第二十五話「状況の確認」
船着き場には大小の漁船が並び、波に揺られて上下していた。
それらはみな年季の入った、傷だらけの姿をしていた。
その中に、明らかに綺麗な塗装のされた、白い船体があった。
よく見ると塗装は最近されたようだが、所々その下に存在するであろう傷跡が見える。
シグレはその前で足を止め、縁を優しくなでる。
「これが私の船であり、祖父の代から継がれてきた、名前はヴェールよ。少々ぼろくなっているけど、まだまだ現役ね」
シグレはそう言って笑い、船の横へと回り込む。
そして縁を掴むと、勢いよくひょいと乗り込んだ。
俺とゲルニカもその後に続いて、船へと飛び乗った。
しかし俺は、グラグラと揺れる不安定な足場に、バランスを崩して膝をついてしまう。
苦笑いを浮かべて俯く俺の顔を、ゲルニカは不思議そうに覗き込む。
「あれ、大丈夫ですかハルトさん? まさかこういう船に乗るのって初めてだったりします?」
無邪気に笑い、軽く跳び跳ねているゲルニカ。
そのたびに船は揺れ、俺の立ち上がるための隙を奪っていく。
「ああそうだ、初めてだからさ……頼むから、その跳び跳ねるのをやめてくれよ」
俺は笑えない状況にため息を吐くと、ゲルニカの服の袖をがっしりと掴んだ。
それでもゲルニカは、はしゃぐのをやめる気はないようだった。
「じゃあ、すぐに出航するから、荷物をその辺にでも置いといて、適当にくつろいでてね!」
微笑ましくこちらを見ていたシグレは、そう言って操舵室へと入っていった。
そうはいっても、ゲルニカがこの様子だと、俺にくつろぐ余地が無いだろうに。
無邪気の中にある狂気を感じつつ、俺は頭を押さえた。
俺は甲板の上で、大の字になって寝転んでいた。
こうしていると、込み上げてくる倦怠感が少しましに感じる。
これが船酔いなのかと実感し、その原因の一つであるゲルニカを横目で睨む。
今はもうはしゃぐのをやめ、船の縁にもたれかかって海を眺めているようだった。
その隙を見て俺は、だるい身体を起こして、周囲を見渡した。
一面真っ青な海、今まで味わったことのない感覚。
確かに綺麗だとは思うが、何だか孤独を感じさせるようにも思える。
「あっハルトさん、起きたんですね! どうやら船酔いしていたようですが、大丈夫ですか?」
はっとこちらに気づいたゲルニカが、立ち上がってこちらへと寄ろうとする。
ぐらりと少し揺れた船体に、俺は顔を引きつらせた。
俺は思わず甲板をバンと叩き、ゲルニカの動きを止まらせる。
息を荒げながら、ゆっくりとゲルニカの顔を見上げる。
「おい待て……俺に近寄るんじゃねえ! 船が揺れるんだよ!」
怒号を飛ばすも、叩いた衝撃で船は揺れを強める。
再び込み上げてきた吐き気に、勢いよく縁の外へと身を乗り出す。
ギリギリ出なかったと俺が深呼吸している時、汽笛の音が響く。
「ハルトさん、ゲルニカさん、もうすぐ到着するから、降りる準備をよろしくね」
シグレの声に、俺は胸を撫で下ろして進行方向を見る。
その先には、いつの間にか大陸が広がっていた。
大陸から伸びる一本の桟橋に向かい、船は速度を落としながら近寄る。
そして船は慣れた動きで、ぴったりと桟橋の横へ止まった。
するとガクンと一際大きい揺れを起こして、立ち上がろうとしていた俺の出鼻を挫く。
「……到着しましたね。では、上陸しましょうか!」
ゲルニカは立ち上がると、船体を揺らしながら飛び降りる。
俺も早く船から降りたい一心で、おぼつかない足を必死に動かした。
その瞬間、肌へと伝わってきていた風が、ぴたりと止んだ。
凄まじい違和感を覚えるとともに、周りをぐるりと見渡す。
見渡す範囲では、特におかしいと思えるところはない。
船は上下に揺れて、俺の手も普通に動かせている。
ふと横を見てみると、ゲルニカの顔色が目に見えて青ざめているのがわかった。
風が全く吹いていないことに、不快感があるのはわかる。
だがそれだけで、顔色が悪くなるほどのものになり得るとは思えなかった。
「おいゲルニカ、調子が悪そうだが、大丈夫か?」
俺がそう聞くと、ゲルニカは少し震えながらも首を横に振った。
そして目をぐっと閉じて息を吸い込むと、一気に吐き出した。
「この程度ならば、身体の中にある魔力で何とかなります、大丈夫……」
辛そうに目を細めて、それでも笑顔を作ろうとする。
俺はそんなゲルニカに、思わずため息を溢した。
「わかった、だけど無理だけはするなよ。いざという時は、途中で休めばいいんだからさ」
俺はゲルニカの背中を軽くさすり、後ろを見る。
シグレは縄で船と桟橋を繋ぎ終えて、こちらに歩み寄ってくるところだった。
それを確認すると、俺はゲルニカの様子を窺いながら、歩きはじめた。
「この先に街があるわ。この場ではいまいち時間が止まってるかはわかりにくいけど、そこまで行けばおそらく実感できるはず……」
シグレは恐怖を含んだ声で話し、前方へと指を差す。
岩石の多く転がる隙間から、建物の姿がちらほらと見える。
話に聞いていた通り、岩を切り出して作った家。
それは歩くたびに徐々に近付いて、大きくなっていく。
生活感の窺える花壇や、水路が目の端に映り込む。
そこまでならば、別に何も感じることはなかった。
だがその水面には、落ち葉が浮いたまま、ぴたりと静止していた。
「これが、時間が止まっているっていうことなのか……?」
実感が滲み出て、汗となって頬に現れるのがわかる。
息を吸い込んで唾を飲み込むと、再び道を進もうと前を見る。
するといくつかの人影が、少し遠くに見えた。
歩いている人に、家の前で話をしている人。
ただ全員に一致していることは、微塵すら身動きをとっていないことだった。
日常が切り取られた、一枚の絵のような光景。
「……ハルトさん、もう少し進みましょう。後は聖域を、確認するだけっ」
ゲルニカは腰を曲げて、息を上げていた。
そして辛そうに顔を歪め、頬の冷や汗を拭う。
無理矢理起き上がろうとするも、前のめりに崩れる。
「おい大丈夫か!? まったく、ゲルニカは無理ばっかするんだからさ……とりあえず先に船に戻っとくか?」
俺はゲルニカの真横でしゃがみこむと、その腕を掴んで肩へ回した。
するとゲルニカは首を横に振り、ポケットから紙に包まれた飴玉を取り出す。
そして片手で器用に包み紙をめくると、飴玉を口へと放り込んだ。
「……やはり、無理しすぎましたね。ですがこの飴があれば、一先ずは大丈夫です。聖域を確認すれば、この予想は確信へと変わるはずです」
ゲルニカはそう言って笑い、俺の肩を借りて立ち上がる。
顔色は心なしかだいぶ楽になっているように見えた。
俺はその言葉を信じ、ゲルニカを支えるように進んでいく。
「なあシグレ、この大陸の聖域はどこにあるんだ?」
俺は顔を後ろに向けて、そう尋ねた。
聖域とは島や大陸ごとに一つずつある、神聖な場所とされているものだ。
まあ、最近は憩いの場として使われたりもしているらしいが。
「聖域ねぇ、確かもうすぐ先の広場がそうだったかしらね? ごめんなさいね、一応持ち合わせている程度の知識だから、うろ覚えで……」
シグレは申し訳なさそうに、顔を伏せて頬を掻いている。
「いえ、情報が無い方が辛いですから、それだけでもありがたいですよ!」
ゲルニカはそう言って、指をくるくる回して微笑んだ。
そうしていると広場に到着したようで、円形に開けた空間に噴水があった。
「……さあ着いたがゲルニカ、どうだ? 何か新たにわかったことでもあるか?」
俺が軽く問いかけると、ゲルニカは俺の肩からすっと抜ける。
そして噴水へとたとたと近づいて、その表面に触れる。
少しすると一つ頷いて、その縁へと座りこんだ。
「はい、やっぱり原因は予想通りですね。まあ、完全な究明とまではいかないんですがね」
ゲルニカは笑いながら、確信したかのように大きく頷いた。
「さて、この事件の原因を説明しましょうか。まずは、この大陸に起こっている異変の正体からですかね……」
ゲルニカはそう言うと、持ってきていた鞄の中を漁りはじめる。
「そんな、正体っていったら、時間が止まってしまってるんだろ?」
俺は食い気味に言うと、ゲルニカはそれを予想していたかのような早さで頷き返してきた。
「まあ、言い方によってはそうなんでしょうがね。根本的な正体を言うと、この大陸に満ちているはずの魔力、その供給が止まってしまっているんです」
ゲルニカは手に取った本をパラパラとめくり、泉の描かれたページを見せてくる。
確かこれは、アリヘウスの森、そこで野菜を採っていた時に見た気がする。
俺がはっと言うと、ゲルニカは軽く頷いて空を見上げた。
「ええそうです。これはアリヘウスの森にあった、エルクス大陸の魔力を司っている場所です。こういう聖域が、島や大陸ごとに一つあるのは知っていると思いますが、本質は魔力を吐き出して、その場所を満たす根本であることなんです」
ゲルニカはそう言い切ってため息を吐き、顔を下げた。
そして暗い顔で続ける。
「この噴水、これがラングリラの魔力を満たしている聖域で間違いないようです。ですが本来ならば、この程度の装飾を施したところで、魔力の供給に支障が出たりはしなかったはずです」
ゲルニカはそう言うと首を傾げて、思い当たる節を探すように目を左右に動かしている。
「……あの、あくまで知っている情報から考えたんだけど、もしかして前に言っていた、時限獣が時間を止める場所っていうのは、聖域のことじゃないのかしら?」
シグレが遠慮気味に、本を覗き込んでそう言った。
するとゲルニカは目を見開き、鞄の中を必死に漁る。
そして目を見開いて、一冊の本に掴みかかる。
それをバラバラと乱雑にめくっていくと、あるページで止めてそこの絵を満遍なく見渡す。
五秒ほどかけてから、次のページに移りまた見渡した。
それが終わると、一つため息を吐いて目を細め、口を開く。
「この絵には、泉が描かれています。確証は持てませんが、複数の場面に渡って描かれているところから、おそらく聖域で間違いないでしょうかね。さて、それでは早く帰って対策を打たなければ……」
ゲルニカはそう言って、すくっと立ち上がる。
しかしすぐにバランスを崩して、倒れ込みそうになる。
俺はそれを見て、肩を掴んで支える。
「ほら、また無理するんだからよ……じゃあシグレ、帰るかね」
俺が振り向いて言うと、シグレは振り返って歩き出そうとする。
だが、すぐにその足を止めて、こちらに顔だけを向けた。
「あの、一度家に寄ってもいいかしら? 回収しておきたいものがあるんだけれど……」
シグレが悲しそうな顔で、そう聞いてくる。
俺はゲルニカと顔を見合わせて、少し唸った。
するとゲルニカが大きく頷いて、親指を立てて腕を突き出す。
「ええ、そのぐらいなら、この飴もありますし大丈夫ですよ。たとえ非常時、僕が倒れてしまっても、ハルトさんがいつの間にか運んでくれているでしょうしね」
ゲルニカは笑って言い、俺もそれに合わせて頷いた。
シグレの家は街から少し離れた場所、高台にぽつんと立っていた。
それは豪邸とまではいかずとも、普通の家より大きかった。
シグレは鍵を差し込んで回すが、そこでぴたりと止まる。
「鍵、開いてる……」
そうぼそりと呟いて、扉を勢いよく開け放った。
室内は街と同じく、しんと静まり返っていた。
シグレは家の中を見渡して、玄関横に立て掛けてあった刀を取る。
そして刀をぎゅっと抱き締めると、腰のベルトに掛ける。
シグレはそこから室内へと足を進めていく。
俺とゲルニカは、その様子を玄関から見ていた。
するとシグレは机の前で立ち止まり、机の上にあった一枚の紙を手に取った。
それに書かれている内容を確認すると、ポケットの中へと押し込んで、玄関へとゆっくり戻ってくる。
目を閉じていたシグレは、覚悟を決めたようにその目を開き、扉を閉める。
「おじいちゃん、どこかに出掛けてたみたいね。じゃあ鍵は開けたままにしとかないと……」
シグレは扉がしっかりと閉じたのを確認して、こちらに向きなおる。
「この刀は、私の覚悟の証、剣士としての証よ。これがあれば、ちょっとだけ勇気を貰えるの」
シグレはそう言って微笑むと、刀を少しだけ抜いてみせる。
刃はギラリと鋭く光り、目に残像を残す。
そしてカチャリと音を立てて、その刃を鞘へと収めた。
「さあ、行きましょう。この現状を、早く報告しないとね」
シグレは笑顔でそう言うと、ゆっくりと歩き出した。
その顔は、覚悟と一緒に、切なさを感じさせるものだった。
俺はその切ない顔に何かを感じつつも、後ろへと振り返った。
「ああ、そうだな。さっさと終わらせようぜ」
顔だけ向けてそう言うと、俺はすたすたと歩きはじめた。




