空の輝き
おれは突き落とされた黒色絵の具からはい上がり、夢中で叫んだ。
「死ぬな!」
最上層に破裂音が響いた。白い光の塊が遥か上空に吹き飛ばされていく。白色結晶を目で追ったが、全く異なる動きが視界に入った。誰かが日暗に突進し、こっちを目掛けて落ちてくる。
とっさに反応できず、もろとも水中に沈んだ。衝撃で泡を吐き、まともに絵の具を吸い込んだ。鼻孔がぎんと痛む。
水上に顔を出そうとしたおれは、首根っこを掴まれた。じたばたと手足を抵抗するおれを、相手は無理矢理、引きずり込む。
溺れる! 決死に抵抗して手を振り払い、水面へ泳いだ時。
闇色の絵の具がカッと発光した。全身を白い光が包んだかと思うと、叩き付けるような水圧が襲った。眩しい波に飲まれ、水底へ打ち落とされる。
光が消える。
意識が遠退いた時、再び後ろに引っ張られた。水面に引き上げられた。
「青人!」
背中を叩かれ、水を吐く。肺が押しつぶされたかのように苦しい。声を掛けられた方を見るが、姿がない。気がおかしくなって、幻聴が聞こえたのか?
天を仰いで呼吸をする。目に映る空は真っ白だ。
黒色だったはずの水面も白色に変わっていた。顔を出したのは角膜の外。ひびの入った角膜の内側では、白い灰が降っていた。
白色結晶が爆発したんだ。
側の水面にしぶきが上がった。紺藤さんが気を失った日暗を抱えていた。
紺藤さん。
息が整わず、言葉にはできなかった。紺藤さんは心得たように頷いた。そうか、紺藤さんがおれたちを爆発から逃がしてくれたんだ。
キンと宙を切る音が聞こえた。空を見回すと、1機の高空機が近付いてくる。鮮やかな橙色、救急用の高空機だ。紺藤さんが大きく手を振ると、高空機のハッチが開き、救助ベルトが下ろされた。だけど、後少しというところで止まってしまった。すると高空機の高度が下がった。ベルトに手が届く。
紺藤さんがベルトを日暗に装着するのを手伝う。
「ベルトを掴んで」
おれは言われた通り握り締めた。紺藤さんはおれを支えるようにベルトに取り付いた。
「上がるぞ。離すなよ」
紺藤さんが片手を上げると、3人は空中に引き上げられた。
大気はごうごうと騒いで、全身にまとわりつく。橙のボディーが近付くとワイヤーのスピードが緩まった。やがて止まると、人の手で機内に引き入れられた。身体が床に預けられた。扉が閉まると、急に静かになった。
聞き慣れた声のため息が重なった。
「みどり......」
みどりは床に座り込み、引きつった笑みを見せた。どうしてみどりが高空機にいるんだ? おまけに救急ベルトを身につけている。
紺藤さんがベルトから手を放し、身を起こした。それに続こうとしたおれの手は固まっていて、はがすのに苦労した。立ち上がった紺藤さんが頭を下げた。
「葵さん、助かりました」
「助かりましたじゃねえ!」
怒号が狭い機内を震わせた。操縦席に葵さんがいた。ものすごい剣幕だ。
「なあにが一緒にいきますだ! ろくに打合せもしねえで、どうするつもりだ全く!」
紺藤さんはすみません、と背を丸めた。
「日暗さんは無事なんだろうね?」
「は、はい。僕が気絶させただけです」
葵さんの鋭い目が後ろを見る。おれとみどりも縮み上がった。
「それから、助かったのあ、わたし1人の力じゃないぜ」
紺藤さんは頬を掻き、みどりを振り向いた。
「ありがとう」
みどりは恐縮して、いえ、と目礼した。
呆然としていたら、葵さんに名前を呼ばれた。突然の呼びかけにまともな返事ができなかった。
「あんたのやったことは捨て身にもほどがある。自分の命を大事にしろ」
「はい......」
必死で最上層に来た結果、結晶を持った日暗に立ち向かうことになった。だけど、無謀だ。日暗がおれをプールに落とさなかったら、紺藤さんがいなかったら......今頃、灰になってこの世から消えていた。
葵さんは沈黙を破り、ふっと笑った。
「ま、わたしも人のこと言えないねえ。後で警備団長から大目玉だ」
警備員の仕事、好きだったのになあ、という葵さんの言葉に、みどりが慌てて立ち上がった。
「わ、わたしは自分でついて来たんですよ」
葵さんはそうだねえ、と愉快そうに笑った。
高空機は天上の周りをゆっくりと旋回する。白色結晶がもたらした空は、一点の曇りもなく、美しかった。
その先に、淡く輝く光が見えた。1つ2つ、いや、もっとたくさんだ。指を差してその光を数える。小さな輝きが結ぶ形に見覚えがあった。
「星だ」
おれがつぶやくと、3人とも身を乗り出して空を見つめた。
白い星空だ。誰も見たこともない空だ。明るい空に星が輝くなんて。
こんな空があるんだ。
夜、太陽が隠れている間は、生きものが眠って身体を休めることができるように暗い空を描く。それが鉄則だ。だからこの空は2度と見られない。
この白い星空は、天上中を走り回ったおれたちへのご褒美なのかもしれない。




