緊急飛行
わたしと紺藤さんが行った病室で眠っていたのは地上の門のパイロットだった。
じゃあ、日暗さんはどこへ行ったの?
白先生は日暗さんがいないのを知っていた。職人学校からの友人を見間違える訳ない。どうして嘘をついたの?
「何突っ立ってる」
振り返ると、警備服に着替えた葵さんがいた。
「あ、葵さん。起きたばっかりじゃないですか。安静にしていないと」
紺藤さんが言う通り、葵さんは入り口の柱に身を預けていた。
「長いこと休んだから、頭は使える」
紺藤さんが近寄って何か言おうとするのを、葵さんは制した。
「ところで紺藤、高空機操縦の講習はどこまで行った?」
「え? 第3部を終えたところですけど」
「よし、十分だ。飛ぶぞ」
朝、病院の屋上に救急用の機体があるのを見た。葵さんはその高空機に乗るつもりだろう。
「ええ? まだ免許を取った訳ではありませんよ?」
「第4部は悪天候と緊急時の教習だ。今日の空は飛べる。行こう」
「行くってどこへ?」
「最上層に決まってんだろ」
「で、ですが......」
わたしは手を挙げて割り込んだ。
「あ、あの......!」
2人に注目されると口を挟んで良いものか一瞬ためらったが、今更、挙げた手は下ろせない。
「救急パイロットに頼んだら良いんじゃないですか?」
安全に行くならプロに頼むべきだ。
「一般人を巻き込むつもりはないよ」
葵さんはぴしゃりと意見を却下し、紺藤さんに向き直った。
「わたしが言った通りに飛べば大丈夫だ」
「本気ですか?」
葵さんは廊下に歩き出そうとしてバランスを崩した。紺藤さんとわたしが支える。葵さんは思うように動かない自身の身体に舌打ちした。
「葵さん! 無茶しないでください」
葵さんはふうっと長く息をついたと思うと、にやりと笑った。
「紺藤、わたしと一緒に死んでくれるか?」
「......いえ、一緒に生きますよ」
真剣な顔の紺藤さんに、葵さんは声を立てて笑った。
「決まりだな」
紺藤さんとわたしが葵さんを手伝いながら、屋上まで上がった。吹き抜ける風が冷たい。紺藤さんが緊張した面持ちで航空機の点検を始めた。航空機の座席まで行くと、葵さんはわたしに言った。
「ありがとう」
待っているだけじゃだめだ。
黙ったまま動かないでいると、どうした? と聞かれた。
「わたしも行きます」
葵さんの厳しい目が白先生の目と重なって見えた。
「言っただろう? 一般人を巻き込む訳にはいかない」
運転席に乗り込んだ紺藤さんと目が合う。負けずに食らいつく。
「紺藤さんは操縦で手が離せませんよね? わたしがいれば、葵さんの代わりに動けます」
「遊びじゃないんだぜ?」
「分かっています」
葵さんと沈黙のにらみ合いが続いた。しばらくして、葵さんがため息をついた。
「これ以上ぐずぐすしてらんないな。紺藤」
見守っていた紺藤さんはいきなり呼ばれ、は? と声を漏らした。
「前言撤回、本気出しな。落ちたら承知しないよ」
「はい」
紺藤さんは運転席に着いた。後ろから葵さんが様子を見る。
「研究層の基本ポジションは?」
「気圧A、エンジンレベル2、羽の張力は柔」
「よし。飛べ!」
「はい!」
高空機は右にぐらつき、危なげに飛んだ。
「バカ! 勢いつけ過ぎだ」
「すいません。気負いました」
「あー、まったく。教習だと思って冷静にやれよ」
大丈夫かしら? 2人の会話は面白いけど笑えない。
紺藤さんの運転がようやく落ち着いた頃、葵さんが尋ねてきた。
「あんた名前は?」
「みどりです」
「みどりね。よろしく。意外と力あるんだな」
「よく言われます」
葵さんはそうか、と愉快そうに笑った。
「もしかすると、本当に頼むかもしれない。良いか?」
「はい。初めからそのつもりです」
ほお、と葵さんは感嘆した。
「女の意地は男より強いねえ」
紺藤さんが動揺したのか、機体は微妙に揺れた。真面目に飛べ、と葵さんが厳しく指導する。
今度は役に立つ。
高空機は無彩色の空を突っ切った。




