閃光
わたしたちを乗せた高空機は空の階段を目指し、空を駆け抜けていた。
到着までの間、わたしは病院に来た潤次さんから聞いたことを葵さんに話した。空の階段は白色結晶の使用のため、人払いされている。警備は入り口だけだと言っていた。
「ってことは、階段は空っぽじゃないか」
話が本当なら、階段には誰もいないはずだ。
「その危険な白色結晶は誰が使うんだ?」
潤次さんたちは何も言っていなかった。わたしと紺藤さんは答えられなかった。
白爆と同じく、触れたものを灰にする白色結晶をどうやって使うつもりだろう? もしかして......背筋がぞっと寒くなった。修復のために誰かが犠牲になるの?
「空の階段付近です」
紺藤さんの言葉を聞いて眼下を見る。辺りは真っ黒に覆われていた。葵さんが身を乗り出し、現れた闇を凝視する。
「あの時の黒い霧だ」
「あの時って、黒い空になった時ですか?」
日暗さんが侵入しているってこと? 葵さんはわたしの質問には答えず、操縦席に向かって叫ぶ。
「急げ!」
高空機は下層の地盤を目指し、さらに加速した。地盤が迫ってくると、葵さんが何か言い、紺藤さんがキーを打込む。目の前の地盤に穴が空く。高空機の入り口だ。パスコードだったんだ。
入り口を抜けて下層に入ると、視界が晴れた。黒い霧は筒状に伸びていたが、空中では消えていた。
「階段だけか。霧の量は限られてるんだな」
黒い筒は空の階段の通路を形作っていたんだ。同様に中層、上層の穴を潜り、階段付近に着陸した。瞬時に紺藤さんと葵さんが飛び降りた。わたしは慌てて降り、2人の背中を追った。葵さんはこの間で回復したようで、紺藤さんより先を走っていた。
「最上層へ行かないんですか?」
頭の上にはもう1つ地盤がある。前を行く紺藤さんが叫んだ。
「この先は階段で行くしかないんだ」
「え? 階段って......」
黒い霧の中を通るの?
葵さんは階段まで行かず、巨大なタンクの前に立った。金色、紫、立ち並ぶ色とりどりのタンクに霧絵の具が詰まっているんだろう。
追いつた紺藤さんに葵さんが尋ねた。
「紺藤、何色が好きだ?」
「あ、あおいろです」
「よし。ホースを階段まで伸ばせ」
紺藤さんが階段にホースを抱えて走る。葵さんはタンクの口にホースをはめたが、ネジは十分に締まらない。手の力は戻っていないんだ。わたしは手を伸ばし、代わりにネジを締めた。葵さんはにっと笑った。
「良いぞ、みどり!」
ああ、そうか。その笑顔を見て分かった。わたしもあおいろが好きだな。
葵さんはバルブをぐっと握った。
「次はこっちだ」
頷いて手を掛ける。紺藤さんが門の前に辿り着いたのを確認し、葵さんは合図を出す。
「開け!」
紺藤さんは門を開け、わたしたちは力の限りバルブを開いた。黒い霧が噴き出す階段に向けて、大量の青色を放出する。階段を覆う黒色はなかなか変わらない。タンクの半分を過ぎて、やっと青く染まり始めた。
青色がなくなると、紺藤さんはホースを放り投げ、階段へ走りでた。上を睨みつけ、振り返る。
「行けそうです」
紺藤さんを先頭に、3人で階段を駆け上がる。通路の中は黒に代わって、目の覚めるような青い霧が支配していた。青色の中を走っているうちに、本当に頭が冴えてきた。
行く先の扉は開いていた。
誰かいるんだ。
不意に紺藤さんが立ち止まり、その背中に葵さんとわたしがぶつかった。紺藤さんが無言で指差す。最上層の奥に、白い石を持った高空服の人物がいた。そして、その人と対峙する、青人が見えた。
「日暗さんと青人?」
葵さんの頬を青色がつっと伝い落ちた。青色の汗が危機感を表しているようだった。紺藤さんは前方の2人を見たまま静かな声で言った。
「葵さん、あれ持っていますか?」
葵さんは無言で懐に手を入れた。取り出してみせたのは、銃だった。本物の銃を初めて目にして、胸がすっと冷たくなった。
「投影機を陰にして、僕が2人に近付きます」
紺藤さんは気配を消し、最上層に進み出た。わたしの手はその姿を見ているだけで、緊張に震えた。
隣りの葵さんは手の中の銃を握り、感触を確かめている。引き金にかかる指を動かし、首を傾げた。どういうことか、わたしの目を見た。
「力添えしてくれるか?」
頭の中が真っ白になった。人を撃つなんて、できない。その手助けを頼まれるなんて、信じられなかった。葵さんは何を考えているか察知したらしく、違うと手を振った。
「これは空気砲だ。いざとなったら結晶をケースごと吹き飛ばすんだ」
人の命を奪うのではない。ようやくことを理解した。
「もし結晶が爆発したら扉を閉めて高空機まで逃げる。良いな?」
白色結晶が目の前で爆破する。両親が怖れ、逃げてきた白爆が。最上層は、空の階段は爆発に耐えられるだろうか?
だけど、自分の意志でここに来たんだ。はい、と返事をした声はかすれた。
紺藤さんは足音を忍ばせ、上手く機械に隠れ、日暗さんの背面についた。葵さんは遠く、結晶に向けて銃を構えた。結晶が水滴ほどの大きさに見える距離で当たるのか。全ては葵さんの腕に託すしかない。
わたしは上から手を添えた。
日暗さんと青人が何を話しているか、ここからでは聞き取れない。ある時、ブウンと唸る音が響き渡った。投影機が動き始めた。日暗さんが投影機から離れ、青人ににじり寄った。青人は後ずさりし、あるところで足を止めた。
それ以上、下がれないんだ。
葵さんの手に力がこもった。結晶を追い、銃口がわずかに動く。撃つんだ。
呼吸が止め、全神経を人差し指に集中する。
青人が突き飛ばされ、わたしたちから見えなくなった。たった一言、青人の叫び声が聞こえた。
「死ぬな!」
日暗さんがケースに手を掛けた。
葵さんの指が動く。わたしは一緒に空気砲の引き金を引いた。
甲高い音が鳴り響いた。
結晶はケースごと吹き飛ばされ、視界から消えた。紺藤さんが日暗さんに飛びかかり、青人の落ちた先にもろとも姿を消す。
どこへ? わたしの目は行方を追った。
葵さんに腕を掴まれ、反対方向に引っ張られる。
「走れ!」
我に返った。いざという時は今なんだ。門に向かって全力で走った。
扉を閉めた時、階段がカッと白く光った。背中で爆音が轟いた。まるで白い稲妻が落ちたようだ。熱風がわっと襲いかかってきた。
結晶が爆発した。
葵さんは振り返りもせず、階段を駆け下りる。その背中に叫ぶ。
「青人たちは?」
「ついて来い」
その言葉を聞くと、葵さんについて走った。きっと考えがあるんだ。
上層に着くと、葵さんは上を見回した。ある一点に視線が注がれる。角膜にひびが入っている。わたしを振り向き、
「あそこを撃つ」
と早口で言った。
角膜を破壊するなんて、今度こそ信じられなかった。天上を、生まれ育った世界を当たり前に覆っているものを壊すことになる。天上全体が崩れるんじゃないかという錯覚を覚えた。
だけど、迷っている場合じゃない。葵さんと2人、空気砲で角膜を打ち抜いた。上層に穴が空き、周辺の膜がぼろぼろと崩れた。
上手く穴が空いたのを確認すると、葵さんは高空機に走り、操縦席に乗り込んだ。わたしが滑り込んだ瞬間、高空機のエンジンが稼働し、飛び上がった。
「葵さん!」
さっきまで紺藤さんに任せていたんだ。操縦を手伝おうとしたのを、大丈夫だ、と葵さんが遮った。
「それよりこれからの説明をよく聞いて」
わたしの動きを止めた。これからすること......?
「3人が落ちたプールは角膜の外に繋がっている。そこから引き上げるんだ」
話を聞くうち、今からすることは青人たちを助けることだ、とやっと気付いた。
「乗り口の側に救助用具があるだろう? そこを開けて」
自分の乗った入り口を振り返る。壁面に赤字で「救急」と書かれた収納扉がある。扉を開けると、赤と黄色、2つのベルトが入っている。ベルトは両手両足を通す、全身を固定するものだ。
「赤いベルトは救助用、黄色のベルトはみどりの落下防止だ。そいつを着けたら、横のフックに掛けろ」
言われた通り、ベルトを身につけ、壁に打たれたフックに引っ掛ける。金具ががちりと重い音を立てた。その音が身の安全を保証してくれたように聞こえた。
「救助ベルトにはワイヤーがついている。下、止、上のボタンを押せば、その通りに動く。操作はわたしが指示する。分かったか?」
「はい」
「合図をしたら入り口を開けるんだ」
「はい!」
余計なことを考えてる暇はない。わたしは忠実な助手になることに徹した。
角膜を抜け、上昇する。最上層は、いや、空全体も、何もかもが真っ白だ。爆発した白色が投影されたんだ。最上層の角膜は、半分以上が跡形もなく消えていた。白い灰になったんだ。舞い散る灰で、中は全く見えない。
目がくらむ白色の中に残された黒が、最上層に取り付けられたプールだった。最上層を縁取り、危うげにぶら下がっている。角膜の残された側にあるプールの1つから、手を振るのが見えた。紺藤さんだ。
高空機は可能な限り距離を詰める。
「今だ!」
わたしは乗り口を開けた。大気が唸りを上げて渦巻いている。
「下ろせ!」
ボタンを押し、救出ベルトを下した。食い入るように先を見つめ、ワイヤーを止めるタイミングを計った。




