過去の色
わたしの目の前は青い霧がかかっている。やっぱり切り絵の具のバケツを蹴飛ばしたんだ。
桃枝は追いかけて来た人物の顔を見て、声を上げた。
「木先生!」
「お前たち、1年の桃枝とみどりか!」
木先生は、入学試験の面接官だったから、よく覚えている。
もう一人は実技試験の試験官をしていた白先生だ。
「こんな時分に何しに来た?」
「何だかじっとしてられなくて」
「バカッ!」
素直に答えた桃枝は即刻叱られ、しおれてしまった。
慌ててわたしが口を挟む。
「すみません。こんな空になってしまった理由を、少しでも探りたかったんです」
その言葉を聞くと、白先生は、ほう、と低く声を漏らした。
「それでここまで来たと言うのなら、悪くない」
「白さん、何感心してんですか!」
白先生と木先生は、名前は似てるけど、性格は全然違う。
「とにかく、帰った帰った!」
木先生が追い払おうとするのを、桃枝は反撃に出た。
「このまま帰して良いんですか?わたしたち、聞いちゃったんですよ」
ね、と桃枝がわたしに振るので、仕方なく答える。
「ええっと、黒い絵の具がどうとか」
木先生は、なっ、と短く声を上げ、白先生は眉間にしわを寄せ、黙っていた。
桃枝はその反応に満足して続けた。
「どこの誰に話すか、分かりませんよ」
「講師を脅迫してどうする?!」
全く桃枝ったら、驚きを通り越して呆れちゃうわ。
「聞いてしまったんなら仕方ない」
またしても意外なことを言ったのは、白先生だった。木先生が何か言おうとするのを、白先生は制して
続ける。
「こんなことが起きたんです。この際しっかり教えてあげましょう。ただし、他言無用だ。話が広がれば、君たちには出てってもらうからね」
白先生の鋭く光る目に、わたしも桃枝も黙って頷くしかなかった。
「ついて来てください」
わたしたちは白先生について行き、黒い部屋の前に戻った。開けられた部屋は、床いっぱいに割れたガラスが散らばっていた。
「これ...何が割れたんですか?」
「君が言った通り、黒い絵の具の瓶さ」
「このガラスの瓶なら、かなり大きくない?」
桃枝が言うように、確かに大量の分厚いガラス片だった。
「簡単に盗めないようにな。まさかこれを持って行くとは驚いたが」
木先生はいまいましげに床を睨みつけながら答えた。
「でも、学校の中にあったら、危険じゃない?」
「人の目についた方が良いのさ。森の中の人知れず建っている謎の倉庫なんてのがあったら、逆に気になるだろ?」
「それにこの部屋は普段、二重にロックされ、生徒が勝手に入れないようになっています」
「ここを通らないと次の部屋に行けないでしょ?」
「研究室の脇には廊下があるんだ」
扉を出た木先生について行くと、確かにガラスの廊下があった。
「そうなると、誰がこの部屋を開けられるんですか?」
「その質問には答えられません」
白先生がわたしの質問をピシャリと切り捨てた。
「教えてくれるんじゃなかったの?」
桃枝はすかさず抗議した。
「何でも教えるとは言ってません。君たちが知るべきなのは、この絵の具のことです」
「だったら、絵の具について教えてください。この黒はどこから来たんですか?」
白先生は相変わらずの鋭い目つきで、わたしを見た。
構わずわたしは続ける。
「『今回の黒は』って言ってましたよね?だったら、前にも同じことが起きたんですか?」
重い沈黙が漂った。
しかし、白先生はうつむいたかと思うと、急に大きな声で笑い出した。わたしたちも驚いたけど、木先生が一番ぎょっとしていた。
「みどりさんはなかなかですね。君のような生徒が来るとは、嬉しいですよ」
喜んで良いものか分からないでいると、白先生は話し出した。
「今から話すことは、一番君たちに覚えていて欲しいことです」
もしかしてわたしは、とんでもないことを聞いてしまったのかしら?




