親のせいで詰んだと思ってたら、世界の方が先に詰み始めた ――王舎城の喜劇⑤(裸の王様)――
✦親のせいで詰んだと思ってたら、
世界の方が先に詰み始めた。
――王舎城の喜劇⑤(裸の王様)――
………
家の中で王様をやるには、
外の世界が
静かでいてくれんと困る。
阿闍世はそのことを、
三十八歳になるまで知らんかった。
………
★目次
■第一章 阿闍世は
ニュースを信じない
■第二章 隣の家はもう
始まっていた
■第三章 五十億個の宅配と、
一軒の沈黙
■第四章 学校へ行かない理由が
増えていく
■第五章 カレーの匂いは
いつまで届くか
■第六章 父は薬でつながれ、
母は夢でつながれていた
■第七章 阿闍世、
世界を言い訳にする
■第八章 旅人だけが
地図を持っていた
■第九章 引きこもるには、
平和が要る
■第十章 笑えない喜劇の朝
………
■第一章
阿闍世はニュースを信じない
阿闍世はニュースを
あんまり信じとらんかった。
テレビに出てくる戦争も、
海峡封鎖も、
アルミ不足も、
だいたい誰かが大げさに
騒ぎょーるだけじゃと
思うとった。
中東がどうした、
湾岸の精錬所がやられた、
世界のアルミ供給の
九%が揺れた、
相場がトン3,492ドルまで
上がった、
日本は中東から
アルミ輸入の三割近くを
頼っとる、
4〜6月積みのプレミアムが
350〜353ドルまで上がった
――そんな話を聞かされても、
阿闍世には全部
「へえ」で終わる話じゃった。
へえ、戦争。
へえ、アルミ。
へえ、物流。
そんなもん、
自分の人生に
何の関係があるんな、
と思うとった。
阿闍世の人生に関係あるんは、
父親がうるさいことと、
母親が黙ることと、
旅人がたまに来て
余計な正論を置いて
帰ることだけじゃった。
二十五年前の
恨みは治らん。
父親を見ると腹が立つ。
殴ったこともある。
蹴ったこともある。
それでも父親は
「わしの不注意じゃ」
と言う。
親いうのは、
便利な生き物じゃなと
阿闍世は思う。
殴られても、
殴った息子の人生まで
守ろうとする。
阿闍世は三十八歳じゃった。
その年齢になると、
ふつうは自分の人生の失敗を、
半分くらいは自分で
引き受け始めるもんらしい。
けれど阿闍世は違う。
まだ親のせいで
詰んだと思うとった。
思うとるいうより、
その考え方で生き延びとった。
責任を外へ置くいうのは、
案外、
立派な延命装置なんじゃ。
家の外では、
日本の65歳以上が3,624万人、
人口の29.3%になっとる。
高齢者の一人暮らしは
672万世帯。
認知症は2025年に
約700万人へ達する見込み
と言われてきた。
そんな数字が示すんは、
ひとつひとつの家が
静かに古うなり、
狭うなり、
閉じていきょーるいうことじゃ。
けれど阿闍世は、
その数字も信じとらんかった。
信じとらんいうより、
関係ないと思うとった。
王舎城は特別じゃ。
この家は、
この家だけで完結しとる。
外の世界がどうなろうと、
父親はおるし、
母親はおるし、
飯は出るし、
寝る場所はある。
そういうふうに思い込むことを、
人はたぶん
「家の中で王様になる」
と言うんじゃろう。
■第二章
隣の家はもう始まっていた
王舎城の隣には、
古い昭和の家がある。
木が深うて、中がよう見えん。
門も古い。
庭も広い。
晴れの日でも少し暗い。
昔は、その家には
行列ができるほどの
カレーの匂いがあった。
父親は先生で、
絵も書も上手で、
カレーまでうまかった。
人気者じゃった。
母親はべっぴんで、
英語の塾の先生まで
しょーった。
娘もまた、
頭が良うて、
英語ができて、
外国まで行って結婚しとった。
それがいまは、
木に囲まれて、
誰も来ん家になっとる。
旅人はたまに
その家を思い出す。
父親は死んだ。
母親は認知症になった。
娘は戻ってきたが、
人に会いたがらん。
妹も寄りつかん。
子も訪ねてこん。
庭は手入れされとる。
本人は雨でも夜でも
寒い朝でも外へ出て、
掃除をしたり
木をいらったりする。
でも世間は
家の中へ入ってこん。
物流危機も、
包装不足も、
燃料高も、
宅配の遅れも、
知らんままじゃ。
読書でもして、
一日が終わる。
日本にはそういう家が、
もう珍しくない。
高齢者一人暮らし
672万世帯いう数字は、
そういう
「静かに世間から切れ始める家」
が、
もう統計の単位で
存在しとることを意味する。
阿闍世は、
その隣の家をとくに
何とも思わん。
ただ、たまに見かける
帽子を深くかぶった奥さんを、
「変わっとるな」
と思うくらいじゃ。
でも旅人には分かる。
あの家は、
王舎城の未来の
別バージョンかもしれん。
両親が死んだあと、
誰も来ん、
誰にも言えん、
外の変化を知らん、
でも庭だけは
よう手入れされとる家。
人は、壊れる時、
案外きれいに壊れる。
草むしりだけは
真面目に続けたりする。
■第三章
五十億個の宅配と、一軒の沈黙
日本では2024年度、
宅配便が50億3,147万個動いた。
五十億個いうたら、
もう国民の誰かが何かを
待っとる音みたいなもんじゃ。
しかも再配達は約10.4%。
それだけで、
ドライバーの労働力にして
年間約6万人分に相当する。
阿闍世はその数字を聞いても、
ぴんと来ん。
ネットで物が届くんは
当たり前じゃし、
来んかったらまた
頼めばええと思うとる。
王様いうのは、
届ける側の苦労を
考えんでええ立場のことじゃ。
でも、旅人はそうは思わん。
再配達が
6万人分の労働力を食う国で、
軽油が細り、
海運が遅れ、
戦争危険割増まで
乗る時代に入ったら、
最後にしわ寄せが来るのは、
いちばん声の小さい家じゃ。
いや、違うな。
いちばん声が大きくて、
でも外へは届かん家かもしれん。
王舎城みたいな家じゃ。
「宅急便くらい来るじゃろ」
阿闍世は言う。
「米でも、薬でも、頼めば」
旅人は首を横へ振る。
「港まで来るんと、
玄関まで来るんは違う」
それが旅人の口癖になっとった。
コンテナ一本に
1,500〜4,000ドル級の割増。
10〜14日の遅れ。
再配達は一割。
そんな世の中で
「また頼めばええ」は、
だんだん贅沢になる。
阿闍世には、
その感覚が分からん。
分からんというより、
分かりたくない。
分かってしまうと、
自分が親に寄りかかって
家の中で王様を
しょーる構図まで、
一緒に見えてしまうからじゃ。
■第四章
学校へ行かない理由が増えていく
ポリテクセンターまで
車で三十分。
この「三十分」が、
阿闍世には妙に
長う感じる朝がある。
雨の日は長い。
寒い日はもっと長い。
父親の顔を見たあとの三十分は、
さらに長い。
そこへ旅人が
「燃料が細る」
「部品が遅れる」
「通学そのものがぜいたくになる」
と言う。
最初は阿闍世も、
そんなことあるかと思うた。
けれど、
そう言われると逆に、
行かん理由としては便利じゃった。
戦争がある。
物流が詰まる。
就職も怪しい。
なら行っても無駄じゃろ。
どうせ世の中が悪い。
親が悪い。
この時代が悪い。
そうやって世界が、
自分の怠さを守ってくれる。
人は、外の危機を
言い訳に変える天才じゃ。
阿闍世は、
とくにそこがうまい。
「戦争が起きとるんじゃけ、
就職できんでも仕方ない」
と阿闍世は言う。
それはまだ
起きてない未来の失敗を、
先回りして時代のせいにする
便利な言い方じゃった。
こういう人間は、
ほんまに危機が来た時、
弱るんやのうて、
開き直る。
そしてますます
親を締めつける。
「こうなったんは
お前らのせいじゃ」
と。
旅人には、
その未来が見えとった。
見えすぎるのも、
老後の一種の病気かもしれん。
■第五章
カレーの匂いはいつまで届くか
阿闍世は、
たまに隣の家のことを思い出す。
昔、
人気やったカレー屋の匂い。
行列。
父親の笑い声。
ああいうもんは、
永遠に続くように見える。
でも続かん。
何も。
日本の食料自給率は
カロリーベースで37%じゃ。
つまり、食べもんの土台の
かなりの部分は、
外からの流れに寄りかかっとる。
米があっても、袋が要る。
運ぶトラックが要る。
宅配が要る。
カレー粉も、コーヒーも、
チョコも、包装も、
どこかで外の世界につながっとる。
阿闍世は別に
料理好きやない。
でも「いつでも食える」と
思うとるものが、
いつでもは食えんかもしれん、
という感覚だけは
薄ぼんやり分かる。
分かるけど、
それを考え始めると
気持ち悪うなる。
じゃけえ、考えんことにする。
考えんことにする、
いう能力は、
人間の重要な才能じゃ。
ただし、
その才能に頼りすぎると、
だんだん王様になる。
裸のままで。
■第六章
父は薬でつながれ、
母は夢でつながれていた
頻婆娑羅は薬でつながれとる。
血圧。頭。呼吸。酸素。
手術のあとのあれこれ。
老人の命いうのは、
だいたい、
そういう小さい袋の束で
つながっとる。
韋提希は夢でつながれとる。
三人で仲ようなれる日が
来るかもしれん、
という夢じゃ。
旅人は、
その両方が細っとるのを見とる。
薬は、原薬、工場、包装、
輸送、最後のトラックまで要る。
しかも日本の医療用医薬品は、
通常出荷61%、
出荷量減少7%、
出荷停止3%、
薬価削除予定8%。
つまり、
平和な顔をしながら、
もう五本に一本近くが
“いつも通りではない”
側へ寄っとる。
夢の方はもっと危うい。
数字がないぶん、
壊れかけても誰も気づかん。
韋提希は、今日もまだ思うとる。
あと少し。
あと三か月。
卒業したら、
何か変わるかもしれん。
でも旅人は知っとる。
先送りには、平和が要る。
平和が切れ始めた時、
夢はだいたい、
最初に足を取られる。
■第七章
阿闍世、世界を言い訳にする
阿闍世は、
旅人の話が嫌いじゃった。
正しいからじゃ。
正しい話は、
人を腹立たせる。
とくに、
家の中で王様をしとる人間には。
「俺を病院へ
連れて行きたいんじゃろ」
阿闍世は言う。
「連れて行くんやない。
お前に権利があるいう話じゃ」
旅人は言う。
「俺は病気じゃない」
「それを決めるんは、お前やない」
阿闍世はそこで、
いつもの切り札を出す。
「見捨てるんか」
その言葉は
王舎城で一番よう流通しとる
通貨じゃった。
見捨てるんか。
それを言われるたび、
韋提希は黙り、
頻婆娑羅は視線をそらし、
この家は今日をやり過ごした。
けれど旅人はもう、
その通貨を受け取らん。
「見捨てるんやない」
旅人は言うた。
「助かる確率を上げる話じゃ」
「同じじゃろ」
「違う」
旅人は言うた。
「引きこもるには、
平和が要る。
お前はいま、
平和の残りかすで
家の中の王様を
やっとるだけじゃ」
その一言で、
阿闍世の顔が変わった。
怒った。
でもそれ以上に、
少しだけ怖がった。
王様いうのは、
自分の国の外に
本当の世界があると知った時、
急に小そうなるもんじゃ。
■第八章
旅人だけが地図を持っていた
旅人は紙に書いた。
一、住む場所を変える候補
二、通学手段の見直し
三、受診の入口
四、父親と距離を取ること
「これだけじゃ」
旅人は言うた。
「全部を今日やれ
言うとるんやない。
けど“もしその日が来たら
考える”では遅い」
韋提希はその紙を見とった。
阿闍世は見んふりをした。
頻婆娑羅は酸素の音の
向こうで眠っとった。
旅人だけが、
地図を持っとるように見えた。
ほんまは、
地図いうほど立派なもんやない。
ただ、
「このままではまずい」
という線を、
紙の上に書き出しただけじゃ。
けれど、壊れかけた家には、
その線一本が足りんのよな、
と旅人は思うた。
■第九章
引きこもるには、平和が要る
阿闍世はその晩、
自分の部屋で考えた。
引きこもるいうのは、
家の中で完結できる生き方
みたいに見える。
でも違う。
飯が要る。
電気が要る。
配送が要る。
薬が要る。
親の体力が要る。
つまり引きこもるには、
外の世界が
静かでいてくれんと困る。
阿闍世は初めて、
そのことを少しだけ考えた。
考えたけど、すぐやめた。
考え続けると、
自分が王様やのうて、
ただの寄生先つきの
不安定な人間に
見えてしまうからじゃ。
人は、自分の本当の姿を
見るくらいなら、
世界の方を恨む。
阿闍世もその一人じゃった。
■第十章
笑えない喜劇の朝
次の朝、
韋提希は阿闍世に言うた。
「今日、帰りに
一か所だけ見に行くで」
「どこを」
「住むとこの候補じゃ」
阿闍世は
すぐには怒らんかった。
旅人にはそこが一番怖かった。
怒る方がまだ分かりやすい。
黙って計算し始めた時、
人は少しだけ
現実へ引っ張られとる。
外ではアルミが細り、
宅配は五十億個動き、
再配達は一割、
食料自給率は37%、
高齢者一人暮らしは672万世帯、
認知症は700万人規模の国になる。
そんな世の中で、
王舎城だけ昨日のままで
おれるはずがない。
それでも人は、
昨日のままの顔をして
朝を迎える。
それが喜劇じゃ。
しかも、笑えん方の。
旅人は思うた。
世界が詰む前に、
家が詰んでいた。
でも家がそれを認めたんなら、
まだ少しは逃げ道がある。
王舎城に初めて、
外の世界の風が入った朝じゃった。
■あとがき
今回は、
④と真正面から変えたかったので、
阿闍世の目線へ寄せて書きました。
この話で書きたかったんは、
外の危機は、
まともな人から
順番に困らせるんやない
ということです。
むしろ、家の中で
王様をやってきた人間ほど、
外の危機を言い訳に使い始める。
そこが怖い。
それともう一つ。
日本は高齢化、独居、認知症、
宅配依存、低い食料自給率という、
静かな数字の上にもう立っとる。
そこへ
アルミ不足や物流危機が乗ると、
まず壊れるんは
工場や港だけやない。
世間と切れたまま回っとった
家の方かもしれません。




