窓の外
澄んだ水のようにどこまでも青い空。虹色に輝く雲。見ているだけで安心する。わくわくする。おれは草原を駆け回り、待ちわびた空を全身で感じ取る。
誰かのために空を描くということ。それは簡単そうで、とても難しいことだ。
描いているうちにいらないこだわりが出てきて、自分の「絵」を描いてしまう。でも自分では気付かない。「これこそ空だ」と思い込んでいる。それは、長く空色職人を続けている人にもよくあるという。
そういう難しい仕事をしているんだ、おれたちは。
目を覚ますと、自分がどこにいるのか思い出せなかった。暗闇に目が慣れて、天井に張り付けた、父さんが撮った空の写真が見えてきた。そうだ、ここはおれの部屋だ。
みどりを送ってから、帰るつもりのなかった家に戻ってきたんだった。地上について何か分かったかな? いやそれより、みどりが家族とゆっくり過ごせたら、それでいい。
側にあるカーテンに手を伸ばしてをめくると、窓の外の空は相変わらず黒いままだ。
青空は夢のまた夢か。がっかりしてカーテンを閉めようとした時、目の端に白い靄が見えた。目を凝らすと、わずかだけど、空に明るい色が差している。
「すげえ!」
きっと空色職人の修復の成果だ。山吹も走り回っているかな?
心臓がどくどく鳴り始めた。まだおれは、空のために何の役にも立っていない。
役に立ちたい。
窓に張り付いていると、扉をコツコツとノックされた。
「青人、起きてる?」
返事をすると、すっと扉が開いて母さんが顔を出した。蜜ろうそくの優しい灯りが照り、甘い香りが漂う。
「父さん、帰ってきた?」
「まだ。きっと今日は帰らないわ」
仕事仲間の高空機パイロットと一緒に黒い空の調査に出たらしい。高空写真家の父さんは100年以来の黒い空を夢中で撮影しているに違いない。
「職業病だね」
母さんは本当ね、と笑ったかと思うと、視線を落とした。どうしたの? と言おうとして、止めた。母さんの気持ちは何となく分かるから。
母さんは机にろうそくを置き、ベッドの脇に椅子を寄せて座った。
「青人、わたしはね、父さんも青人も立派だと思うの。真っ直ぐ黒い空に立ち向かっているから」
帰ってすぐ、研究層に戻ることは伝えていた。
「だけど......」
母さんは深く息を吸うと、ふうーと長く息をついた。
「だけど、そのまま2人に会えなくなるんじゃないかと思うと、苦しいわ」
しぼんで消えてしまうんじゃないかってくらい、母さんは小さく見えた。それ以上、悲しい顔を見ていられなかった。
「大丈夫だよ、母さん。おれも父さんも、必ず帰ってくる」
母さんは手を伸ばし、おれを抱きしめた。その小さな背中に手を回す。いつか、職人学校に出る時でさえ、恥ずかしくってすぐ離れたけど。
「大丈夫だって」
いつも励ましてくれた母さんを、おれが励ましている。いつの間にか、受け止めるのはおれになっていた。
母さんは気が済むと、おれの背中をポンと叩いて言った。
「あんたも父さんに似て、かっこよくなったわね」
「元からだよ」
母さんはあっははと、明るく笑った。見慣れた笑顔だ。全く、黒い空は気丈な人さえ弱くするのか。
「空は元に戻るよ。ほら、端が白いだろ?」
「本当......」
母さんが窓の外を眺めている間に、おれは立ち上がった。持ってきた仕事道具から、小瓶と筆を取り出す。青色の霧絵の具をろうそくの光がよく当たるところに撒き、小さな空を描いた。
日の出前の空。希望の空だ。
「あら!」
母さんの目がきらりと輝いた。もう消えてしまうという頃合いを見て、母さんはポケットから白いハンカチを出し、さっと空を写し取った。
「宝物ね」
早く本当の空を描きたい。心からそう思った。




