第2話 土曜日の宣戦布告と決壊
「それじゃあ、二人とも、戸締まりよろしくね。夕方には戻るから」
母のその言葉を最後に、玄関の鍵が閉まる乾いた音が響いた。法事へと向かう両親を乗せた車が遠ざかり、家の中には、9月とは思えない、真夏のような日差しと、設定温度を下げた冷房の微かな駆動音だけが取り残された。
朝食の時には、どこかそっけないそぶりを見せる、いつもの美月の姿と何一つ変わらなかった。
午後、二階の自室で、俺は机に向かっていた。カーテンを閉め切った部屋は少し肌寒いくらいだが、じっとりと嫌な汗が滲んでいる。
右手の指先を見つめる。美月からの連絡を受けた昨夜から、脱衣所『あれ』に触れた感触が、幻肢痛のように消えない。冷え切り、真っ黄色に汚れた、妹の残滓。
午後一時四十分。
階段を上る、規則正しい足音が聞こえてきた。一歩、一歩。その足音は、普段の軽快な美月のものとは違い、どこか慎重で、何か重いものを運んでいるかのような粘り気のあるリズムだった。
――コンコン
ガチャッ、とドアが俺の了解もなしに開く。そこに現れた美月は、午前中と変わらない、ラフな白いTシャツに、薄手のショートパンツ姿だった。
美月は部屋に入るなり、落ち着きなくその場で足踏みを繰り返した。もどかしげに内股を擦り合わせ、視線は泳ぎ、呼吸は熱を帯びて荒い。
「……来ちゃった」
「そうか」
「……気付いてた?起きてから、一回もトイレに行ってないの。」
「よし、行ってこい」
「……お腹、はち切れそう」
美月は俺の返事を待たず、椅子のすぐそばまで歩み寄ってきた。彼女の身体からは、クーラーの冷気とは対極にある、異様なまでの熱気が立ち上っている。
「……おにい、そっちに立って」
「……あ?」
「いいから。ドアの前に立って。私を通さないように邪魔して。……おにいのせいで、トイレに行けなかったことにしたいから」
美月の瞳には、あの日の冷徹な支配者の顔と、限界に追い詰められた「生き物」としての焦燥が混ざり合っていた。
「いいの?写メ、お母さんに見せるよ」
俺は、成すすべなくドアの前に立ち、背中で扉を塞ぐと、彼女は俺の目の前、わずか数十センチの距離で立ち尽くした。
立ったまま、美月は小刻みに膝を震わせている。
「……おにい、……出そう。通して」
よしきた、とスッと体を避けようとするが
「だから、違うでしょ!」
「……」
俺はこれから起こる破滅の未来へ向けて、歩みを続ける道しかなかった。
「……知らんな、通せない。」
言うことを聞く兄の姿に、美月の目は一気に気色ばんだ。
更に、俺の手を引き寄せ、自身のヘソの下、ショートパンツのウエストホックの位置へと重ねさせる。
「……ねぇ、お腹、押して」
「……」
「……もう出ちゃうから。はやくっ」
有無を言わせぬ響きだった。
俺の掌に伝わってくるのは、布地越しでもはっきりと分かる、猛烈な拍動。
指先を沈めると、そこにはパンパンに膨れ上がった、はち切れんばかりの『水の袋』が確かに存在していた。俺の指がそれを圧迫するたび、彼女の喉から、空気の漏れるような熱い吐息がこぼれた。
俺は覚悟を決め、掌にグイッと力を込めた。
そのわずかな外圧が、堰を壊す最後の一押しになった。
「……あっ」
――じゅっ、じゅぅぅぅぅ……
重い、湿った音が部屋の静寂を破る。
ショートパンツの白い布地に、じわあぁっ……と手のひらほどの半円状の染みが広がっていく。
美月の顔が、一気に耳の付け根まで真っ赤に染まった。
今まで自分の意志で堰き止めていた『汚れ』が、兄の手という外圧によって、自制を無視して溢れ出した。その現実の羞恥に、彼女の身体がガタガタと震え始める。
美月は慌てて自分の手で股間を覆い隠し、必死に太ももを固く閉じ合わせて崩壊を止める。
自らの意思で出すことと、外圧はあったが、意に反して出す行為は、美月にとっては
決定的に意味が異なるものだと、この瞬間、初めて自覚した。
「……待って、やっぱり、……おにい、どいて。……トイレ、行く……っ!」
俺は、この危険な遊びからようやく解放される安堵感を覚え、さっさと行ってこいというニュアンスを込めて、ドアから身を退けた。
道が開いた。だが美月は、濡れた股間を手で押さえたまま動けない。
太ももの内側を二筋、ショートパンツの許容量を超えた水分が重力に負けて伝わり落ちていく。
チタッチタッ…チタッ……
お尻側からも断続的に雫がフローリングに落ち続けていた。
もう、全てが手遅れだった。
「……っ、ぁ……!」
美月の喉が短い吐息を漏らし、同時に彼女の手の隙間から、すべてが爆発した。
――じゅぉぉぉぉぉぉぉぉ……
静かな部屋に、濁流が布地を突き破る音が聞こえる。
――パチャパチャパチャパチャッ!!!
床へ叩きつけられる醜い音が響き渡る。
薄手のショートパンツは一瞬でその許容量を嘲笑われ、裾からは、抑えの効かなくなった熱い液体が、彼女の真っ白な太ももを伝い、滝のように流れ落ちていく。
美月は、ガクガクと膝を折りながらも、濡れた手で何とかドアノブを掴んだ。
その場に崩れ落ちそうになったが、中腰で耐えた。
ただ放出が止むことはない。冷たいフローリングの上に、湯気を立てんばかりの熱量を持った『海』がみるみる形成されていく。
美月は、自身の内側から奔流となって溢れ出し続ける『熱』に翻弄されていた。
立ち上る、むせ返るほど濃厚で、鮮烈なアンモニアの熱気。
脱衣所のあの冷え切った匂いとは違う、今まさに彼女の生命維持の証として排泄されたばかりの、甘ったるく、そして鼻を突くような暴力的な臭気が、クーラーの風に乗って部屋の隅々まで運ばれていく。
やがて、勢いのあった音がどんどんか細くなり、最後の一滴が彼女のショートパンツを重く湿らせて、静寂が戻る。
美月はドアの前で完全に硬直し、項垂れて、下半身の惨事を見つめていた。
彼女のTシャツの裾は、ショートパンツに重なっていたところが無残に濡れ、下半身は、前も後ろも大きな丸い染みが広がり、見る影もなく重く肌に張り付き、うっすらと中の下着を透けさせていた。
そして、足元に広がる、大きな、大きな水溜り。
エアコンの冷気が、その熱をじわじわと奪い、部屋の匂いをさらに重く停滞させていく。
「……おにいのせいだからね」
美月は泣きながら、濡れた瞳で俺を見上げ、けど幸福そうに、どこか壊れたように微笑んだ。
それは違うだろう、と思ったが、野暮な返答は止めておいた。
「……綺麗にして……」
汚濁の海に囲まれたまま、彼女は俺にそう命じた。
俺のズボンの裾も、靴下も、彼女が作り出した湖とその跳ね返りでじっとりと濡れ、熱を失い始めていた。
これは片付けと証拠隠滅が大変そうだ……心の中で深くため息をついた。




