第9話:師匠の教えと「15人の弟子」
工房の掃除と修繕が終わり、王都から運んできた機材の搬入も完了した。
だが、本当の問題はここからだった。
時計作りというのは、一人では限界がある。
俺が設計し、全ての部品を一人で削り出し、組み立て、調整する。それこそが至高の芸術だという考え方もあるが、それでは年に一個か二個作るのが精一杯だ。
エリアナとの契約は「産業を興すこと」。つまり、ある程度の量産体制を作らなければならない。
そのためには、「手」が必要だ。
俺の代わりに単純作業をこなし、俺の手足となって動く、職人の手が。
「……で、集まったのはこれだけか」
俺は工房の中に整列した面々を見渡し、眉間を揉んだ。
集められたのは十五人。
平均年齢は六十歳を超えているだろう。腰の曲がった爺さんや、老眼で目をしばたたかせている婆さんばかりだ。
若者はいない。働き盛りの男たちは皆、出稼ぎに行ってしまっているからだ。
「すまんな、マイスター・アルド。この村に残ってるのは、わしらのような『出がらし』ばかりでな」
ハンス爺さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
並んでいる老人たちも、どこか居心地が悪そうだ。彼らの手は節くれ立ち、長年の鉱山労働や農作業で皮膚が硬く肥厚している。ハンマーや鍬を握るには頼もしい手だが、髪の毛より細いヒゲゼンマイを扱う手ではない。
「無理だべ、マイスター。俺たちゃ石を割るしか能がねえ」
「針の穴に糸を通すのも一苦労なんだ。時計の部品なんて見えやしねえよ」
最初から諦めの声が上がる。
無理もない。時計師というのは、通常十代の頃から徒弟奉公に入り、十年かけて一人前になる世界だ。還暦を過ぎた素人が今から始めるなんて、常識で考えれば狂気の沙汰だ。
だが。
俺は彼らの手をじっと観察した。
確かに皮膚は硬い。指も太い。
しかし、震えてはいない。
厳しい自然の中で生き抜いてきた人間の手は、無駄な動きがなく、しっかりと地に足がついている。
(……師匠なら、どうする)
俺は心の中で、亡き師に問いかけた。
師匠は口癖のように言っていた。
『不器用な人間ほど、いい職人になる』と。
器用な奴は、感覚で仕事をこなしてしまう。だから壁にぶつかった時に脆い。
だが不器用な奴は、理屈で身体を動かそうとする。何度も失敗し、身体に染み込ませた技術は、決して裏切らない。
「……爺さんたち。自分のことを『出がらし』だとか『役立たず』だとか言ったな」
俺は努めて低い声で言った。工房の空気がピリッと張り詰める。
「俺はそうは思わねえ。あんたたちの手は、王都のヒョロい青二才どもの手より、よっぽどいい手をしてる」
「へ……?」
「鉱山で働いてたんだろ? 硬い岩盤のどこを叩けば割れるか、指先の感覚で分かってたんじゃないのか?」
俺の問いに、一人の元鉱夫の老人がおずおずと手を挙げた。
「ま、まあ……タガネの入り具合で、石の目は分かりますが」
「それが才能だ」
俺は断言した。
「時計も同じだ。金属の硬さ、粘り気、ヤスリを当てた時の抵抗。それを指先で感じ取れるかどうかが全てだ。目が悪いなら眼鏡を作ればいい。だが、指先の感覚だけは教えられない。あんたたちは、それを既に持ってる」
老人たちが顔を見合わせた。
自分たちの過去の労働が、まさか精密機械作りに役立つとは夢にも思わなかったのだろう。
「それに、俺が求めるのは『器用さ』じゃねえ。『根気』だ」
俺は作業机に向かい、一本の細い鉄の棒と、ヤスリを取り出した。
そして、全員に見えるように掲げた。
「今から俺が手本を見せる。よく見てろ」
俺は万力に鉄の棒を固定した。
そしてヤスリを構える。
呼吸を整え、スッ、スッ、と一定のリズムでヤスリを動かし始めた。
力はいらない。必要なのは、常に一定の角度、一定の圧力でヤスリを当て続けることだ。
一回動かすたびに、ミクロン単位で鉄が削れる。
俺は無心で手を動かした。
ジョリ、ジョリ、という音だけが響く。
十分後。
俺は鉄の棒を外し、老人たちに見せた。
「……おおっ!」
どよめきが起きた。
ただの鉄の棒だったものの先端が、完璧な正六角形に削り出されていたからだ。
定規も使わず、ただの手作業で、機械で加工したような正確な平面が出ている。
「すげえ……魔法か?」
「いや、ただ真っ直ぐ引いただけだ」
俺は平然と言ってのけた。
「だが、これを千回繰り返しても、角度が一度も狂わない集中力。それが職人の技だ。……どうだ、あんたたちにできるか?」
挑発的な問いかけに、元鉱夫の老人がニヤリと笑った。
「馬鹿にするなよ、若造。俺たちゃ何十万回とツルハシを振るってきたんだ。同じ動作を繰り返すことにかけては、誰にも負けねえよ」
「ほう。言うじゃねえか」
俺は口元を歪めた。
火がついた。
プライドを刺激されれば、職人気質の人間は動く。
「よし。じゃあ今日からあんたたちは俺の『弟子』だ。まずはこの鉄の棒を、厚さ1ミリの板になるまで削ってもらう」
「板に? 叩いて伸ばすんじゃなくてか?」
「削るんだ。平面を出す練習だ。もし一枚でも完璧な平面が出せたら、次のステップに進ませてやる」
俺は一人一人にヤスリと鉄の棒を配った。
最初は戸惑っていた老人たちも、道具を手にすると顔つきが変わった。
長年、何かを作り、何かを掘り出してきた人間の顔だ。
工房の中に、ジョリ、ジョリ、というヤスリの音が響き始めた。
最初はバラバラだったリズムが、次第に揃ってくる。
エリアナが心配そうに部屋の隅から見ていたので、俺は彼女のそばへ行って小声で言った。
「心配すんな。あいつらは化けるぞ」
「本当? あんなに細かい作業なのに……」
「老眼はルーペでなんとかなる。震えは固定台で抑え込めばいい。だがな、あの『絶対に諦めねえ』っていう頑固さは、王都の軟弱な若造には絶対に出せねえ味だ」
俺は作業に没頭する老人たちの背中を見た。
師匠。
あんたが言ってた通りだ。
ここには、俺が求めていた「最高の素材」がある。
それから数日間、工房はヤスリの音に包まれた。
脱落者は一人もいなかった。
むしろ、日が経つにつれて彼らの目は輝きを増していった。
「昨日はここが歪んだ」「今日はもっと薄くできた」
自分たちの手で、目に見える成果が出る。それが楽しくて仕方ないようだった。
何十年も「もう終わった人間」として扱われてきた彼らが、再び「何かを生み出す人間」としての喜びを取り戻しつつあった。
一週間後。
最初の一人が、俺の前に削り出した鉄板を持ってきた。
一番年配の、ブルーノという爺さんだ。
俺はそれを受け取り、定規を当てて光に透かした。
隙間から光が漏れれば、平面が出ていない証拠だ。
……光は漏れなかった。
完璧な平面だ。
「……合格だ」
俺が告げると、ブルーノ爺さんはシワだらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。
周りの弟子たちから歓声と拍手が上がる。
「よし、ブルーノ。あんたには今日から『地板』の加工を任せる。時計の土台となる一番大事な部品だ」
「へい! 任せてくだせえ、親方!」
いつの間にか、俺の呼び名は「若造」から「親方」に変わっていた。
こうして、雪深い廃村に、15人の「遅咲きの弟子たち」が誕生した。
彼らが作る部品は、王都の量産品のようなスマートさはないかもしれない。
だが、その一削り一削りに込められた執念と誇りは、間違いなく俺の設計する「絶対に壊れない時計」の魂となるはずだ。
俺は窓の外の雪景色を見ながら、拳を握りしめた。
舞台は整った。役者も揃った。
あとは、俺が最高傑作の設計図を描くだけだ。
俺たちが作る時計で、王都の奴らの度肝を抜いてやる。
そして何より。
俺を信じてくれた、あの変わった令嬢――エリアナに、最高の「時間」をプレゼントしてやるんだ。




