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第3話

街の郊外に位置する屋敷に、二頭立ての馬車が乗り付けられた。裏手には庭園があり、よく手入れされた木々が点在していた。

裏口で車輪が止まった。迎えに出てきたのは、女の使用人が二人だけだった。ネイザは彼女らに抱えられ、部屋に連れて行かれた。

イズマは馬車を厩舎に回し、馬の世話をした。すぐにでもネイザの様子を見に行きたかったが、拒絶されるのは明らかだった。時間をおいて、訪れることにした。

「お嬢様、見つかったんだって?」

年配の男がイズマに近づいてきた。

「はい。先ほど、到着しました」

「よく見つかったな。放蕩娘に旦那様も頭が痛いところだな」

イズマは愛想笑いを浮かべた。

「護衛の任に戻ります」

頭を下げて厩舎を後にした。ご苦労様という言葉がかけられたが、聞こえない振りをした。悪口を言った男の顔を頭に刻んだ。彼の頭の中は、屋敷で働く使用人の顔で埋め尽くされていた。

「僕は違いますから」

イズマは手に残るネイザの感触を思い出した。病的なほど真っ白な裸体と、黒く長い髪、冷たい眼差しが、彼の中で熾き火となっていた。男の欲が駆け巡り、疼いていた。

ネイザは、人を人と思わない態度を取りながら、ルゥの安否を気遣っていた。あれほどの傷を負わせ、痛めつけても、命を奪うつもりはなかったようだ。

歪んだ優しさだった。イズマは羨んだ。その優しさを、少しでも自分に向けてくれたらと夢想する。

暗い笑いが浮かんできた。数日もの間、ネイザと二人きりで過ごした少女に嫉妬していると気づいた。ただの使用人の分際で、ネイザを独り占めにするとは生意気にも程があった。

分不相応な体験をした女は、死んで当然だった。殺す気がなかったにせよ、大量の失血の一因は確かに彼にあった。

歩きなれた廊下の先に、ネイザの居室があった。ちょうど、執事が青い顔で出て来るところだった。

「ネイザ様は、薬を飲んで寝ている。後は頼んだぞ」

「はい」

年老いた執事は、何日も捜索の指揮を執っていた。ネイザが見つかり、安堵した今は、疲労の極みだろう。白髪と皺に覆われた顔は、イズマのリストにはなかった。

入れ替わりに室内に入った。腰の刀を外して、卓に置いた。奥の扉は、ネイザの居室へと続いている。護衛の待機する部屋でもあった。

イズマは椅子に腰をかけると、疲労感を感じた。ずっと働きづめだった。執事と同じで、彼も満足に寝ていなかった。目を閉じれば、あっという間に眠りに落ちるだろう。だが、それはできなかった。役目を放棄することになる。

ちらりと、奥へと続く扉を見た。

ネイザは夢を見ているだろうか。薬による睡眠は深く、身体を休めるものだ。暗い闇の中に埋没しているのかもしれない。

イズマは腹の底で揺らめく欲望を感じた。赤く蠢くものが、徐々に大きくなっていた。皆が寝静まるまでの時間が、待ち遠しかった。


イズマは後ろ手に扉を閉めた。暗がりが包み込んだ。

花の香り。そこにわずかな血の臭いが混じっていた。何よりも、彼を興奮させる匂いの源があった。若い女の匂いだ。血の臭いもそこから立ち上っていた。

匂いに溢れた空気を深く吸い込んだ。肺の中に送り込み、幸せな気分に浸った。心臓の鼓動が早まってくる。耳元で脈動がうるさかった。誰に聞かれることもなかったが、知らずのうちに気配を探っていた。彼女と自分以外、誰もいなかった。

ネイザはよく眠っていた。熟睡というよりは、昏睡に近い。薬により、強制的に眠りを導引しなければ、身体に負担が大きかったのだ。何日も飲まず食わずで、血も失っていた。命に危険が及びかねないという判断だった。

イズマは、ネイザの寝顔に触れた。反応はなかった。いやがる素振りもなかった。眠っているからこそだ。意識があるときに同じことをすれば、振り払われ、きつい言葉を投げつけられる。いや、そもそも近づくことさえ無理だろう。護衛という任についていながら、身辺を守ることを拒絶されていた。

イズマは彼女のほつれた髪を整え、額に手を添えた。少し熱があった。

手で触れて体調を確かめる。子供の頃は、よくそのようなことをしていた。なのに、いつの頃からか拒まれるようになった。大人に近づくことで、身分の違いを自覚したからだろうか。親しく接した記憶は、すでに遙か彼方だった。

細い肩が少し出ていた。イズマは上掛けを持ち上げ、剥ぎ取った。

「ネイザ様」

耳元で囁いても、返事はなかった。

長い髪が枕元に広がっていた。湯浴みよりも休養が第一と考えたのだろう、身体を拭かれただけで、髪の手入れはされていなかった。小さな血の固まりがこびりついていた。

イズマは指先で汚れをつまみ、取り除いた。

「見つけましたよ」

二の腕を撫でた。イズマのささくれた指先が、ネイザの肌に白い筋をつけた。起きる様子はなかった。

手首の包帯に触れた。やわらかい布の下にはネイザ自身がつけた傷が隠されていた。包帯の上から傷口をなぞった。彼女を発見したとき、最初に目を奪われた傷だった。

美しい肌の上に、綺麗な裂け目が見えた。よほど鋭利な刃物でなければ、こうはならない。皮膚を切ったというよりは、開いたと言ったほうがよいくらいだ。人に血液が流れていなければ、肉の中をよく観察できた。

イズマは包帯に顔を寄せた。湿った血と体液の匂いが彼を震わせた。

「時間はかかりましたが、僕が見つけたんだ」

細い指の間に、固い指を這わせた。指先同士が近づいていった。白い指と、男の指が交互に重なった。そして、ゆっくりと押し広げられていった。小さな手の甲が汗で湿り気を帯びた。

「僕以外は見つけられなかった。僕がいないと、あなたは」

イズマの吐息がネイザの口に吸い込まれた。少し荒れた唇を押し広げた。歯が邪魔をした。侵入を阻んでいた。

「こんな状態でも、僕を拒むんですか」

離れ際、粘ついた糸が細く切れた。

「では、こちらにしますよ」

夜着に手をかけた。結びは緩んでいた。身体を締め付けないようにとの配慮だった。おかげで、解くのは造作もなかった。

現れた裸体をつぶさに眺めた。助け出したとき、脳裏に焼き付けておいた記憶と違いはなかった。その記憶を再びなぞり、深く刻みつけた。

普段は衣服が邪魔している乳房を撫で回した。やわらかい感触と、反発する弾力が彼を楽しませた。

あばらが浮きそうなほどやせ細った腹をつたい、腰骨に向かった。目を近づけないとわからないくらい薄い毛に触れた。頬を埋め、匂いを貪った。

「ネイザ……」

呼び捨てにすると、激しい衝動がわいてきた。炎が沸き立った。

奥歯を噛みしめて抑え込んだ。目をそらして耐えた。自制心が戻ってくるまで、しばらく時間が必要だった。だが、一度ついた欲望の火は消え去らなかった。

「少しだけならいいだろ?」

馴れ馴れしい問いかけに、答えはない。

「助けてあげたんだ。ご褒美をくれるよね?」

身勝手な要求だった。それを指摘する者はいなかった。

彼ら以外、誰もいない。誰も知らない。誰も見ていなかった。

寝台が沈みこんだ。

暗がりの中で、炎が激しく躍った。


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