空のアトリエ
「ここだよ」
アトリエを案内すると言って、青人が指差したのは大木の上だった。
「木の上ってこと?」
わたしは答えが分かっていても、思わず聞いてしまった。
青人は頷いて大木の幹をぐるっと裏へ回った。階段、というより梯子が上まで続いていた。梯子の先に、頼もしい枝に支えられた、小屋の床板のようなものが見える。その周りにはバケツが沢山提げられていた。また、ロープと滑車が備え付けてあり、ものを運び上げるのに使うようだ。
わたしは納得した。道すがら、青人に高い所は平気か、と聞かれた意味が分かった。そもそも、高い所が苦手なら空色職人になろうとはしないだろうが。だって職人は高いたかい空の上で仕事をするんだもの。
「んじゃ、気を付けて登って」
と、わたしは青人に促され、梯子に手を掛けた。
梯子と言っても、階段である。ただ、あんまり急で手すりもないから、手をついて登る格好になる。だから、あえて梯子と呼ぶ。木製で年期は入っているが、触れると意外にしっかりした造りをしている。それでも、高い所はだめではないけど、慣れないと怖い傾斜だ。
青人は何か言いかけたが、わたしはそれを打ち消すために強く頷いて登り始めた。
早く終わらせたくて、一気に登ってしまおうと、がむしゃらに手足を働かせた。すると、登り切った後、梯子を握り締めてきた手は筋肉が強ばって痛かった。嫌な汗もかいていた。
「こんなに勢いよく登ったヤツいないよ」
アトリエの主は、あっさり追いついてきて言った。笑われまいとして、結局笑われてしまった。思わずムキになってしまう。
「何でこんな面倒な所に作ったのよ」
青人は笑ったまま答えた。
「おれが作ったんじゃないんだ。ここ」
と言って、彼は天井を見上げた。
つられてわたしも見上げたが、天井はなかった。ただ、空が広がっている。「アトリエ」の中を見渡すと、壁面もない。あるのは大木の幹と板張りの床、幹に釘で掛けられている筆や刷毛、霧吹き、後はよく分からない道具、食べ物が入った袋などである。唯一、床に置かれているのは戸棚だけだ。まるで木の上の見晴し台みたい。空いっぱいが広がる、気持ちのいい空間である。だけど、アトリエっていうには、天井も壁も......。
青人は空を見つめるわたしの思いを汲み取ったようで、頭上のある1点を指差す。
「ほら、よく見ると、骨組みがあるだろ?」
言われて目を凝らすと、わずかに虹色に光る、細い骨が見えた。青人が教えてくれた点を中心に、頭上から床面まで、放射状に弧を描いた透明な骨が張り巡らされている。
「傘の骨みたい」
「そうそう!この傘が透明な天井と壁であり、しかも霧絵の具を作るんだ」
「霧絵の具を作る?」
あ、バケツ!
わたしは地面から見たバケツ達を思い出して、床の下を覗き見た。予想通り、骨の下にバケツが提げられている。そのバケツの中には、今の青空と同じ色の、青い水が溜まっている。
「ピンポーン!この傘で、大気中の水分をそのバケツに絵の具として集めてるって訳さ。よく観察してたね」
そうあっさり褒められると照れてしまう。
「このアトリエ、灰谷さんって言う、きれいな曇り空を描く先輩に貰ったんだ。先輩はまたその先輩から譲り受けてて、つまり、代々受け継がれている場所なんだ」
と、青人先輩は誇らしそうに語った。突然木の上から現れた彼が、ちょっとカッコよく見えた。
「それで?」
いきなり青人がこちらを向いて、ドキッとする。思わずたじろいでしまう。
「それで、みどりはどんな空が描きたいわけ?」
キラキラした目を向けられ、またまたたじろいだ。