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「空色の授業」  作者: 翠野希
Ⅲ.白の追求
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空の修復

 山吹は息を切らし、森の中を走り抜けた。紅のアトリエに立ち寄って、集合に間に合うかギリギリになってしまった。

 森の終わりまで来ると、空の階段の下層へ続く門が見えてきた。灯りに2人の人物の影がぼうっと照らされている。

 間に合ったか。

 だが、その影は黒い空を修復する職人ではなく、知らない年配の警備員だった。時間内には辿り着いたが、先に行ってしまったらしい。警備員は荒い呼吸の山吹をにらみつけた。

「何用だ?」

 威圧的な態度なのは当たり前だ。空が黒く染まってから警備は厳重になったのだろう。

「空の修復に来ました」

「学生だろう?」

 警備員はなお怪訝そうに目を細めた。データ描写の山吹以外、ほかの学生は実習中止で来るはずもないのだから、疑われても仕方ない。普段この門に就いている警備員は、紺藤や葵と同じく、病院にいるのだ。

「データ技師の数合わせで呼ばれたんです」

 警備員たちは不信な学生をじっと見据えた。山吹は嫌な汗をかいた。本当のことではあるが、証明も何もできない。早く来て先輩たちと合流すれば何の問題もなかったのだ。

 警備員が口を開きかけた時、彼らの背後で門が開いた。

「彼の言っていることは本当です」

 毅然としたその人は、警備員以上の威圧感があった。

「白先生…」

 山吹はほっとしたと同時に、深く後悔した。


「あの、ありがとうございました」

 山吹は先に階段を行く白の背中に礼を言った。

「いいえ、君の主張したことは正しいのですから」

 山吹が密かにため息をついたところで白は、ただし、と足を止めた。

「職人は時間厳守でなくては勤まりません」

 そう言った白の目は刃物のように鋭く、山吹は頷くだけで精一杯であった。

 

 上層の門の前に来ると、白は再び立ち止まった。

「仕事が終わったら君に話があります。研究層の境で待っていてください」

「…分かりました」

 どうも白先生は苦手だ。いや、苦手じゃない人はいるのか?

 山吹は1人、現場へと逃げるように走った。彼の耳には自分の足音が嫌に響いた。


 山吹が上層の投影室に入ると、20人あまりの職人たちが忙しなく走り回っていた。

「遅くなりました」

 声を掛けても誰も気に留める者はないほどで、山吹は遅れてきたことを心から反省した。

「山吹、絵の具!」

 パソコンの画面を食い入るように見つめる師匠の乾爺は、振り返りもせずに叫ぶ。我に返った山吹は散霧機の元へ続く白い絵の具のバケツリレーの列に加わった。さすが上層ということもあって、山吹が今まで見た中で1番大きな1メートル四方の散霧機が4台あった。

「今頃になって、わしらの仕事が認められるとはなあ! これだからバカでかいマシンを造る費用を出せと言っとったのに」

 悪態をついても乾爺のキーを叩く速度は緩まることを知らず、カチカチカチと響いた。


「師匠、これで白色濃度はいくつですか?」

 負けじとキーを叩く1番弟子の先輩が乾爺に叫ぶ。

「7.005パーセントだ」

 それぞれの持ち場で嘆く声もあり、喜びの声も上がった。広い大気で0.001パーセントがどれほど大きい数値か、皆よく分かっている。しかし、これだけ時間を掛けてと落胆するのも仕方なかった。

「大丈夫だ。目視できなくとも、確実に上昇している。この6時間で0.005パーセント上昇。白色の回収率が徐々に上がっていくから、計算上、次は0.007パーセント上昇で濃度7.012パーセントだ。段々楽になる」

「つまりは2週間で元通りになる訳ですね」

 答えたのは1番弟子だ。ほかの者たちは2人の計算についていけなかった。

 2週間ということは、100年前の半分の時間で修復することができる。ただ、誰もその間にどれほど寒冷化するのか、予測できなかった。黒い空になって3日目、気候は春から初秋に変わっていた。

 放っておけば、世界は凍りつく。

 山吹の脳裏に、紅の顔が浮ぶ。

「させるかー!」

 若造の叫びに、いつも冷静沈着なデータ技師たちは熱く燃えた。





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