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「空色の授業」  作者: 翠野希
Ⅲ.白の追求
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地上への境界

 天上の街の中心にある駅から、北西の端にある地上への門を目指し、おれとみどりは歩いていた。暗い空を照らす灯かりも段々と数が減って、道を進むほど辺りは暗くなっていく。最後は持っているランタンが頼りになった。

「この道は誰も通らないのね」

 みどりは光のない街灯を見上げ、つぶやいた。確かに誰も行かないのだろう。電気を大切に使わなくてはならない時に、地上の門に続く道を照らす必要はない。

 だけどおれたちだけは、門の管理人に用がある。

そっとポケットの中の紙片に触れる。

「おれが天上に連れて来たせいで、とんでもないことになってしまった。早く見つけ出さないと」

 灰谷さんは地上から誰を連れてきたんだ?


 行く道は街から外れ、大きな杉林の黒い影が立ち並ぶ。いつもならむっくりとした杉の影の形は好きだけど、空を黒く塗りつぶした人物がこの道を通ったかもしれないと思うと不気味だった。

「青人」

 呼ばれてハッとし、みどりの指す前方に揺れる灯りを見つけた。

 誰か来る。瞬間、ランタンの火を吹き消した。

「こっちだ」

 杉たちの間に隠れ、息を潜める。こんな時にこの道を通るなんて、何者なんだ?

灯りが大きくなるにつれ、段々と相手が見えてきた。紺色の制服の2人組、上空警察だ。通り過ぎるわずかな間、その会話が耳に入った。

「彼は1人だったんですね。たった3日で事件を起こすなんて可能でしょうか?」

「地上に滞在した期間を含めれば24日間だ。十分、準備をする時間はあったはずだ」

 灰谷さんのことを病院で聞いてきた警官だった。


 警察2人が遠く離れていくのを待つ間、たった今聞いた言葉がぐるぐると回っていた。


 彼は1人だったんですね。

 

 そんなはずはない。だって、ここにあるメッセージには、誰かを連れて来たって書いてある。

 それとも...。

 胸の奥が凍り付くほど冷たくなった。口を押さえたが、頭の中に浮かんだことまでは消せなかった。

 灰谷さんは嘘をついているのか?

「青人」

 春の虫が消えて静かになった森に、みどりの声はしんと響いた。暗がりの中、うぐいす色の瞳が心配そうに見つめているのを感じた。

 いけない。後輩に、年下の女の子に心配されちゃ。いくら空の描き方を教えてくれた先輩のことだとしても。

 しっかりしろ。

 メモの入った反対のポケットに手を突っ込み、マッチを取り出し、火を点ける。小さな火をランタンに灯すと、赤い炎をあげた。

「行こう」

 みどりは頷いた。その目は赤く燃えていた。

 闇ばかりを見つめていられない。


 それからどれくらい歩いたんだろう? 「地上への門」と書かれた看板を見つけた後も、それらしきものはなかなか見えてこなかった。2人で歩き続けた。

 頭上を羽音が通り過ぎた。気配のなかった森に、ほう、とフクロウの声が響いた。まもなく行く先で、ほう、ほうと、仲間の声がこだました。その方向をみどりが指差した。

「灯りがあるわ」

 目を凝らすと、ぼうっと暗い灯りが揺れていた。

 

 近付いていくと、高い杉の木をそのままに建てられた、大きな塀が現れた。黒い燭台のろうそく1つが「地上への門」と立派な柱に彫られた文字を照らし出していた。その奥の門は固く閉ざされていた。

 分厚い木の壁をコツコツと叩き、

「誰かいますか?」

 と声を掛けた。しばらく待っても、返事はなかった。

 おれがもう一度手を上げた時、

 ゴンゴンゴンゴン!

 黙っていたみどりは力一杯に扉を叩いた。

「誰かいるんですよね? 開けてください。ここに来た警察の人たちと会いました」

 そいつは良い手だ。思わずにやりとした。全く、正々堂々、体当たりなやつだ。すうっと深く息を吸い、手を大きく振りかざした。

 ドンドンドンドン!

「聞きたいことがあるんです! おれたちはそのために研究層から来ました」

 2人で目一杯に叩いている時だ。

「そんなに叩かなくても聞こえています」

 背後から、女性の声が凛と響いた。杉の木が化けたような、背の高い人だった。黒い布を全身にまとい、顔はほとんどフードで隠れている。その人とおれたちはお互いを見定めるように、長い間、対峙していた。

 

 フクロウが遠くでほう、と鳴いた。

「聞きたいこととは何ですか?」

 先に沈黙を破ったのは、黒い女性だった。

「空色職人の灰谷さんという人について聞きたいんです」

「警察に会ったなら、彼らに話した通りですよ」

 みどりが前に歩み出た。

「子どもには教えられないと、何も話してくれませんでした。あなたから聞きたいんです」

 相手はみどりをじっと見つめた。フードの奥でその目はよく見えない。

 もう一押しだ。おれはみどりと並び、その人に訴えた。

「大事な先輩なんです。知っていることを教えてください」

 ほう、ほう、ほうと、森のあちこちで夜の鳥たちは声を上げた。


「では、わたしにも聞かせてください」

 女性は真っ直ぐみどりに歩み寄ってきた。おれは反射的にみどりをかばった。それから黒いフードが下ろされた時、おれたちは息をのんだ。

 顔の左半分がひどい火傷で覆われていた。もっと驚いたのは、その人の瞳がみどりと同じうぐいす色だったことだ。

「わたしはあなたたちの聞きたいことを話しますから、あなたはわたしの聞きたいことを話してください」

 うぐいす色の目と目が、強い視線を交わす。

 みどりは相手の目を食い入るように見、口をぐっと結んでから答えた。

「わかりました。でも、そちらの話が先です」

「良いでしょう」

 女性は目を伏せ、おれたちの脇を通り過ぎ、門の前に立った。重そうな鍵を取り出して門を開けると、その白い手で中へと招いた。






次の扉を開けるのは、いつでも真摯な心です。

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