青人の空
「わ、わたしの描きたい空は、、、」
今まで威勢の良いみどりが口ごもったので、おれは意外だった。だって、空が描きたくて職人学校に入ったんだから、どんな空が描きたいかなんて、すぐ答えられると思うだろ?おれは言葉に詰まる新人に苦言しそうになったが、我慢して待った。上の人が口を挟んじゃうと、何も言いたくなくなるって分かってるから。
灰谷さんもそうだった。おれが悩んでて、でも何て言ったら分からなくて考えてる間も、ぐちを吐くだけ吐いている間も、黙って聞いてくれていた。いい先輩のやってくれた通りに、後輩に接したい。
とうとう、みどりは口を開いた。
「わたし、誰でも描ける技術を創って、空を描きたいの」
青人は面食らった。
「技術開発が夢だって? しかも、誰にも真似出来ないって言うならまだしも、誰にでも描ける、簡単な技術を創りたいってどうして?」
みどりは困ったような顔をした。ほんと、さっきまで喰って掛かって来たことは思えないほど、悲しい顔をする。おっと、このままでは話しずらいよな。
「みんな、自分だけの空を描くんだって躍起になってる人ばっかりだから、ビックリしたよ。誰にでも描ける技術を創りたいって、すごいじゃん」
みどりの伏せた目は、あちこちへ動き回っている。話すべきか迷っているようだ。
おれたちの間を春の暖かい風が通り抜け、木々の葉がさらさらと音を立てて揺れた。隣の木では白黒の羽をしたセキレイたちが遊んでいる。
おれは再び待っていたが、みどりは黙ったままだ。待てば待つほど、その心が気になる。だけどこの長い沈黙を思えば、本人にとっては深刻な理由なのかな。
そうとなれば。
「じゃあ、おれの話聞いて」
人の話を聞きたい時は、まず自分から話す。これも灰谷さんから教わったことだ。
「おれは晴れ渡った青空が描きたい。人が元気になるような、ね」
おれが空職人になりたいのは、父さんと母さんのおかげなんだ。おれの父さんは、写真家で、あちこち旅して、いつも家には母さんとおれしかいない。だけどおれは、父さんが好きだ。父さんにはなかなか会えないけど、毎週手紙と一緒に、写真を送ってくれるんだ。
毎回その写真の中に、青空の写真があってさ。もちろん、天気悪い日が続いて、曇りや雨の空しかないこともあったけど。とにかく、そのあちこちの青空がとってもきれいでさ。淡い水色から、鮮やかな濃い青まで色んな青空が送られて来てね。そうなると、その空の下にどんな山や川、街があって、人がいるのかも興味が湧いてくる。それも写真になってる。
母さんはその写真を見て、物語を考えて絵を描く。母さんは絵本作家なんだ。おれも母さんが絵を描く隣で、絵を描いた。父さんの撮った青空をね。母さんはにこにこして一緒に描いてくれるし、久しぶりに帰った父さんは上手いもんだなって褒めてくれた。そのうち、目の前の空を見上げて描くようになった。夕焼けも夜空も描いたけどさ、やっぱり青空描いてる時が楽しいんだよな。その下の人たちが笑ってるのが見える気がしてさ。おれ自身、けんかしたり、叱られたりした日も、必ず送られてくる空の写真に励まされた。
だからおれは父さんみたいに、人を励ます青空を描きたい。
おれが話し終わると、しばらくふたりで空を見上げていた。葉っぱはなおもさらさらと揺れている。セキレイたちはもう遠くへ行ってしまっていた。
木々の話し声の中で、かすかに、みどりの声が聞こえた。
「わたしは、地上の人間なの」
その小さい声を、おれは聞き逃さなかった。地上の子。
「そっか」
おれは、短くはっきりと答えた。みどりはじっとおれの目を見つめた。
「これから話すことは、秘密だから、誰にも言わないで」
強い風が吹き、森はざわざわと密めき合っていた。