第八話:帝国への招待状
黄金の紋章が刻まれた手紙を広げた。
それは隣国、ヴァレリウス帝国の皇帝カイザルからの正式な親書だった。
差出人の名を見ただけで、父である伯爵は椅子から転げ落ちそうになっている。
「イリス、これは一体どういうことだ」
「見ての通りですわ、お父様。陛下から、帝国の美容顧問として正式に招待されました」
手紙には、ロゼリア領との独占契約の締結。
そして、私の開発した製品を「帝国皇室御用達」に認定する旨が記されていた。
これは単なる商売の枠を超えた、国家間の外交問題に等しい衝撃だ。
その時、ラボの外から騒がしい足音が聞こえてきた。
先日、洗顔指導をして追い返した王都の騎士団が、またやってきたのだ。
だが、今度は剣を抜いていない。
それどころか、小隊長はピカピカの肌で、申し訳なさそうに頭を下げた。
「イリス様、王太子殿下より、急ぎ王宮へ参内せよとの召喚状を預かって参りました」
小隊長が差し出したのは、セドリック王太子からの手紙だ。
封を切らずとも、中身は想像がつく。
美しくなった私の噂と、帝国の動きを察知して、慌てて私を繋ぎ止めようとしているのだろう。
私はセドリックの手紙を手に取ると、封も開けずに、暖炉の火の中に放り込んだ。
「……あ」
小隊長が呆然と声を漏らす。
パチパチと音を立てて、王太子の召喚状が灰になっていく。
「お伝えください。あいにく、先約がありますの。私は陛下の『お肌』を預かる身ですから」
「しかし、殿下は大変お怒りで……」
「お怒りになると血圧が上がり、毛穴が開きますわよ。お大事にとお伝えください」
私は微笑んで、騎士たちを追い出した。
今の私には、王都のくだらない権力争いに構っている暇はない。
カイザルの右頬は、ようやく新しい皮膚が再生し始めている。
ここでケアを中断させるわけにはいかないのだ。
数日後、ロゼリア領の境界には、帝国の豪華な馬車が迎えに来ていた。
黒塗りの車体に、銀の装飾が施されたその馬車は、王国のものより遥かに頑丈で機能的だ。
馬車の扉が開き、カイザルが手を差し出した。
彼は今日、仮面をつけていない。
傷跡はうっすらと残っているが、それはもはや「醜い痕」ではなく、彼の精悍さを引き立てる「物語」のように見えた。
「準備はいいか、イリス。お前の技術を、我が帝国の民に見せてやってくれ」
「ええ。ですが、移動中の馬車内でも保湿は欠かしませんわよ。陛下、その唇。少し乾燥しています。リップバームを塗りなさい」
「……相変わらずだな」
カイザルは苦笑しながら、私の手を引いて馬車へとエスコートした。
領民たちが総出で、私たちの出発を見送ってくれる。
彼女たちの肌は、かつての荒れ地だった頃とは別人のように輝いていた。
馬車が走り出し、私は窓から遠ざかる故郷を眺めた。
王都では、リアナが必死に厚化粧を重ね、セドリックが私の不在に苛立っているだろう。
だが、次に私たちが相まみえる時。
彼女たちは、本当の「美しさ」が持つ暴力的なまでの力に、跪くことになる。
私はバッグから新しい精製オイルを取り出した。
帝国の乾燥した空気から、陛下と私の肌を守り抜くために。
私の戦場は、これからさらに広がっていく。




