線の彼方を見る。
するとそこには、朝日が現れて登ってきているところだった。
「まあな……だけど、気持ちは切り替えていくぜ」
俺がそう言った時、船がガクンと揺れる。
そしてゆっくりと加速しながら、船着き場を離れていく。
当分帰れないだろうと切なさを覚えながら、俺は仮眠へと入っていった。
目を覚ました途端に襲い掛かってくる、強い不快感と吐き気。
「……そうだった、完全に油断していた」
俺は力なく呟き、甲板に寝転がって、ため息を吐いた。
どうやら慣れたとはいえ、長時間揺れに晒され続けるのは駄目なようだ。
後悔と共に、次は気をつけないといけないと認識させられる。
息を長く吐き出して、ゆっくりと起き上がる。
「……おーい、ゲルニカ。一体、今どれぐらいまで進んでるんだ?」
俺が気だるくそう聞くと、ゲルニカはライデンの陰からひょっこりと顔を出す。
「海ばかりでどの辺りかはわかりませんが、時間としては後二時間ぐらい、丁度半分ぐらいですかね。ライデンの調子も悪いので、早く到着して欲しいところですがね……」
ゲルニカは悲しそうに言い、ライデンの頭を撫でる。
ライデンは目をぐっと閉じて、苦しそうに息を上げていた。
「……そいつぁ、完全に船酔いだろうな。俺も苦しめられてるから、よくわかるぜ」
俺はライデンの背中をゆっくりと撫で、同情の気持ちをため息にして溢す。
そしてぼんやりと、海の上を眺めた。
すると遠い海の彼方に、天に向かって伸びる一本の光の柱が見えた。
「……うん、何だあれ?」
俺はその光へと指を差して、ぽかんと口を開ける。
その声を聞いたゲルニカは、俺の横に歩いてきて、すっと座り込んだ。
俺の指差す方向へ、目を細めてじっと眺める。
そして首を傾げて、少し唸り声を上げた。
「……えっと、あれは、ちょっと待ってくださいね……」
ゲルニカは鞄から地図を取り出し、甲板に広げると、定規をあてがって、光の柱と見合わせる。
そこから二、三回と確認した後、大きく首を傾げて手を止める。
「うーん、あそこに島は無いはずですし、何かはわかりませんねぇ……今度時間がある時にでも、調べておきましょうかね」
ゲルニカは地図を畳みながら、ため息を吐いた。
ゲルニカにもわからないものがあるのかと意外に思いながら、俺はもう一度光を見る。
すると光の柱はじょじょに細くなっていき、最後には消えてしまった。
「……消えちまったか。まあ、あそこに島があるわけじゃねえし、時限獣の心配は無いのかねぇ」
俺は勝手にそう断定して、ライデンの背中にもたれ掛かる。
ほのかに温かい体温が、潮風に冷やされた身体へと染み渡ってくる。
「ゲルニカー、到着したら起こしてくれよ……」
そう言って俺は目をゆっくりと閉じていく。
「はい、わかりました。それでは、お休みなさい!」
ゲルニカは元気に返事をして、遠のいていく足音を立てる。
俺は安心して背伸びをすると、また微睡みの中へと沈んでいった。
ガコンと響く大きな揺れに、俺の眠気は一気に消し飛んだ。
ゆっくりと目を開いてみると、ゲルニカが俺の顔を覗き込んでいた。
「……ハルトさん、どうやら起きたようですね。もう到着しましたよ!」
ゲルニカにそう言われて、俺は頭を押さえながら立ち上がる。
体調はだいぶ楽になってきたようで、吐き気も既にしなくなっていた。
安心してため息を吐き出して、周りを見渡す。
どうやら、船着き場の中のようで、少し弱めの明かりが周囲を照らしていた。
そこには旅行に来たのか、大きめの船から、ゾロゾロと人が出てきていた。
俺がひょいと桟橋に降りると、そこにはシグレが桟橋へと船をくくり付けていた。
足元の安定を無意識に確認して、ゲルニカの方を見る。
「ライデン? もう到着したので、起きてくださーい!」
ゲルニカはそう呼び掛けながら、ライデンの頬をぺちぺちと叩いていた。
するとライデンは急に目をくわっと開き、ふらりと立ち上がる。
そしてビクリと身体を震わせて、桟橋へと勢いよく飛び移った。
その衝撃でぐらぐらと揺れる船に、ゲルニカは倒れ込んで尻餅を突いた。
それを見て、ライデンはさらにビクビクと震え上がる。
ゲルニカはゆっくりと立ち上がり、桟橋へと軽く飛び移る。
そこからてくてくと、ライデンへ近づいていく。
怯えた様子のライデンだったが、ゲルニカはそんなライデンの頭に手を置く。
そして優しく撫でると、目を細めて笑顔を作る。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ライデンが船酔いする可能性を考えず、上手く配慮することができなかった僕も悪いんですから……」
ゲルニカが申し訳なさそうに言うと、ライデンはクゥーンと鳴いた。
「……えっ、あれライデンちゃんじゃないの!?」
無邪気な女の子の声が聞こえてきて、こちらへ駆けてくる子供二人。
「本当だぁ! おい、ライデン! こんなところに何でいるんだよ?」
少年が、ライデンの背中に登ろうとしながらそう叫ぶ。
「ねえねえ、撫でてもいいでしょ?」
少女はライデンの頭を、雑に撫で回る。
一方のライデンは、キョロキョロと視線を動かして、困惑の様子を見せる。
そしてこちらを見つめて、救いを求めるように力無く鳴いた。
「……おいおい、お二人さん。ライデンが困っているから、ちょっとやめてやってくれないか?」
俺が遠慮がちに言うと、子供達はこちらを見る。
じっと俺の顔を見つめて数秒、驚いたように目を見開く。
「あっ、例のハルトだぁ!」
二人は声を揃えて、俺の顔を指差した。
それと同時に、どたどたと走ってくる女性。
「こらっ、何やってるよのぉ!」
女性は走り抜けるように子供達を捕らえて、ライデンから引き剥がす。
そしてこちらを向くと、ぐっと頭を下げる。
「うちの子供が迷惑をかけて、すみません!」
その横では、子供達が頭を押さえつけられて、しぶしぶといった様子で頭を下げていた。
するとゲルニカが一歩前に出て、軽く首を振った。
「いえいえ、この程度慣れているので大丈夫ですよ。ねっ、ライデンにハルトさん?」
ゲルニカが軽くそう言って、こちらに顔を向ける。
急に話を振られて驚いていると、女性は顔を起こして驚いた表情を見せる。
「えっ、ハルトさん……!? それに、その顔はゲルニカさん! 新聞で見ましたよ! 私、ファンなんですぅ!」
女性は随分と嬉しそうに言って、俺の手を両手で包み込む。
そして俺の腕をブンブンと上下させて、今度はゲルニカの手へと掴みかかる。
自分の国でも、二ヶ月ぐらい前まではよくあった状態。
どうせ話題に乗っかって、ファンだと言ってるだけなのだろうが。
今はもうそんなことないと思っていたが、他の所に行くとまだ残っているようだ。
俺がぎこちなく笑っていると、ゲルニカはニコニコと笑いながら口を開く。
「それは嬉しいですね、ありがとうございます! ところで、この辺りにいい馬車の店はありませんかね? 丁度、この魔獣、ライデンに合うぐらいのものが欲しいんですが……」
ゲルニカは笑顔を保ったまま、なめらかに手を振り払うと、ライデンを指差した。
すると女性はライデンを見てから、ゆっくりと首を傾げる。
「うーん……ここには旅行で来ているだけだから、あまり詳しくはないんだけどねぇ……前にここに来た時に、どこかで見たような……確か、大通りにある、不気味な道具屋の中だったかなぁ……」
女性がそう言っていると、子供達が袖を引っ張る。
「ねぇ母さん、みんな行っちゃうよ……?」
そう言いながら、少し遠くを歩いていってる行列へと視線を向ける。
すると女性の顔に、焦りの色が見えてくる。
「……あっ、すみません。私達はそろそろ行かないといけないので、失礼します!」
そう早口で言って、女性は子供達を引っ張りながら、行列へと走っていった。
そしてその最後尾に着いて、船着き場から出ていった。
するとそれを見届けたゲルニカは、気だるそうにため息を溢す。
そこから俺の顔を見て、にっこりと笑う。
「……さて、欲しかった情報は手早く手に入れられました。では次は、馬車を買いに行きましょうか!」
ゲルニカはそう言って、懐から財布を取り出す。
その笑顔に底知れぬ闇を感じながら、俺は頷いた。
シグレは船の停泊許可を取りに、船着き場に留まった。
俺とゲルニカは、先に大通りへと繰り出していた。
その後ろには、ライデンが申し訳なさそうにとぼとぼと歩いていた。
「ライデン、ここはハピュリス共和国の領内。つまりはこのパスポートの効果圏内です。そんなにビクビクしなくても大丈夫ですよ」
ゲルニカは取り出したパスポートを見せつけるように、二本の指に挟んでちらつかせる。
だがライデンの様子が晴れる様子はなかった。
おそらく、道の端で険しい顔をしている人、まだ魔物を完全に信用できていない人、そのことについて心配しているのだろう。
一応許可はされているとはいえ、今まで迫害されていた魔物としての考えなのだろう。
俺はゲルニカの肩を叩き、その人々の方を指差した。
そちらを見てはっと口を開いたゲルニカは、軽く頷いた。
そして歩きながら、ライデンの方を向いた。
「そういうことだったんですね。すみません、気づいてあげられなくて……ライデンは悪い魔物なんかじゃありません。それは僕が一番知っています。いざという時は、僕が言ってあげますよ。たとえ英雄の名を使ってでもね!」
ゲルニカは元気に、それでいて自信満々に言い、胸をドンと叩く。
するとライデンの顔が、少し晴れたように見えた。
そうしていると、前方に紫色の看板が目に飛び込んでくる。
そこには赤黒い文字で、道具屋と書かれていた。
「不気味な道具屋……見た目的には、間違いなくここだよな……」
俺は立ち止まって、その店の様子を見る。
蔦の張った壁に、花壇には見たこともない刺々しい花が咲いていた。
カーテンは開いているのだが、薄暗い店内を窺うことはできなかった。
「……ここまで印象的な見た目だと、おそらく忘れられないでしょうしね」
ゲルニカは頬を掻きながら呟く。
だが俺の身体は、想像以上の不気味さに、足を動かせずにいた。
するとゲルニカが一歩前に出て、ドアノブに手を掛ける。
「ライデンはここで、できるだけ道の端に寄って待っててください。ハルトさん、では入りましょうか」
ゲルニカに声を掛けられ、俺はぎこちない返事を返す。
そしてゲルニカが扉を開くとともに、中へ入っていった。
カランとベルが鳴り、棚が並んでいるのが目に映る。
そこには、金づちやナイフ等の道具がずらっと並んでいた。
その角に、一台の荷車がひっそりと置かれていた。
そうしているとさらに暗い店の奥から、髭を生やした男性が出てくる。
「……お客さんか、いらっしゃい。フロスの道具店に何の用だい?」
フロスと名乗る男性は髭を撫でながら、俺達の顔を覗き込んでくる。
するとゲルニカは店内を見渡して、荷車に目を止める。
「すみません、この店で馬車を見たという話を聞いたんですが、置いてないのでしょうか?」
ゲルニカはそう聞いて、軽く首を傾げる。
それを聞いたフロスは、髭を撫でる手を止めて、目を細める。
「馬車が欲しいとは、中々の物好きだな。確かに、うちには馬車がある。一体どれくらいの物が欲しいんだ?」
フロスは手を下ろして、ゲルニカの前へと歩いていく。
「そうですね……この店の前に居る、魔獣に合ったサイズが良いですかね」
ゲルニカはそう言って、窓を指差した。
フロスはそこから外を覗いて、少し唸った後に頷いた。
「ほお、中々な筋肉を持った魔獣だな。こいつは相当な速力があると見た。この魔獣に合った馬車は……最新のやつが丁度合うだろうかね」
フロスはそう言って壁へと近付いてゆき、そこにあったレバーの一本を下ろす。
するとギコギコと音を立てながら、棚が横へ移動していく。
さらに、そうして空いた空間に、屋根の一部が切り取られたように降りてくる。
その屋根の上には、綺麗な馬車が一台乗っかっていた。
ゲルニカはその馬車に歩み寄り、じっと眺める。
「どうだ、今年作ったばかりの最新型だ。まあ、五年に一台しか作らないし、馬車なんて買ってくれる奴なんて、ほとんどいねえだろうからな。それゆえに、少々高くつくぜ?」
フロスは不敵に笑って、そろばんをパチパチと動かしはじめる。
その様子に、ゲルニカは同じく不敵な笑みで返す。
「そうですね……馬車となると、相場は四百万ディル程度でしたかね? そこまで高いのは、ちょっと辛いですかね……なので、交換条件として、魔獣の情報なのはどうでしょうか?」
ゲルニカはそう提案すると、フロスは目を大きく開いた。
そして興味深そうに、身体を前のめりにさせる。
「確かに、それは私にとって、有益な情報だろうな。だが、流石に一種類だけの情報では駄目だぞ?」
フロスがそう笑いながら言うと、ゲルニカは頷いた。
「ええ、僕の知っている魔獣、馬車を使えそうなものは全て教えましょう」
そう言って、首を傾げて笑った。
「……これで、僕の知っている情報は全部ですかね」
ゲルニカはそう言ったのは、話を始めてから大体一時間程経った頃だった。
「結構な情報量だった、これからの馬車作りの参考にさせて貰うぞ。とりあえず、半額にさらに減らして、百万ディルってところだな」
フロスは机の上にメモ帳を置き、頷きながらそう言った。
その時、後ろの扉が開くベルの音が鳴った。
「……失礼します! ハルトさん、ゲルニカさん、初めての停泊許可だったので、遅くなってしまったわ」
そこにはシグレが膝に手を突いて、息を切らせたいた。
「おお、いらっしゃい……って、お前、シグレじゃないか!?」
フロスは落ち着いて挨拶をしようとしたが、目を見開いて叫ぶ。
それを聞いてシグレはフロスの顔を見て、口をあんぐりと開ける。
「……えっ、フロスおじさん!? 久しぶり! 確か、十年ぶりだよね!」
シグレは驚いたように言うと、嬉しそうに笑った。
そして馬車を避けながら、駆け寄っていく。
「お前達、まさかシグレと知り合いだったのか……それに、ハルトにゲルニカとは、あの英雄じゃないか! これは、色々と面白いことになったなぁ……」
そう呆れながら笑って、そろばんを弾きはじめる。
そして勢いよく弾くと、こちらへと見せつける。
「よし、五十万ディルでどうだ! シグレの知り合いってことで、特別サービスだ!」
そう言って、親指を立てる。
「いいんですか!? ありがとうございます!」
ゲルニカが嬉しそうに笑い、財布の中から十万ディル硬貨を五枚取り出す。
そしてそれをフロスの手へと渡すと、ガッツポーズをした。
それを見たフロスが、馬車の側面に触れる。
すると馬車がぐんと縮んでいき、十センチ位の四角い箱になった。
「よし、これでこの馬車はお前のものだ! 魔法を組み込んであるから、念じれば拡大縮小ができるぞ!」
そう言いながら、その箱をゲルニカへと手渡す。
「さらに、こいつをプレゼントだ! 確かハルトは魔法が使えないとか……」
フロスは棚の中を漁り、数個のカラフルな石を拾い上げる。
そしてそれを俺へと、一気に渡してくる。
その話はまさかここまで広がっているのかと驚いていると、フロスは話を続ける。
「これは魔混石といってな、それぞれ様々な種類の魔力が込められている! 念じれば、その属性に対応した魔法が発動するぞ!」
そう自信満々に説明すると、フロスはウインクをする。
「ありがとね、フロスおじさん!」
シグレは可愛らしく首を傾げて、にっこりと笑った。
「おうよ、シグレのためならこれぐらい、どうってこと無いさ!」
フロスはドンと胸を叩き、歯を見せて笑う。
その顔は最後まで、自信溢れるものだった。




