未解決の色
「過去の事件は、歴史上の物語みたいになっていますがね。もう百年以上も前のことで、当時生きていた人はいないのですから」
白先生はそう前置きをして話し始めた。
「紺碧3年8月の真昼に突如、空が黒く染まりました。星の光さえ失った人々は闇の中でさまよい、行方知れずになったり、川や崖に落ちて死んでゆきました。
「また、太陽が出ないために真夏から真冬に変わり、水も大地も凍りついたのです。動物も植物も、あらゆる生き物が急激な環境の変化に適応できませんでした。そうして訪れた冬に凍え、飢え、多くの命が犠牲になったという記録が残っています。
「空色職人はありったけの白を使い、何とか塗り替えましたが、それには1ヶ月も掛かったのです。今の話から、この時間がどれだけ長いものか、お分かりでしょう」
わたしは重く垂れ込める外の闇をちらりと見た。
「2度と同じ過ちが繰り返されないよう、空の禁止事項に『黒の使用禁止』を記載し、黒は回収されて、全て処分したのです」
その一言に、わたしと桃枝は思わず、えっ、と声を漏らした。
「ちょっと待ってよ。じゃあここにあった黒は何だっていうの?」
白先生は細い目をさら細めた。わたしたちは黙っているほかなかった。
ずっと腕組みしながら話を聞いていた木先生が、はあーと大きなため息をついた。
「だから、お前たちは何も聞かずに帰ってりゃ良かったものを」
木先生はだるそうに、もたれていた壁から背を放し、続けた。
「空色職人学校のもう1つの顔は、空色研究所だ。つまり、この世に存在する、あらゆる色の限りない研究機関なんだ。黒を研究対象外にはできない」
「だからって持っていたら危険ですよね?」
現に、外に広がる黒色がそう物語っている。誰かに悪用されたのだ。
「そう、故に黒がここにあることは研究所の重要機密なのです」
「おまえらも職人を目指す身だ。誰にも言うな」
やっぱりわたしたちは、とんでもないことを聞いてしまったんだ。
わたしはもう1つ、気になることを聞いた。
「黒を処分したって、どこに捨てたんですか?」
「詳しくは分からないが、記録によれば、捨てたってより元に戻したらしい」
「元に...?」
「黒色は本来、天上には存在しない色だったのです」
『天上には』という言葉に、わたしはドキッとした。つまりは…
「黒は、地上から持ち出された色、と言われています。近年、地上へ赴いた研究者が黒を発見したのです。そのことから、過去の事件は未だ解明されていませんが、地上人の仕業であったという見方もできます」
わたしは全身の血が冷たく凍るようだった。
まさか、いや、でも、憶測に過ぎない。だって、未解決なんだから。
「研究者によれば、黒色は地上の岩の洞窟や地下の奥深く漂っている、と報告されています。先人は地上のそのような場所に返したようです」
わたしは何だか寒くて仕方なくって、身震いした。
「みどり、大丈夫?」
小声で尋ねた桃枝に、かろうじて頷いて見せた。
「少し話し過ぎましたね。後は我々に任せて、帰りなさい」
今まで鋭かった白先生の目が、わずかに和らいだように見えた。なんだかんだ言って、先生なんだ、とぼんやり思った。
実習灯を後にし、桃枝と川伝いに歩きながら、懐中電灯の光を受けて仄かにきらめく水面を、ずっと見つめていた。闇の中でも、きっと水はきれいなんだ。
でも、でも。
人の心は、きれいなの?




