桂の林で
山吹は青人が出発したあと、1人、森の中を早足で歩いていた。その足取りは、ほとんど走っているも同然だった。
しばらく歩くと、丸い葉の林に辿り着いた。
あがった息も整えず、白い扉をノックする。はい、とすぐに返事が返って来た。
「山吹、どうしたの?そんなに急いで来て」
「へへっ、そりゃ紅を心配して来たに決まってンでしょ」
「バカね」
紅は呆れて笑いながら、山吹を招き入れた。
あーあ、どうしてこう、軽くしちゃうんだか、と山吹は心の中で自分自身にぼやいた。でもま、紅の言う、バカね、は悪くない返事だ。
「これから忙しくなるから、顔出しに来たんだ」
「忙しくなるって?」
「空の修復をすんのよ」
「修復って...生徒は暗闇の作業が危険だからって、参加できないはずじゃない」
「それが、データ描写の技術者が欲しいんだと。大事な白い絵の具を節約したいんだって。データを送られた機械自体が空気中の色を集めることができるから」
「なるほどね。その手の職人が少ないから、山吹にも声が掛かったってことか」
「そゆこと」
山吹はチラッと時計を見た。せっかく来たが、話をできる時間は限られている。
「紅は街に帰る?」
「ううん。草花の世話があるから」
紅は染料にする茜や紅花を育てている。
「これから寒くなるだろうから、鉢に移して少しでも生かしてあげたいのよ」
部屋の中にはすでに植物が移された鉢と、空っぽの鉢がいくつもあった。
「百年前と違って、電気があって良かったわ。灯りも暖房もあるんだもの。だけど、いつまでも使える訳じゃない。そうなれば、私も街へ帰るしかないわ」
そう言って紅が深くため息をつくと、山吹は慌てて言った。
「大丈夫、空の技術も進歩したんだ。おれが空を直す!」
山吹の意気込んだ様子に、紅はしばし瞬きをした。それから明るく笑い、そうね、本当にそう、と何度も言った。山吹もいつの間にか握りしめていた拳をほどき、同じく笑った。
山吹がもう一度時計を見ると、もう行かなくてはいけない時間だった。
「ありがと。それから、気を付けてね」
「うん。紅もな」
山吹はまた来ると言って、紅のアトリエを後にした。結局、灰谷さんが地上から帰っていて、警察が捜していることと、青人がその真意を探りに街に下りたことは言わなかった。
だけどそれを話したら、紅はさらに心配することが増えてしまっただろう。だから、その話はまた今度で良い。
山吹は自分にそう言い聞かせて、桂の林を早足で抜けていった。
紅は山吹を見送ると、植物を鉢に移すために道具を持って外へ出た。ろうそくで照らされた畑は怪し気で、アトリエの中に帰ってしまいたくなる。だが、愛しい植物を放ってはおけない、と自らを奮い立たせ、土を掘った。
視界の隅に、ろうそくの火と異なる動きをする影が見えた。
「山吹?」
彼女は手を止め、ろうそくをかざした。




