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「空色の授業」  作者: 翠野希
Ⅰ.空を描く人
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空の中層にて

 おれは視界いっぱいの青空を見て、誇らしく感じていた。空に筆を入れては、離れて出来を確かめる。まだ実習とは言え、本当の空を描いてるんだ。

ここ、空の中層では同じ3年生があと7人、一緒に朝番をしている。空を映すドームで、実習生の中では一番高い地点を任されている。高いほど影響が大きいから、嬉しいポジションだ。

 ドーム内の円周上には、長く緩やかな螺旋階段が続いている。原画は拡大投影される分、細かな描写を加えなくちゃいけない。

 緻密に描くのが好きだから、結構この作業が楽しい。でもやっぱり、原画を描きたい。朝番が終わったら、すぐ卒業制作に手をつけよう。

卒業制作の空は採用先の職人たちが見に来て、気に入った生徒をスカウトすることがある。そのために描く訳じゃないけど、卒業後の近い将来に関わって来る。

 それに、こんなに時間を取って1つの空を描けることは、後にも先にも卒制だけだ。

だから思いのまま描きたい。全てを、空っぽになるくらいエネルギーを込めて。

 その時、昨日のみどりの筆使いを思い出した。小さな身体を使い、大胆に力を振り絞って描いていた。まだ固いけど、慣れれば気持ち良くいくはずだ。

おれはああいう風に全部を投げつけて描きたい。

「なあにボーとしてんだよ、青人!」

 背中をべしっと先輩の職人から叩かれた。思わず背筋が伸びる。

 いけね、今本当に別のこと考えてた。

 目の前の空に同じ手跡が重なっていた。

 遠くから鐘の音が響き渡る。白鳥が数羽、ドームの上を飛んで行く。この鐘が鳴ると、終了の合図だ。

 空は時間厳守。だから締切りまでにどこまで詰められるか、職人たちの手腕が問われる。

 みんな筆を仕舞い、絵の具を集め、片付け始める。おれたち全員が出て行かないと、後に控えている技師たちが空を投影できないから、素早く済ませなくちゃいけない。高い方が下りるまで遠いから、自覚しなきゃだめだ。

 それに、上手い人ほど、仕事も片付けも速く、きれいだ。おれが見た限りでは、使いながら片付けたり、最小限の道具でこなしたりしてるのがコツらしい。

 全員が外に出ると、投影技師の作業が始まる。

「青人、帰ろう」

 声を掛けて来たのは、紅だった。よく「ベに」と間違われるけど、彼女の名前は「くれない」と言う。

 おれは他の3年の男たちの白い目をちらりと窺い、見ないふりをして頷いた。分かるけどさ、紅は美人だから。だけど、そうゆうんじゃないんだって。

紅とは山吹と同じく、小さい頃からの付き合いだ。だからって周りの連中は納得する訳じゃないから、挨拶して団体から離れて歩き出した。

「紅は実習、ここで良かったの? 霧絵の具は専門じゃないでしょ」

「だって染めは実習先がないんだもの」

 紅は染織を空の原画にしている。熱した霧絵の具に布を浸し、染め上げる。

 思い通りに製作するには経験と努力を積むしかない。その地道に、確実に積み重ねるところが、紅に合ったんだろな。

 あと、「全部が思い通りにいかないから面白い」らしい。

「あれ、青人。白衣どうしたの?」

 言われておれは身辺全てを見回した。ない。

「やっちまった。忘れた」

 紅は呆れてたように笑った。

「相変わらず、忘れっぽいんだから」

 なんだか母親みたいだ。

「取り行って来る! 先帰ってて」

 紅に片手を上げ、今下りたばかりの空の階段を駆け上がった。

 もう下層の門の近くまで来ていたから、結構遠い。早くしないと、白衣まで空に映ってしまう。

 それはそれで見てみたいけど、きっと怒られるだけじゃ済まない。

 階段から透けて見える青空は、そんなおれにお構いなしで、のんびりと白雲を浮かべていた。

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