みどりの空
風が止むと、森はしんと静まった。周りの木たちがわたしの話に耳を澄ましているようで、落ち着かなかった。
それでも、青人がわたしを待ってくれているので、話し始めた。
「わたしの両親は、地上の人なの。2人とも航空事故に遭って、天上に助けられたの」
地上と天上は分離された世界である。天上は地上の戦争や環境汚染の愚かさを軽蔑している。そのため、天上は自分たちの国を地上から隠し、地上人を受け入れない。しかし、地上人が稀に飛行機や宇宙ロケットの事故で天上に落ち、救助されることがある。ただし、命を取り留めたとしても、地上に返すことはなく、天上に留める。天上の存在を地上に知られないためだ。
そこまで話すと、後は自然と言葉が出て来た。
わたしの両親は地上から来たってことを隠してきたの。だって地上への差別はひどいじゃない。ものを売ってくれなかったり、「出て行け!」って叫ばれたり......。
天上に来たばかりの頃はふとした瞬間に、相手に分かっちゃうんだって。上空電鉄の切符の買い方を知らなかったり、天草のサラダを珍しがったりしてね。分かった瞬間から、友達もさーっと引いていったんだって。だから2人は天上の生活を覚えてから誰も知らないところに引っ越して、周囲の人や天上生まれのわたしにもずっと黙ってたの。
わたしは12歳になって、やっと教えられたの。ショックだった。わたしだって軽蔑してたもの。戦争で命と自然を壊す地上をね。
その日はずっと親と口を聞かずに一晩中、考え込んだわ。だって父はあろうことか、軍の戦闘機に乗ってたなんて言ったの。
言葉も出なかった。
その時よ。空色職人になろうと決めたのは。父が世界を汚したなら、わたしは美しい世界を創ろうって。
一陣の風が吹き抜け、ざーっと木々の葉を大きく揺らした。思わずわたしは立ち上がった。
「でも、今まで地上の人間が空職人になったことはない。だからわたしが1人目になる。そして、同じ夢を持った地上の人たちが、誰でも空を描けるよう、技術を教えるの!」
青人も立ち上がった。真面目な顔でわたしの目を真っ直ぐに見る。
「おれは地上も天上も同じ人間どうし、美しい空を分かち合えると思ってるよ」
ふっと笑ったかと思うと、青人はバケツを手にし、思い切りぶちまけた。わたしは反射的に両手で自分をかばったが、絵の具が掛かることはなかった。絵の具は霧のように空中に散らばり、きらきらと鮮やかな濃い青が輝いている。
「あっはは! 驚いた? バケツに溜まってると液体だけど、空気中ではすぐ霧になるんだ」
青人は気持ちよく笑って、刷毛1本と薄水色のバケツをわたしに差し出した。
「やる気になったとこで、すぐ描き始めよう!」
言っている間に長い白衣を羽織り、バケツに刷毛を突っ込み、さっと弧を描いた。その一筆で、アトリエの空間が広がった。青人はニカッと笑い、わたしを振り返って刷毛を指差す。
わたしは頷いて、もっと大きな弧を描いた。真似をしたつもりが、線がぶれて波打つ。それを見て、青人はおっ、と驚いたような顔で言う。
「豪快だな。一番大きい筆を渡せば良かった」
わたしも不敵に笑ってみせる。
「じゃあ貸して」
わたしたちはひとしきり大笑いした後、夢中で空を描いた。
わたしは、わたしを受け入れてくれる青人と出会えて、本当に良かった。