黒い絵の具
わたしと桃枝は、寮から持ち出した大きな懐中電灯を頼りに、2年生の実習棟を目指した。
「モモ、こんな暗闇で分かるの?」
「この川を上っていけば大丈夫よ。川の側にあったから」
川の水音を聞きながら歩いて行くと、キラリと光るものが見えた。
「ほら、あれよ」
桃枝が懐中電灯をかざすと、壁から天井まで曲面で繋がった、透明な建物が見えた。
わたしは青人のアトリエで見た、霧絵の具を集める傘を思い出した。
「全体がドーナッツみたいな形なの。この透明な部屋で空を描いてたのよ」
建物の中は、また透明な壁で仕切られていた。全体は見えないが、沢山部屋がありそうだ。
入り口を探してしばらくドーナッツの円周に沿って歩いていると、銀の壁で覆われた部屋があった。
「2年生の先輩によれば、画材倉庫や講師の研究室なんですって」
その先にも、白や木の壁の部屋が現れ、内側は見えない。
誰かがいるらしく、建物の中から灯りが漏れていた。
わたしたちは暗闇の中、出掛けていることをとがめられる気がして、足音を立てないよう、静かに入って様子を窺う。
透けて見えるところに人はおらず、さっき脇を通った黒壁の部屋まで灯りが点いていた。
「あの部屋まで行こ」
と桃枝は言うが、わたしは慎重に行きたい。
「隠れる所がないのよ。外からも丸見えだし」
「何も見つけないまま帰れないでしょ?」
それはわたしも思うけど。
だったら…。
「灯りを消しながら行こう。それなら隠れられるわ」
「みどり頭い―ね!」
わたしたちは新しい部屋に入る度に、灯りを消して進んで行った。
おかげで桃枝はバケツをひっくり返した。中身が跡に残らない霧絵の具であることを祈る。
無事に黒い部屋に辿り着くと、桃枝はすかさず扉に聞き耳を立てた。わたしも後に続く。
「一体誰がこんなことを…」
「これを使って空に撒いたということですよね」
大人2人の声がする。
「今回の黒い霧を回収したら、厳重に管理しなくてはいけませんね」
「ねぇみどり、何の話かしら?」
黒い霧を集めるのだから…
「黒い絵の具のことじゃない?」
「黒い絵の具?!それってまさか…」
桃枝、声大きいって!と、わたしはひとさし指を立てて静かに、の合図をする。
「とにかくこれは、報告しないといけませんね」
と、足音が近付いて来た。
まずいわ!
「モモ、行こう!」
わたしは桃枝の手を取り、すぐに隣の部屋まで走った。
背後では電気が点き、異変に気が付いた大人たちも走り出すのが見えた。
「わたしたち、ヤバイんじゃない?」
「そんなこと言ってる場合じゃないって!」
とは言え、わたしも桃枝に同感だ。
再び追跡者の様子を窺おうと振り返った時、
「あっ!」
ガッシャ!
来た時と同じく、バケツに引っ掛けてしまった。今度は二人まとめて、盛大に転ぶはめになった。
すぐに立ち上がろうとしたが、ビリッと痛みが走る。足を捻ったみたい。
まもなく部屋の灯りが点き、わたしはその眩しさに手をかざした。




