表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

第2話

日が傾いていることに気づいた。

薄い光が、窓辺の花を包み込んでいた。萎れて、花弁を垂らしている。しばらく日に当たっていなかったようだ。鉢の水も枯れ果てていた。

ネイザの唇は濡れていた。じわりと湧いて出てくる液体によって、潤わされていた。それも残り少なくなってきた。

唇に残ったものをルゥに与えた。彼女は、弱々しく吸い付いて来た。舌先が動き、舐めとっていった。

ほんの少しの分け前でしかない。足りていないのだろう。何度も舌が見え隠れした。

ネイザはもう一度、ルゥの手首から赤い血潮をすくいあげた。味が薄かった。貴重な血液が、絶えようとしていた。

ルゥは浅い呼吸を繰り返していた。半開きの目は虚空を見ていた。

「終わりなの?」

ネイザの問いに、答えはなかった。

「終わりなのね」

何日が経過しただろう。壁の傷を見ると、三本の線があった。

「お前は、このくらいなのね」

ネイザは青白い顔を傾げた。そばに置いていたナイフを取った。

自分の腕を見た。消えかけた筋を軽くなぞった。新たな泉が湧いた。

少女の前髪を払って、顔を撫でた。伝い落ちた血が少女を汚した。集まった雫が筋となり、唇に消えていった。目蓋が震えた。喉がひとつ鳴った。

「お飲みなさい」

忍耐強く待っていると、ぎこちなかった動きに勢いが出てきた。むしゃぶる舌がくすぐり、傷に痛みを残した。

やがて、血は止まった。物欲しそうな目が見上げてきた。

ネイザは縄を切った。少女の手にナイフを握らせる。

「わかったわね。あなたの番よ」

囁き、理解を待った。

ルゥはうまく力が入らないのか、起きあがる気配がなかった。どうすればよいのか、飲み込めていないようだ。待つ時間が必要だった。

ネイザは壁に背を預けた。手首の赤い筋に触った。血が滲んできた。

視線を感じた。じっと見られていた。

求められている。

たまらなく嬉しかった。

濡れそぼり、滴り落ちた。


頬を撫でられた。ぎこちない動きだった。

まだ、迷っているのだろう。

ネイザは目を閉じて夢見心地を味わった。

長い時間をかけた甲斐があった。少しずつ傷をつけ、吸い上げた。腹や、脚や、胸の先を舐めて奪った。弱らせて、動けなくした。拘束して、弱らせた。

最後に、与えた。

今まで絞り尽くし、取り込んだものを返した。そうすることで、人に何が必要か理解したはずだ。

だから、与えてくれるようになる。

腕を取られた。手のひらが上を向き、手首の傷口が露わになった。自分で差し出すのとは違い、相手が自分の意思で見ていた。求められているということだ。

少し恥ずかしかった。身体の中を見透かされているような気がした。されるがまま、委ねた。

自分は今、相手の世界にいる。

体が傾いた。頭が横を向いて、押し倒された。床に倒れると思ったが、堅い木の板には辿り着かなかった。

今度は浮遊した。身体の下に腕を感じた。持ち上げられていると思ったのも束の間、やわらかい布の塊に埋もれていた。

「ネイザ様」

男の声がネイザを引き戻した。

甘美な世界が音を立てて崩れた。瓦礫が身に降りかかり、苦痛に躍る。夢から覚醒させられた。

目に映ったのは、若い男の顔だった。屋敷に住まう護衛の戦士である。嫌になるくらいそばを離れない従者だった。

おろおろとした男の表情が、気持ち悪かった。

「どうして、ここにいる」

睨み付けると、男は下を向いた。

吐き気がした。この男に触れられていたと思うと、嫌悪感に肌が粟立った。ナイフで皮膚を削いで捨ててしまいたかった。

「捜していました。また、危ないことを……しておいでではないかと」

聞き飽きた返事だった。

「あたしに構うな。近づくな。――見るな」

ネイザは身体を隠そうとした。だが、すでに遅かった。寝台に運ばれたことで、充分すぎるほど見られていた。いたるところを触られてもいた。

激しい目眩が襲ってきた。目を閉じて、落ち着くのを待った。取り乱した声を聞いたが、耳を塞いだ。

「薬を置いておきます。僕は外に出ていますから」

薬。薬は必要だった。あれがあると落ち着く。深く眠ることもできる。

「待て」

イズマという男の名は呼びたくなかった。口にするのも、汚らわしかった。本当は、声をかけることさえ、厭わしいのだ。ただ、確認しなければならないことがある。

室内に、強すぎる匂いが漂っている。濃密な蜜の味が撒き散らされていた。

「はい」

呼ばれたことがよほど嬉しかったのか、イズマは大股で近寄ってきた。

「ルゥは」

ネイザは寝台から起きあがろうとしたが、力が入らなかった。イズマが手を差し出して来た。睨み付けると、引っ込んだ。

寝台のシーツに爪を立てて這った。うつぶせになって、寝台の端から顔を出した。

少女の裸身が倒れていた。背中にも、小さな傷が無数にあった。ネイザがつけた傷痕だった。浅く速い呼吸で、背が動いていた。

生きていた。

ネイザは長い息を吐いた。安堵のためだった。

「こいつは、ナイフを所持していましたので、無力化しました」

床の血溜まりに、ナイフを握った手首が浮かんでいた。

イズマは刀の柄に手を添えて、にこりと微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ