白い煙
わたしと青人はお父さんを見送り、病院の中へ入った。院内は思った以上に落ち着いていて、ほっとした。黒い空のせいで治療を受けている人が溢れているんじゃないかと、心配していた。
受付で日暗さんと会いたいと申し出たけど、まだ面会できないと言われた。病室の場所だけは教わり、部屋の前まで行ってみることにした。
廊下を歩いていると、
「青人」
長身の男の人に呼び止められた。振り返った青人はその人に駆け寄った。
「紺藤さん、もう動けるんですね」
「いつまでも寝ていられないからね」
紺藤さんと呼ばれた人と目が合った。会釈をすると、相手はさわやかに微笑んだ。
「青人、もしかして2人目の彼女か?」
「な、何言ってんですか! 紅は違いますって」
「ってことはその子は彼女なのか?」
「ええっ! そう言う意味じゃないです」
親し気に話す2人にわたしはぽかんとした。紺藤さんは置いてけぼりのわたしに笑いかけた。
「ごめんごめん。失礼なことを言ってしまったね。僕は空の階段警備員の紺藤です」
「あ、わたしは空色職人学校1年生のみどりです」
階段の警備員は被害に遭ったそうだから、この人も入院していたんだ。冗談を言えるほど回復して良かった。
紺藤さんはところで、と切り出した。
「葵さんが意識を取り戻した」
「葵さんと話したんですか?」
「いや、医者の先生が教えてくれた。また眠っているらしいんだけど」
葵さんという人も警備員なのだろうか? 紺藤さんは心からほっとした顔をしていた。
「葵さんを待っているんですね」
と青人が問いかけると、紺藤さんはああ、と頷いた。
「大事に思っている人は大事にしなきゃね。今回のことでよく分かった」
大事な人を大事にする......わたしも切実に感じていた。今はみんな無事だけれど、黒い空が長く続いたら身体も心もバランスが崩れるだろう。
「今日は地上の門を管理している人に会いに来たんです」
青人の言葉に紺藤さんは少し驚くと、顔を曇らせた。
「あの人はまだ起きていないよ」
「日暗さんを知っているんですか?」
わたしが尋ねると、紺藤さんは神妙な声で言った。
「地上の門も警備団の管轄だからね。警察の話によると、事件後いち早く駆けつけて、警察と救急に通報したのは日暗さんだそうだ。仲間を救助しているうち、階段の入り口で倒れてしまったらしい」
黒服の女性から同じ話を聞いた。本当に日暗さんは犯人を追いかけて倒れたんだ。
「日暗さんは情の厚い人だから、助けずにいられなかったんだな。ただ、ご本人が無事に意識を取り戻せるか心配だ」
紺藤さんと別れ、日暗さんの病室へと向かった。話はできないとしても、ここで帰る訳には行かない。起きるのを待つまでだ。
近くまで行った時、病室から思わぬ人が出てきた。
「白先生?」
白先生はわたしたちを見て目を細め、後ろ手に扉を閉めた。
「みどりさんと青人くん、ですか」
やばい。わたしは冷や汗をかいた。白先生に秘密にしろと言われた黒い絵の具のことを、青人に話してしまったから。
「どうして白先生が?」
青人が先に口を開いた。
「日暗は職人学校時代からの友人です。見舞いに来たのですよ。残念ながら、眠っていますが」
白先生はちらりと背後に目をやって言った。
「君たちはなぜここに?」
わたしたちは目を見合わせた。白先生を怒らせたくはない。どこから話せばいいか。
その時だ。
窓の外がカッと白く光った。次の瞬間、轟音が響き渡り、激しく揺れた。雷が落ちたような衝撃だ。余波で森の木がざらざらと音を立てて揺れている。
白先生は窓に張り付く。
「何てことだ」
そうつぶやくと、階段を駆け下りていった。窓の外を見ると、遠くから白い煙の柱が立ち上っていた。青人が白先生を追いかけると、わたしも慌てて後に続いた。
病院の外に飛び出すと、人々が空に伸びた白煙を見上げ、どよめいていた。その向こうに走空車に乗り込む白先生の背中が見えた。
「白先生」
青人がドアの側に走り寄ったが、白先生は構わず走り出そうとした。
「待ってください」
わたしはとっさに車の前に出て、両手を広げた。白先生は鋭い目で睨み、青人は目を見開いていた。
「一緒に行きます」
わたしは一歩も引かなかった。説得する時間を惜しんだのか、白先生は目を伏せてため息をついた。
「良いでしょう。ただし、行くのは青人くんだ。みどりさんはここに残ってください」
「な......」
なぜですか? とわたしが言う前に、白先生が答えた。
「非常時に冷静に行動できないようでは危険です。あなたはここで日暗が起きるのを待ちなさい」
悔しかったけど、言い返せなかった。その通りだ。勝手な行動をする者は邪魔になる。
青人はわたしの目を見て言った。
「こっちは任せた」
辛うじて頷き、2人を見送った。自分自身が情けなかった。
白い煙の前で、わたしはあまりに無力だった。




