Q&A
黒服の女の人は大きな門の鍵を開けると、どうぞ、とわたしと青人を手招きした。その白い手が遥か遠くにあるように感じた。
あの人はわたしに何を聞きたいの?
本当は分かってる。女の人のうぐいす色の瞳は、わたしとお母さんだけの共通点、家系的な特質だと思ってた。だけど本当は、地上の目の色なんだわ。
あの人も地上の人なんだ。
あの人が聞きたいのは、地上の人間について、だ。
ふいに肩に温かい手が置かれた。わたしの目と青人の濃茶色の目が合う。ここの人の目はみんなこの色だ。青人は声に出さず、口だけを動かして言った。
無理すんな。
わたしに判断を委ねてくれている。
ああ、そうか。この人の先輩もきっと優しい人だったんだ。
街に下りた時、青人が言ったのと一緒で、わたしも正直、怖い。知るはずもなかったことが、隠されていたことがこの闇の中にずるずると姿を現してきた。
その中にわたしも含まれている。わたしは地上の人間なんだ。知りたくもないことが露になってしまう。
だからって、引き返しはしないわ。わたしもこの優しい人たちに近付きたい。空を描きたいから。
大丈夫。
青人に頷き、暗い門の中で待つろうそくの灯りに向かって歩きだした。
門を潜ると、足下の石に備え付けられたろうそくが点々と照らし出していた。ずっと奥まで続く広場の先に、三角屋根の建物がぼうっと見えた。広場には黒い小石が敷き詰められ、ろうそくの下に平たい薄灰色の石がとびとびに並んでいた。見たことのない光景だった。
女の人が灰色の石の上だけを渡っていくのに倣って歩いていく。まるで黒い空の間にある小さな雲を渡っているみたいで緊張する。炎のせいで揺らいで見えた。青人が気付いて、明るいランタンをわたしに手渡してくれた。それでも一歩一歩、慎重に踏み出す。
広場に立つ影に近付くと、うねり曲がった幹の木だと分かった。深くしわの寄った木の枝先には深緑色の針が飛び出すように生えていて不気味だ。行く道にもいくつも同じ影が立っている。
「へえ! 初めて見た」
青人はその木に近付いて、熱心に観察し始めた。その声に女の人が振り返った。
「これは松という木です」
「マツ? もしかして地上の木ですか?」
女の人はゆっくりと頷き、
「気に入って頂けたなら嬉しいです」
と少し愉快そうな声で答えた。
石を渡っていくと、建物に辿り着いた。女の人が別な鍵を取り出して開けた。左側には使い古された机の上に背の低くなったろうそくと分厚い皮の表紙の本が置かれていた。机の向こうには扉があって「宿直室」と書かれていた。右側には階段があり、2階の扉には「宿泊室」と書かれていた。
そして、正面の奥は太い木の格子で塞がれていた。嫌に暗い。わたしが立ちすくんでいると、青人が手を出したのでランタンを返した。青人が灯りをかざすと、格子の先は家が何軒も建つほど広くて、空っぽだった。黙ってわたしたちを見ていた女の人に思わず尋ねた。
「ここが地上へ通じているんですか?」
「最初の質問ですか?」
その人の顔の火傷が今、燃えているように光っていた。
「これから交互に質問をしましょう。もちろん、答えは全て真実を語ります。わたしが先に答えますから、次はあなたがわたしの質問に答えてください」
「答えなければ?」
「それで終わりです」
「......分かりました」
相手が作ったルールに乗るのは良いか悪いか、迷ったが仕方ない。できるだけ沢山聞きたいから、話してくれそうな質問から始めなくちゃいけない。
「質問を変えます」
青人に視線を送ると、わたしに頷いた。
「灰谷さんが地上から戻った日のことを教えてください」
「はい」
女性は机に近付くと、皮の本をめくり、あるページを開いた。
「記録によると、彼が来たのは新月8日午後16時47分、徒歩で来ました」
わたしと青人は記録を覗きみた。
新月8日16時8日
帰還者 灰谷
帰還予定秋月6日より半年早く、徒歩にて突如、帰還する。
記録者 日暗
わたしは何度も何度も淡々と書かれた文字を読み返してから尋ねた。
「この記録者の日暗さんは誰ですか?」
「先にわたしが質問します」
そうだ。思った通り、難しいやり取りになりそうだ。
「あなたは地上の人間ですね」
青人が心配そうな顔をした。だけどもう、始まってしまったことは止められない。こうなったら迷うことはない。
「はい」
女の人は口元だけに笑みを浮かべ、頷いた。
「日暗はこの門の責任者です。あなたはいつどこで生まれたのですか?」
「わたしは13年前に天上の街で生まれました。日暗さんはいまどこにいるんですか?」
「研究層の病院にいます」
わたしと青人は顔を見合わせた。1番会いたかった人はすぐ近くにいたんだ。女の人は構わずに新しい質問をした。
「あなたたちは何のためにここに来たのですか?」
わたしが答える前に、青人が前に進み出た。
「おれたちは空色職人を目指しています。大切な空を元に戻すために、何があったか知りたいんです」
「黒も本当の空ですよ」
「え?」
女の人は表情を変えず、次の質問をどうぞ、と言った。その真意を聞きたかったけど、大事な質問を使ってはいけない。
「......あなたが知っている灰谷さんと日暗さんの動向を教えてください」
「灰谷は帰還した翌日、不審な言動をして研究層へ向かったため、日暗は跡を追いました。その次の日、日暗は空の階段で被害に遭い、今も意識不明で研究層の病院室に入っています。灰谷が最上層倒れていたこと、後に逃走したことは先ほどの警官から聞きました」
単純に話を聞いていると、灰谷さんが犯人のように聞こえる。
「あなたのご両親とも、地上の人ですか?」
親の素性を明かすのはためらったけど、わたしが地上の人間だと答えて時点で、自然なことだ。
「はい。灰谷さんの不振な言動とは、どんなことでしたか?」
「日暗から聞いたところ、黒色の在り処について聞いてきたそうです」
青人が息を吸った。そんなはずはない、と言いたそうだった。女の人は一切気にせずに進める。
「あなたは黒い空をどう思いますか?」
「恐ろしいことだと思います。明るい太陽の光がなくては生きていけません」
「そうですか」
残念そうな言葉にイライラした。あなたは黒い空が怖くないの? 良いと思っているの? と聞きたい気持ちを何とか抑える。
「灰谷さんは1人でしたか?」
「いいえ」
青人と視線を交わす。誰と一緒だったの? その続きが語られるのを待った。静かな部屋で相手が息を吸った。
「あなたの氏名を教えてください」
あっ。
息をすることも、動くこともできなかった。青人がわたしを見ているのを感じる。暑くもないのに汗をかいた。
名前を答えたところで、姓名は隠しているのだから、家も親が誰かも突き止められるはずがない。だけど、この人がどこまで知っているのか、分からない。もしかしたら、お父さんもお母さんも危険な目に遭うかもしれない。
だけど、後1つだけ聞けば、ほしい答えに辿り着く。
一体、誰が地上から来たのか。
ここで終われない。
「わたしの氏名は......」
「答えられません」
遮ったのは青人だった。女の人は静かに微笑んだ。
「では、これまでです」
全てが真っ暗になり、遠のいていった。




