第二十四話「事件の始まり」
「さて、今日もお疲れさまだ! とりあえず、明日から三日間は休みだが、ゆっくり休むなりしてくつろいでくること、いいな!」
店の片付けを終わらせて出ていこうとする皆に向かって叫び、俺もエプロンを脱いだ。
新装開店から二ヶ月が経ったが、最初に比べたら皆の効率は見違えるほどに上がっているように思える。
仕事に慣れてきたというのもあると思うが、何よりも客足が減ったというのもあるだろう。
今残っているのは、うちの店を気に入ってくれた固定客と、国外から来ている人の二通りだけだと思う。
そんなことを考えていると憂鬱になって、思わずため息が溢れてしまう。
とりあえず店の戸締まりを終わらせて、帰路につこうとすると後ろから気配を感じる。
今まで走ってきたかのような荒い息遣い、そして息を飲む音。
「すみません、あなたがハルトさんですか?」
そして掛けられる低めな女の子の声、俺はその方へと顔を向けた。
目の前に立っていたのは、俺より少し年下ぐらいの少女。
肩までかかる綺麗に輝く黒髪に、赤いバンダナを巻いている。
それと同じく赤を基調とした服装に身を包み、首には少し汚れた懐中時計を下げていた。
その顔からは焦りの色と、疲れが色濃く窺えた。
「ああ、確かに俺がハルトで間違いない。どうやら随分と焦っているようだが、一体何の用なんだ?」
俺は少女の顔色を伺い、心配で汗をかきながら問い掛ける。
すると少女は込み上げるものを吐き出すかのように、口を開いた。
「私はここから南東にある大陸ラングリラに住んでいるシグレといいます……お願いします私の街を、いえラングリラを助けてください!」
少女はそう叫びながら、必死に頭を下げた。
わけがわからなくて俺は唖然としつつも、今できる最善を考え出す。
「とりあえず、立ち話ってのもなんだし、俺の家で話してくれるかな? すぐそこだし、お茶も出せるけど……」
俺は頬を掻きながら、大通りの先に見える家を指差す。
するとシグレは頭を上げ、ゆっくりと頷いた。
「よし、じゃあ行こうか……」
俺は後ろを向き、大通りをゆっくりと歩き出した。
扉を開き、シグレの背中を押して中に入れる。
するとゲルニカが部屋の角から顔を出して、にっこりと笑いかけてくる。
「おかえりなさいハルトさん! あれ、お客さんですか?」
ゲルニカは首を傾げて、そこから玄関に出てくる。
「おう、そうだ。とりあえずシグレさんは先にリビングに行って座っててくれよ」
俺はそう言って廊下の途中で曲がり、洗面所に入る。
そして手を洗っていると、後ろから足音が聞こえる。
さて俺もさっさと行かないとね……
「ほら紅茶だ。さてシグレさん、何が何だかわからないんだが、説明してくれるかな? 堅苦しい言葉はあまり聞き慣れてないんで、敬語じゃなくていいぜ」
俺はソファーに座るシグレに向かい、紅茶を差し出した。
そして自分もその向かい側に座って、手帳を机の上に置いて腕を組む。
俺の横には、ゲルニカがちょこんと座ってきた。
うつ向き加減のシグレは、紅茶を少し飲んでため息を吐いた。
「……どう説明すればいいかわからないんだけど、私が自分の船で旅行していた五日間の間で、ラングリラの時間が止まってしまったんです」
シグレはゆっくりと言い、俺は衝撃と困惑に包まれる。
街を助けてほしいとなると、魔物の群れに襲われた辺りだと踏んでいたが、まさかこんなことになっているとは。
規模が飛躍しすぎて、本当かすらも信じられなくなってくる。
俺が無言で黙り込んでいると、ゲルニカが首を少し傾げて口を開く。
「えっと、その時間が止まってしまっているっていうのは、あの時限獣の伝説で言われているみたいなことですか……?」
ゲルニカは手元に用意していた本の山を漁り、赤い表紙の古ぼけたものを取る。
そして机の上でぱらぱらとめくりはじめ、あるページでぴたりと止める。
見開きに描かれていたのは、巨大な腕で人々を薙ぐ一体の巨大な魔獣と、その下で逃げ惑う人々だった。
さらに次のページをめくると、そこにも魔獣が人々を蹂躙している絵が描かれていた。
「これが時限獣の姿とされているものです。とは言っても、これはアクシア王国ができるよりさらに以前、五千年以上前の遺跡に壁画や文章として伝わっていたものなので、本当の姿や真偽については不明ですがね。今伝わっているお話は、それを子供にもわかりやすくしたものです」
ゲルニカはそう言うと次のページへとめくり、咳払いをして話しはじめる。
「その内容というのも、突如現れた魔獣が周囲の時間を停止させていくというものです。目的や方法は書かれていないため不明とされています。そして最後には、五人の剣士により倒されるというものでした」
俺はそれを聞いて組んでいた腕を解き、顎に手を当てながら軽く頷いた。
「へえ、五人の剣士にやられる程度だったのかよ。大層なことを仕出かしてるっていうのに、案外弱いものなんだな。これならたとえ同等の奴が相手でも、俺達だけで十分に戦えるんじゃないかね?」
へらへらと笑いながらウインクをする俺に、安心したように微笑んだシグレ。
しかしゲルニカは余計に真剣な顔に変わり、ため息を吐いた。
「いえ、そもそも時限獣のせいと決まったわけではありませんが、簡単にはいきそうにないですよ。その時もある程度出現場所を予測できたからこそ、戦いに漕ぎ着けることができたらしいですし。何せその五人の剣士っていうのも、現代まで残る三大剣術の始祖とされている人達ですからね……」
長話の後にゲルニカが放った最後の一言に、俺の興味が一気に惹き付けられる。
そして身を机に乗り出しながら、その本を覗き込んだ。
「それは本当か!? 俺のご先祖様が伝説にまでなってたとは驚いたぜ! しかし五人の剣士なのに三大剣術って、この戦いとかで死んでしまったとか?」
俺が無邪気にそう聞くと、ゲルニカは思い出したとでもいう様子で目を開く。
「ああそういえば、今は三大剣術になってしまってますが、かつては五大剣術として、世界に知れ渡っていたようですねぇ。まあそれらがあった時代に生きていたわけではないので、僕も詳しくは知らないんですがね……」
ゲルニカは苦笑いして、頬を少し掻いた。
するとシグレは顔を伏せて、少し笑ったように見えた。
「……その滅んでしまった二つの剣術のうちの一つ、光宝流。それは何かを肯定する剣術、とでも説明すればいいかしらね。まあ現存する剣術とは、色々と根本から違うわ」
シグレの急の発言に、俺は口を開けてぽかんとしていた。
興味のあることに対しては詳しいつもりだったが、まさかここまで知識を先行されているとは。
「へぇ……そんな能力があるとは、僕もまだまだ知識不足ですね。今度その文献とかを紹介してくれませんか?」
ゲルニカも興味があるようで、にっこりと笑いながら首を傾げる。
するとシグレは大きく頷く。
「ええ、いつか見せる時が来ると思うから、その時にね……」
そしてそう言って、ガッツポーズを見せてきた。
「まあとりあえず、その時限獣の能力とか詳しくわからないのか? それがわかれば状況と照らし合わせて確定できるかもしれないし。それに非常時の対策も可能になるかとな。名前からすると時間を弄ったりするのだろうが」
「……正解です。時間を止める能力以外にも、移動は空間に歪みを作って、海の上だろうと歩けたみたいですね。ですが後は大陸ごとの決まった場所で時間を止めていたことしか、詳細なことは伝わっていません」
ゲルニカは本を閉じて、机の上に置くとため息を吐いた。
俺はそれを聞いて一口紅茶を飲み、ソファに深く腰掛ける。
「さて、少し長くなってしまったな。この時限獣について、何か思い当たることや、変わったこととかはないかな?」
俺が問いかけると、シグレは少し考えこんだように俯き、首を横に振った。
「いえ、思い当たる節はないわね。その時間が止まるタイミングに居合わせたわけじゃないから……」
暗い表情で言うシグレに、俺は少し喉を唸らせる。
「いや、それは仕方ないですよ。むしろその話が広まらなければ、さらに状況は悪化したでしょうしね」
ゲルニカは笑顔を作って、優しく頷いた。
「うーん、だけど情報が全くといっていいほどに無いのは辛いな。とりあえず今日は遅いし、明日一回ラングリラに行ってみるかね。あ、今日は泊まるとなると、うちは部屋がもう無いな。金は出すから、どこか宿に泊まっといてもらえるかな?」
俺は立ち上がって棚の上に置いてあった財布を持つと、その中から小銭を掴む。
それを手のひらの上で動かして足りることを確認すると、シグレの前へ差し出す。
「いえいえ、受け取るわけにはいかないわ! お金に余裕はあるし、これで足りるから大丈夫よ!」
必死に首を振り、俺の拳を押し返してくるシグレ。
そして急いで立ち上がると、家から出ようと歩き出す。
「では早く宿を探さないとねっ! ではまた明日!」
そう言って大通りへと飛び出していったシグレの背中を見て、俺はため息を吐いた。
さて、明日は忙がしくなりそうだな……
目を覚ましてベッドから飛び起きた俺は、服を着替えるとすぐにキッチンへ移動する。
眠たい目で今ある食材を確認すると、その中から適当に選んで朝飯を作り始める。
少し経つとゲルニカがふらりと起きてきて、食卓へと現れる。
そしてそのまま調理しているのをちらりと見て、椅子に座った。
「さて久々の遠出になりそうですね。はあ……緊張します」
ゲルニカはそんなことを言いながらも、少し嬉しそうに見えた。
そんなゲルニカに俺は呆れながらも、サラダを皿に盛り付けていく。
最後にドレッシングをくるりとかけて、食卓へと運ぶ。
そして自分も椅子へと座り、ゲルニカと共に挨拶をする。
「……といってもさ、一国を救うだけなら一度やったことがあるからまだ出来る気もするが、大陸単位とかことが大きすぎて無理だからな。とりあえず今回は状況確認をして、王様に報告するだけだぜ。だが一応は敵との遭遇を警戒して、武器ぐらいは持っていってもいいと思うぜ」
俺はサラダを摘まみながら、軽く笑って呟いた。
ゲルニカはそれに笑いながら頷くと、サラダにがっついていた。
一口でごっそりと削り取られていくサラダに、美味しそうに頬張っているゲルニカ。
俺は呆れてため息を一つ溢した。
「おいおい、毎回言っているんだが、逃げるわけじゃあないんだから、そんながっつかなくてもいいんだぜ?」
俺が指差してそう言うと、ゲルニカは首を大きく横に振った。
「うーん、本当に美味しいですから、ついついがっついちゃうんですよねぇ。それに、さっぱりとしたドレッシングが眠気を覚ましてくれますし、丁度良いんですよ! はい、御馳走様でした!」
そうゲルニカが言った頃には、大皿の上にあったサラダの六割は消し飛んでいた。
そこまで勢いよくがっつけるんだから、正直眠気なんて関係無いと思うんだがなぁ……
他の全てが完璧なだけあって、食い物に目がないだけでも凄い残念に見えてしまう。
だがそんな考えも、幸せそうに笑うゲルニカの顔を見ているとどうでもよくなって吹き飛んでいった。
「初めて会った時に比べると、本当に明るくなったもんだなぁ……」
俺はゲルニカに聞こえないように呟くと、残りのサラダを一気に掻き込んだ。
「あれ、どこで待ち合わせるかって、教えてもらってなかったですよね?」
急いで洗い物をしている俺の後ろで、ゲルニカがぼそりと呟く。
それを聞いてあっ、と間抜けな声をあげた俺は、目を泳がせて手をより早める。
そこのところまでは考えていなかったと、長いため息を吐き出す。
走って宿屋を回り、探し出すしかないか……
乱雑に洗った食器を立て掛け、ゲルニカに目線をやる。
言いたいことを察してくれたのか、ゲルニカは笑顔で頷いてくれた。
そして荷物を掴んで肩に掛けると、玄関へと全力で駆け出した。
扉を勢いよく開けると、誰もいない大通りに、ぽつんとシグレが立っていた。
「おっと、随分と早いもんだな。今から宿屋を巡って探しに行くところだったぜ」
戸締まりを終わらせて、駆け寄るとシグレは安心したように微笑んだ。
「ごめんなさいね、昨日は焦っていたのと、遅いから宿屋を探すことしか頭が働かなくて……」
ぺこりと頭を下げたシグレの肩を、ゲルニカがぽんと叩いた。
「いえ、それぐらい大丈夫ですよ。ところで早速ですが、ラングリラを目指しますかね」
ゲルニカがそう促すと、シグレは顔を上げて頷いた。
そして大通りを歩き出した。
「とりあえずは、船の停めてある船着き場まで行くわね。一応聞いておくけど、準備とかは必要だったかな?」
シグレはこちらに顔を向けながら、心配そうに聞いてくる。
俺とゲルニカはそこで顔を見合せて、首を振った。
「いや、そんな戦闘に突入する可能性は少ないと思うぜ。だが、それより船の魔力は足りるのかい? 大陸間を移動するんだ、一番近い大陸とはいえ結構かかるんだろ?」
俺の質問に、シグレははいと返事して頷いた。
「……確かに燃料としては結構かかってしまいますね。ですが私が停泊した時に、鉢巻きでがたいの良いおじさんが、燃料を勝手にただで追加しといてやるぜって言ってくれてました」
俺は違和感しかないその情報に、記憶の中から誰かを導き出そうとした。
だがその人物は案外あっさりと思い当たった。
「それ絶対にオルダのおっちゃんだ、やっぱ女の子に対しては、超が付くほど凄い優しいなぁ……」
俺が呟いてほっこりしていると、船着き場まで到着した。
その入り口には、満面の笑顔でこちらを見ているオルダがいた。
「おう、昨日のお嬢ちゃんじゃないか! 燃料はきっちり入れておいたし、勝手にしたメンテナンスもばっちりだぜ!」
「ありがとうございます、オルダさん! ところでお金とかの方は……」
財布をすっと取り出したシグレと、首を横に振るオルダ。
「いやいや、そんなの俺の勝手にしたことだから何もいらないさ。それよりお嬢ちゃん、さっき俺の名前を言ったよな。はて、前教えたっけなぁ……まさか……」
オルダは顎に手を当てて、わざとらしく目線をキョロキョロと動かす。
そして冷たい目をした俺と、目線を合わせることになった。
「おお、ハルトに教えてもらったのか。さて、二人は今からお出かけかい?」
俺はオルダの質問を無視しつつ、シグレの背中を押す。
そしてオルダの横を通り抜けて、船着き場の中へと入ろうとする。
「おーい、無視しないでくれよぉ……! この前の魚の恩も忘れちまったってのかい……?」
無視を決め込んでいた俺だったが、オルダのその言葉にぴたりと足を止める。
オルダにはいつも、余った魚をお裾分けに貰っていた。
まあ流石にそれを店に出すにはいかないので、家で個人的に食べていた。
恩を忘れて無視するというのなら、それがなくなってしまうかもしれない。
晩御飯のレパートリーが減り、彩りが足りなくなってしまう。
ここは足にムチを打ってでも先に進みたいが、料理人としての心がそうさせてくれなかった。
「……ちょっとラングリラに、見に行かないといけないものがあるんだ」
俺はオルダへと振り向かず、ぼそりと呟いた。
オルダはそれに納得してくれたようで、どこかへと歩いていく足音が聞こえる。
それが耳に届くと、俺はシグレをさらに押して進んでいった。




