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「空色の授業」  作者: 翠野希
Ⅳ.空を駆ける
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灰を掴む

「木先生」

 山吹は黙々と筆を仕上げる講師に尋ねた。木先生は手を動かしたまま、ん? という顔を向けた。

「白色結晶がここにあることは秘密なんですか?」

「そう。だが、空が黒くなってから、おれはもうどうでも良いと思っている」

「どうでも良いと言うと?」

「秘密なんていらないってこった」

 木先生は筆先になる毛を束ねながら、続きを話した。

「この学校は秘密が多すぎるんだ。隠さなければならないほど後ろめたいものを抱えることはない。そんなだから、いらぬ闇を引き寄せるんだ」

 山吹には何のことやら、さっぱりだった。木先生は構わず、そう思わないか? と尋ねた。

「人はもっと信用できる。信用してやれば、信用で返される」

 信用か。

 山吹はふと、灰谷のことを思い出した。


 山吹にとって、灰谷は敵わない人だった。それは長く付き合う青人と紅が信頼を寄せる空色職人だから。その技術も、人柄も。山吹は純粋に灰谷を慕うことはできない。2人と違ってこの人みたいになりたい、と思えない。

 この人みたいになれない、と思うのだ。

 そんな中、データ描写の技術を知った。暗号のようなコードを打込んで描いた空は、予想以上に出来が良かった。見つけた。

 灰谷さんと別な道を見つけた。

 そんなおれはひねくれているのか? 山吹は自分自身に苦笑した。

 霧絵の具の使い方を教わった灰谷に、データ描写へ転向することを告げた。灰谷は良いんじゃないか、とあっさり認めてくれた。

「山吹はビジョンが見えていて計画的だから、向いているよ」

 その一言にずいぶんと勇気づけられた。

 こういうところが敵わない。

 おれは紅に信用されているだろうか?


 ぼんやりと物思いに更けるのはここまでだった。

 轟音と震動が襲ったのだ。山吹と木先生は白い部屋を出、実習棟のガラス越しに空を見上げると、白い煙が上がっていた。

「木先生、あれはもしかして......」

「白色結晶が爆発したようだな」

 とんでもないことだ。その後、時間を置いて2度の爆発が起こった。2人の目の前には3本の白い煙が上がっている。3カ所の煙はその上空を白く滲ませているが、空全体を染め上げるまでに至らない。

 山吹は木先生の険しい横顔を見、緊張して尋ねた。

「ここも危険でしょうか?」

 木先生は驚いたように振り向くと、屈託なく笑った。

「最初っから分かってることだろ」

 山吹はそのあっけらかんとした態度に拍子抜けした。

「どうしてそんなに余裕でいられるんですか?」

「白先生が怪しいと思っている人は、あの人の相棒だ」

 白先生の相棒、一体どんな人なんだ?

「実はおれも会ったことはない。職人学校の頃からここの講師まで一緒だったそうだ。白さんからすれば、おれみたいなやつらしい」

 木先生みたいな人が黒い空の犯人? 山吹にはピンと来なかった。木先生は山吹の表情を読んで、にやりと笑う。

「こんなに人の良い性格だったら、身の危険はないだろう?」

 根拠はないけど、山吹は少し安心した。


 その時、目の前が真っ暗になった。実習棟全体の灯りが落ちたのだ。

「ブレーカーが落ちたか」

「爆発の影響でしょうか?」

 2人はそれぞれ持っていた懐中電灯を点けた。

「おれはブレーカーを見てくる。山吹は部屋に入って待っていてくれ」

 木先生は暗い廊下を歩いていき、山吹は白い部屋に戻った。わずかな灯りで白い壁や床は反射し、怪しく光っている。


 山吹の背後で扉が静かに開いた。木先生が戻って来たにしては早い。灯りも復帰していない。

 山吹の体を冷たい血が走る。

 一瞬のうちに相手は部屋の中に侵入した。山吹は振り向き様に足を払われた。受け身をとる暇もなく、床の上に倒れる。

 その隙に侵入者は走り出す。

「待て!」

 山吹は立ち上がろうとしたが、したたかに打ち付けた半身が悲鳴を上げる。

「ぐっ!」

 侵入者は迷うことなく、真っ直ぐ部屋の奥目がけて走っていく。

 まるで白色結晶の在り処を知っているかのようだ。

 おれだって知らないってのに!

 床に転がった懐中電灯が目に止まり、手を伸ばして拾い上げる。なんとか片膝をつき、相手に投げつける。ライトはその背中に命中した。相手は不意打ちを受け、足を止めた。振り返ったその顔は、布で覆い隠されていた。


「山吹!」

 廊下から木先生の叫び声が聞こえた。異変に気付いてこちらに駆けてくる足音が響く。侵入者は再び奥へと走る。木先生は到着し、ことの次第を理解すると侵入者を追いかける。途中、円卓の側に置いた木材を掴めるだけ掴み、足下へ投げる。そのいくつかが足を捉え、相手を転ばせた。

 木先生は走り寄ると床にねじ伏せた。顔を隠している布を取払い、目を見開いた。

「灰谷」

 灰谷は荒く息をつき、観念したように目を伏せた。

 山吹は痛む体を引きずり、やっと2人の近くへ辿り着いた。

「灰谷、なぜお前がこの部屋を知っている?」

 木先生の言葉にも、灰谷は目をつむったまま応えない。


 外でサイレンが鳴り、こちらへ近付いてくる。サイレンは大きくなると、その場で唸り続けた。

 やがて複数の足音が廊下にこだました。間もなく部屋の灯りが点く。誰かがブレーカーを上げたのだ。間もなく、白い部屋に数人の警察が駆け込んできた。

 灰谷さん......。

 山吹は先輩が警察に拘束される姿を直視できなかった。


 


 

 

 

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