けやき寮の朝
「なあに、それ」
わたしが見つめている脇から、ここ、けやき寮の、わたしの隣部屋に住んでいる桃枝が覗き込んできた。
わたしは桃枝に窓1枚分の大きさのフィルターを渡した。
「すごいじゃん! みどり、もう空描いちゃったの?」
わたしは首を降った。
「1人で描いたんじゃないの」
それは昨日、青人と二人で描いた空を写したフィルターだった。ひとしきり描いた後、青人がさっと転写してくれたのだ。共同製作とは言え、我ながら誇らしい青空だ。最も、わたしの荒い筆跡をきれいにまとめている、青人の力ありきなんだけど。
「えーっ、何なに? じゃあ誰と描いたのっ」
まあ、ちょっとね、なんて曖昧に返事をしたのが悪かったみたい。桃枝の好奇心にいっそう火を点けてしまったらしい。
もう、桃枝ったら!
どうも、わたしの周りには明るく、人懐っこい人が集まるらしい。入寮して1週間で、桃枝とはずいぶん馴れ親しんだ。
人見知りのわたしとしては、とても助かるんだけどね。
しつこく聞いてくる桃枝に観念して、ごく簡単に青人と森で会ったことや木の上のアトリエのこと、霧絵の具のことを話した。もちろん、両親が地上出身だってことは秘密だ。
ふん、ふん、と桃枝は頷きながら聞いていたかと思えば、目を輝かせて質問して来た。
「それで、その青人さんと一緒に描いたのね?」
「そう」
「それで、今見つめながら思い出してた?」
「そう」
「つまり、好きになっちゃったんでしょ」
「そ…ってモモったら!」
流れでつい肯定しそうになっちゃったじゃないの!
噛み付かんばかりにソファーから立ち上がったわたしを、桃枝はあははっと朗らかに笑い、軽快に避けた。
「みどり、否定しないんだね」
「だ、だから、違うってば」
「わーっみどりが真っ赤になった!」
桃枝の言う通り、わたしは頭に血が上ったみたい。しばらくわたしたちは居間で追っかけっこをすることとなった。
騒ぎを聞き付けて、同じ寮の子たちも集まって来た。
「どうしちゃったの? みどり、真っ赤よ」
「あのね、みどりったら......ふぐっ」
桃枝は嬉々として答えようとした。が、立ち止まった桃枝の口を、わたしはすかさず塞ぐ。セーフ!
「何でもないの、モモが勝手に」
必死に桃枝を捕まえると、また騒然となってしまった。
どーしちゃったの? けんか? えーっけんか?
みんな口々に色んなことを言い始めた。まあ、最初の授業があんなんじゃ、イライラするよね。女子たちは必要以上に盛り上がっている。
何でもないってば! と叫びたくなったが、返って好奇心をあおってしまうだろう。我慢がまん。全く、女子侮ることなかれ。
その隙を狙ってか、桃枝はわたしの手から逃れた。
「あのね―」
だめ―っ!
「こらあ―! あんたたち朝からうるさい!」
幸か不幸か、騒動を止めたのは寮母さんの一喝だった。
かくして、本日の朝食がしごく静かだったのは、言うまでもない。