第九話:建国記念舞踏会の衝撃
オーケストラの調べが、高く広い天井に響き渡っていた。
ヴァレリウス帝国の建国記念舞踏会。
会場には、招待されたソルスティア王国の貴族たちも顔を揃えている。
その中には、苦虫を噛み潰したような顔のセドリックと、青白い顔のリアナもいた。
「見て、ソルスティアの方々の顔……」
「なんて不自然な白さなの。まるでお化けのようだわ」
帝国の貴婦人たちが、扇の陰でひそひそと囁き合う。
帝国の女性たちはすでに、イリスが広めた「素肌を活かすメイク」を取り入れていた。
瑞々しく光を反射する彼女たちの肌は、会場の照明を浴びて宝石のように輝いている。
対して、ソルスティアの貴族たちは、相変わらず毒性の強い白粉を塗りたくっていた。
熱気で化粧が浮き、シワの形にひび割れている。
そこへ、一際大きな拍手が沸き起こった。
「ヴァレリウス帝国皇帝、カイザル・フォン・ヴァレリウス陛下。ならびに、帝国美容顧問、イリス・ヴァン・ロゼリア令嬢の入場でございます!」
扉が開き、私とカイザルが姿を現した。
会場中の視線が、一点に集中する。
私は一切の粉を使わず、精製オイルと美容液で整えた「水光肌」で登場した。
銀髪を高く結い上げ、あえて装飾を削ぎ落としたドレスを纏う。
内側から発光するような肌の輝きが、どんな宝石よりも雄弁に私の価値を物語っていた。
そして、隣に立つカイザル。
彼は仮面を外していた。
右頬の傷跡は完全に消えたわけではない。
けれど、かつての赤黒い腫れは引き、滑らかで健康的な質感を湛えている。
その傷さえも、彼の力強さを象徴する一部として美しく調和していた。
「……イ、リス? 本当にイリスなのか?」
呆然とした声を上げたのは、セドリックだった。
彼は隣にいるリアナの手を離し、ふらふらと私の方へ歩み寄ってくる。
リアナの顔は悲惨だった。
嫉妬で顔を歪めたせいで、厚塗りの化粧がボロボロと剥がれ落ち、下から炎症を起こした真っ赤な肌が覗いている。
「ああ、なんて美しいんだ……。私の知っている君とは別人のようだ。やはり、君こそが王妃にふさわしい」
セドリックが恥ずかしげもなく手を差し出してきた。
彼の鼻には相変わらず大きなニキビがあり、不摂生な生活が透けて見える。
私はその手を冷ややかに見つめ、一歩下がった。
「お言葉ですが、殿下。私とあなたは、すでに他人ですわ」
「そんなことを言わないでくれ。あの婚約破棄は間違いだった。さあ、僕のところへ戻ってきなさい」
セドリックが強引に私の腕を掴もうとした。
だが、その手は空を切る。
カイザルが音もなく私の前に立ち、セドリックを鋭い眼光で射抜いたからだ。
「……ソルスティアの小僧。その汚れた手で、我が帝国の至宝に触れるな」
カイザルの声は地を這うように低く、威圧感に満ちていた。
セドリックはあまりの恐怖に、その場に尻餅をついた。
「殿下、一つ教えて差し上げますわ」
私は冷たい笑みを浮かべ、震えるセドリックを見下ろした。
「美しさは、与えられるものではありません。自分を慈しみ、磨き上げた者だけが手にできる『自由』なのです。自分を汚す毒を塗り続け、他人の肌を醜いと嘲笑うあなたには、一生理解できないでしょうけれど」
会場から、賛同の拍手が巻き起こった。
リアナは屈辱に震え、逃げるように会場を飛び出していった。
後に残されたのは、かつて私を「不潔」と罵った男の、無様な姿だけ。
私はカイザルの腕にそっと手を添えた。
彼の肌からは、私が丹精込めて調合したハーブの、清涼な香りが漂っている。
「行きましょう、陛下。ここは少し、空気が淀みすぎていますわ」
「そうだな。お前の肌に悪い」
カイザルは優しく微笑み、私を連れてダンスホールの中央へと進んだ。
今、この場所で一番輝いているのは、間違いなく私たちだった。




