天上の街へ
早朝の駅は濃い霧に包まれ、ぼんやりと辺りを照らしていた。
おれは駅の時計塔を目指し、人の波をぬって歩く。外灯の下、いつもの10倍はいるんじゃないかってくらい人で溢れている。
この闇の中じゃ、みんな街に帰るよな。
と思ったところで、上着が人の間に挟まれて、進めなくなった。これじゃいつになったら電車に乗れるかわかんないよ。
やっと時計の下に辿り着いたが、待ち合わせの人だかりでなかなか見つからない。柱を1周して戻った時、精一杯伸ばした手が大きく揺れた。
「青人ー!」
みどりが背の高い大人たちの間から近付いて来る。俺も大きく手を振り返し、歩み寄る。
何とか会えたところで、すぐに改札に出来た列に並ぶ。改札までの列は駅の外まで延びていて、最後尾は待ち合わせた時計塔より離れている。
「早く出て正解だったな」
「青人も寮を1番に出て来たの?」
そう、と答え、同じことを聞き返すと、みどりも頷いた。
おれたちは地上と天上のの境界を管理する門番に会ったらすぐ研究層に戻るつもりだから、荷物をまとめる必要もなかった。
「山吹さんは?」
「空の修復に呼ばれたから、帰らないんだ」
「空の、修復?」
そっか、みどりは入学ばっかりだから、知らないよな。
「百年前、ありったけの白を塗って、空を元に戻したんだ。というと簡単だけど、空色職人たちはその方法まで辿り着くのに苦労したし、時間も掛かったんだ」
「そう言えば、白先生が言ってたわ。直すのに1ヶ月掛かったって。おかげで多くの命が犠牲になったことも」
「そう、全く馬鹿げたことさ」
背後から知らない声がそう言った。振り返ると、古びた杖に見を預けた、白髪の老婆だった。
「私の両親は、その黒い空のせいで死んだそうだよ。教えてくれたのは、変わりに育ててくれた兄さんたちだ。だから私は、親の顔を拝んだことがないのさ」
老婆の地の底から響くような低い声に、みどりもおれも息をのんだ。
「だけど、その後に残された、悲惨な光景はよく覚えているよ。土も家も人も、何もかも、真っ黒だった。
空は白くなったってのに、黒い絵の具はそこかしこに染み付いて、すぐには消えなかったんだ」
最初は怒りに震えていたお婆さんは、終わりの方では涙に震えていた。その震える手を、隣りにいたおばさんが優しく包んだ。
「大丈夫よ。この子たちが言った通り、うちの人が空を直してくれるから」
その人の旦那さんが空色職人らしい。
「おどかしてしまってごめんなさいね」
「いえ...」
老婆とおばさんが列から離れようとした背中に、みどりが声を掛けた。
「わたしたちが空を取り戻します。だから、泣かないでください」
それを聞いて、老婆がおお、と低い声でうなり、おばさんはにっこり笑い、ありがとう、と言った。このやり取りを聞いていた大人たちが話し掛けて来た。
「お嬢さん、言うねえ!負けてらんねえな」
「わたしたちもやれることをやるわ」
「街に戻ったら、職人たちに食べ物を送ろう」
重く淀んでいた人たちが、一気に活気づき、口々に声を上げた。
おれはその姿を見て、しばし呆然とした。
「みどり、すごいな」
みどりは照れくさそうに笑いながら答えた。
「ううん。すごいのは、皆よ」
人って、強いな。
水色の電車がいよいよ近付いて来ると、誰に向ける訳でもなく、頷いていた。
大丈夫。おれたちは、必ずやるよ。
とんと進まなかった物語が、みどりの一声から流れ出しそうです。




