影の正体
山吹は桂の林の中を走った。空は黒色に白色の筋が混ざる。だが白色が溶け込むこともなく、空は不安をあおる濁った姿をしている。
目的の場所へ行く前に、紅のアトリエを目指していた。白先生が描いた地図は、アトリエの近くを示していたのだ。
1人でいる紅が心配だ。青人に言われなくても、行くつもりだった。
だけどまさか、青人に気付かれてたなんて。もしかして紅も......?
山吹は頭をぶんと振った。そんなことはどっちだって良い。暗い道を走る足を速めた。
アトリエに辿り着くと、紅花と茜の畑が目に入った。植え替え切れず、残された花は黒ずみ、地面にうなだれるように枯れていた。紅が丁寧に手入れをしていたのを思い出し、胸が痛む。
扉を叩くと、紅の声がした。
「誰?」
気のせいか、弱々しく聞こえる。
扉の向こうから現れた紅の顔色は冴えなかった。山吹は冗談の1つでも言おうとして、開きかけた口を閉じた。紅はどうやら荷物をまとめているらしい。部屋には紅花と茜の鉢が沢山並んでいる。
「何かあったのか?」
紅は質問に答えず、違うことを言いだした。
「山吹にお願いがあるの。わたしがいなくなったら、この子たちに水をやってくれる?」
紅の声はかすれていた。
「帰るのか?」
紅は視線を落としたまま、頷く。
昨日の朝会った時と、明らかに違っていた。アトリエはこれから行く場所と近い。嫌な予感がした。
「何かあったんだな?」
山吹は紅に睨まれた。気を悪くしたかとどぎまぎしていると、紅は唇を噛み締め、目を赤らめた。
「わたしには訳が分からないわ」
その大きな目から今にも涙が溢れ落ちそうだ。山吹は震える紅の肩を抱く。
「紅、落ち着いて」
山吹は紅が話せるようになるのを待った。紅は目を左右に動かした後、唇を開いた。
「昨日の夜、灰谷さんが来たのよ」
昨日の夜とすれば、灰谷さんが白い部屋に来る前だ。
「山吹が出て行った後、畑の近くで倒れていた小夜という女の子を助けたの。その後、灰谷さんがやって来て、小夜がいるって分かった途端、あの子のいた部屋に飛びついたわ。だけど、小夜は窓から逃げていて、灰谷さんは跡を追っていった」
灰谷さんが追う女の子? 山吹は今までの記憶を辿った。正体の知れない女の子のことを、どこかで聞かなかったか?
そうだ。
「もしかして、黒い服の女の子か?」
紅は目を見開いた。
「山吹も小夜を知っているの?」
間違いない。黒い空になる前、青人が空の階段の側で見た女の子だ。黒服に身を包み、暗い目をした影のような女の子だと言っていた。まったく、青人は勘の良いやつだ。灰谷さんが探していたってことは......。
灰谷さんが地上から連れて来たのは、小夜だ。
山吹は紅の手を取り、その目を覗き込んだ。
「紅、行こう」
「行くってどこへ?」
「黒い空の犯人の家へ」
「犯人って、山吹は知っているの?」
「まだ分からない。だけど、ほとんどそうだ」
紅は腑に落ちない顔で山吹を窺った。山吹は迷ったが、事実を話すことにした。
「灰谷さんが容疑者として捕まったんだ。そこへ行けば、灰谷さんの疑いを晴らす証拠を見つけられるかもしれない」
突然のことに紅はついていけなかった。だが、その目にはいつもの光が戻っていた。
「分かった。わたしも行くわ」
こいつは灰谷さんのためなら、力が湧くんだな。
山吹はとうに分かっていたことなので、今更がっかりはしない。むしろ、いつもの覇気を取り戻してくれて良かった。それに、灰谷の無実を証明したい気持ちは変わらない。
2人は暗い森の中を歩き出した。




