第一話:婚約破棄と毛穴の詰まり
「イリス・ヴァン・ロゼリア、貴様との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業パーティー。
華やかなシャンデリアの下で、婚約者のセドリック王太子が叫んだ。
彼の隣には、聖女と呼ばれるリアナが寄り添っている。
リアナは顔を真っ白な粉で塗り固めていた。
この国では、肌の質感を消すほどの厚化粧が美徳とされているからだ。
対する私は、連日の公務とストレスで肌が荒れ放題だった。
その罵声が、私の頭の中で何かのスイッチを入れた。
視界が歪み、激しい頭痛が走る。
脳内に濁流のように流れ込んできたのは、前世の記憶。
私は日本で働く美容部員だった。
あらゆる肌の悩みを持った客を救ってきた、伝説の販売員。
最新の皮膚科学と成分分析を愛する、究極の美容オタク。
「……うそ、でしょ」
私はよろめき、近くの姿見を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、最悪の光景だった。
鉛入りの白粉が、乾燥した肌の上で無惨に浮いている。
毛穴は詰まり、頬には赤みがさしている。
角質が厚くなり、せっかくの銀髪もくすんで見えた。
「なんてこと。インナードライに、深刻なバリア機能の低下……」
私は自分の顔を指でなぞった。
指先に伝わるざらついた感触。
それは私にとって、婚約破棄よりも絶望的な事実だった。
セドリックは、私がショックで黙り込んだと勘違いしたらしい。
彼は鼻で笑い、さらに追い打ちをかける。
「自分の醜さに絶望したか! リアナのように透き通る白さを持たぬ女など、王妃にふさわしくない」
セドリックの顔を改めて見る。
彼もまた、厚化粧で隠してはいるが、鼻の頭に大きなニキビができている。
食生活の乱れと、クレンジング不足は一目瞭然だった。
「……殿下、少し静かにしていただけますか」
私の冷ややかな声に、会場がしんと静まり返った。
私はドレスの裾を掴み、一歩前へ出る。
「肌が汚いのは、心が汚いからではありません。単なるお手入れ不足と、その劣悪な化粧料のせいです」
「なんだと?」
「今すぐその毒の粉を落とし、保湿したい。そうでないと、私の情緒が保てません。婚約破棄でも追放でも、好きになさってください。早急に失礼します!」
私はセドリックの返事も待たず、優雅に、かつ迅速に背を向けた。
今すぐ実家の領地へ帰ろう。
あそこには、誰も見向きもしなかった良質な泥と薬草がある。
私の二度目の人生は、自分を磨き直すことから始める。
こんなボロボロの肌で、誰が言いなりになどなるものか。
私は会場を飛び出した。
夜風が顔に当たった。
乾燥が怖い。
馬車に飛び乗り、私は心に決めた。
あの愚かな王子が、二度と触れさせてくれと泣きつくほど。
世界で一番輝く肌を手に入れてやると。




