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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第2章:銀雪の工房

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第7話:白銀の貧困

 王都を出発してから十日あまり。

 景色は劇的に変化していた。

 緑豊かな平原は姿を消し、代わりにゴツゴツとした岩肌と、針葉樹の森が続く山道へと変わる。そして、峠を一つ越えるたびに、気温は肌を刺すように下がっていった。


 馬車の車輪が、乾いた土の音から、ザクッ、ザクッという重たい音へと変わる。

 雪だ。

 最初は道の端に少し残る程度だった白い塊が、次第に地面を覆い尽くし、やがて視界の全てを白一色に染め上げていく。


「……着きました。ここが、私の領地です」


 私が告げると、向かいで腕を組んで仮眠をとっていたアルドが、片目を開けて窓の外を覗いた。

 吐く息が白い。

 窓ガラスは凍てつき、氷の結晶が幾何学模様を描いている。


「なるほど。あんたが言ってた通り、冷蔵庫の中みたいだな」

「ええ。夏でも涼しく、冬はこうして雪に閉ざされます。……寒すぎますか?」

「機械にとっては悪くない。油の粘度さえ調整すれば、熱で金属が膨張するよりはマシだ」


 アルドは淡々と答え、また腕組みに戻った。

 その反応に少しだけ安堵する。だが、本当の試練は寒さではない。

 この先に待つ、現実の「光景」だ。


 馬車は峠を下り、盆地にある領内最大の集落――かつては鉱山街として栄えた村へと入っていった。


 ガタゴトと揺れる馬車が広場に止まる。

 私は重いコートの前を合わせ、ドアを開けた。

 ヒュオオオオ……という風の音が、鼓膜を震わせる。


「……おかえりなさいませ、お嬢様」


 出迎えてくれたのは、数人の村人たちだけだった。

 それも、腰の曲がった老人や、痩せた老婆ばかり。

 かつて活気に満ちていた商店の多くは雨戸が閉ざされ、看板は雪に埋もれて傾いている。道の除雪も完全ではなく、家々の屋根には危険なほどの雪が積もったままだ。


 静かすぎる。

 子供たちの遊ぶ声も、商人の呼び込みも、鍛冶屋のハンマーの音もしない。

 あるのは、風の音と、どこかでカラスが鳴く声だけ。


「……ただいま戻りました、ハンス」


 私は出迎えてくれた老人――かつて我が家の執事を務め、今は村長をしているハンスに声をかけた。

 ハンスは涙ぐんだ目で私を見上げ、震える手で私の手をとった。


「よくぞご無事で……。王都での婚約破棄の噂を聞いた時は、我らも肝を冷やしましたぞ。まさか、アークライト家から難癖をつけられて、投獄でもされたのではないかと」

「心配をかけてごめんなさい。でも、見ての通り無事よ。……それに、大切なお客様を連れてきたわ」


 私は馬車を振り返った。

 アルドが、大きな木箱を肩に担いで降りてくる。

 村人たちが、ギョッとしたように彼を見た。

 無愛想で、鋭い目つき。薄汚れた作業着。どう見ても「貴族のお客様」には見えない。


「あー……お嬢様。こちらは、その……新しい護衛の方ですかな?」

「いいえ。彼はアルド・ヴァン・ライン様。王都で一番の腕を持つ時計師よ。これからは私たちの仲間として、この村で時計を作ってもらうの」


 時計師。

 その言葉に、村人たちは顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべた。


「時計、ですか? こんな何もない村で?」

「王都の貴族様が使うような高級品を、ここで?」

「無理だべ……。若いもんはみんな街へ出稼ぎに行っちまった。残ってるのは、俺たちみたいな役立たずと、親の帰りを待つ孫たちだけだ」


 諦めを含んだ言葉が、冷たい空気の中に重く落ちる。

 ハンスが申し訳なさそうに頭を下げた。


「お嬢様。お気持ちは嬉しいですが……ご覧の通りです。銀山が閉山してからこっち、村は死にかけております。建物も傷み、食料もギリギリだ。こんなところに招かれたお客様も、さぞ驚かれたでしょう」


 ハンスがチラリとアルドを見る。その目は「こんな貧乏な村に来てしまって気の毒に」と語っていた。


 私は唇を噛んだ。

 分かっていたことだ。けれど、実際に目の当たりにすると、その衰退ぶりは想像以上だった。

 かつて祖父が自慢していた、銀色の活気はもうどこにもない。

 廃墟寸前の村。

 それが、私がアルドに提供できる「領地」の正体だった。


 私は恐る恐るアルドの方を見た。

 彼は荷物を雪の上に下ろし、無言で村を見回していた。

 閉ざされた家々。色のない景色。そして、生気のない老人たち。

 王都の借金取りに追われていた彼にとって、ここは「新天地」どころか「墓場」に見えるかもしれない。

 

 騙された、と怒るだろうか。

 こんな場所で何ができる、と呆れて帰ってしまうだろうか。

 心臓が早鐘を打つ。

 もし彼がここで帰ると言ったら、私に引き止める術はない。


「……アルド」


 私が声をかけようとした時、彼がおもむろに歩き出した。

 ザッ、ザッ。

 新雪を踏みしめ、彼は広場の真ん中へと進む。

 そして立ち止まり、空を見上げ、深く息を吸い込んだ。


 数秒の沈黙。

 村人たちも、私も、固唾を飲んで彼を見守る。


「……(ほこり)がねえな」


 ポツリと、彼が言った。


「え?」

「空気が澄んでる。王都みたいに石炭の煤煙も、馬車の巻き上げる砂埃も舞ってねえ。……それに、光がいい」


 彼は手で作ったフレーム越しに、雪原を指差した。


「雪がレフ板の代わりになって、光が柔らかく拡散してる。これなら、細かい部品の傷も見落とさねえ。一日中、安定した光の中で作業ができる」


 彼は雪を掬い上げ、指の間からサラサラと落とした。

 その顔には、失望の色など微塵もなかった。

 むしろ、獲物を見つけた狩人のような、あるいは宝の山を見つけた探検家のような、鋭く、しかし期待に満ちた目をしていた。


「お嬢様。時計作りにとって、最大の敵はなんだか知ってるか?」

「えっと……衝撃、でしょうか?」

「それもある。だが、一番の大敵は『(ちり)』だ」


 彼は自分の着ている作業着の袖をパンパンと叩いた。


「目に見えない微細な埃が一つでも機械の中に入り込めば、それが油と混ざって研磨剤になり、歯車を摩耗させる。あるいは、テンプの動きを阻害して時間を狂わせる。王都じゃ、その埃を防ぐために窓を閉め切り、息苦しい部屋で作業しなきゃならなかった」


 彼は両手を広げ、冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「だが、ここは違う。雪が空気中の塵を吸着して落としてくれる。湿度は一定で、乾燥しすぎてもいない。……ここは天然のクリーンルームだ」

「クリーン……ルーム?」

「時計を作るための聖域ってことさ」


 アルドはニヤリと笑い、呆気にとられているハンスたちのほうを向いた。


「おい、爺さんたち。この村に水はあるか?」

「え、ええ。雪解け水が豊富に……昔は銀の精錬に使っておりましたが」

「よし。その水力を使えば、大型の旋盤も動かせる。……それに、静かだ。誰にも邪魔されず、コンマ一秒の音を聞き分けられる」


 アルドは私に向き直ると、力強く頷いてみせた。


「合格だ、雇い主様。あんたの言った通り、最高の環境だ」


 その言葉を聞いた瞬間、私の目頭が熱くなった。

 彼は、この寂れた村の「貧しさ」を見なかった。

 誰もが「何もない」と嘆くこの場所で、彼だけが「時計作りに必要な全てがある」と言ってくれたのだ。


 私の選んだ人は、間違っていなかった。

 彼は、本質を見る目を持っている。

 ギルバート様が私のことを「寒々しい」と切り捨てたのに対し、彼はこの寒さこそが価値だと言ってくれた。


「……ありがとうございます、アルド」

「礼を言うのはまだ早いって言ったろ。……それに、課題は山積みだ」


 彼は現実的な視線で、朽ちかけた建物の一角――かつての銀山管理事務所だったレンガ造りの建物を指差した。


「まずはあそこを直して工房にする。屋根の雪下ろしと、断熱材の詰め直しだ。爺さん、手伝える大工はいるか?」

「は、はい! わしらは昔、坑道の支柱を組んでおりましたから、大工仕事ならお手の物です!」


 ハンスの声に、少しだけ力が戻っていた。

 仕事がある。役割がある。

 外部から来た若者が、この村を必要としてくれている。その事実が、彼らの背筋を少しだけ伸ばさせたようだった。


「若いのがいないなら、あんたらに手伝ってもらうしかない。俺の指示通りに動けるか?」

「もちろんですとも! これでも若い頃は『神速のハンス』と呼ばれた男ですぞ」

「頼もしいな。じゃあ、まずは荷解きだ。俺の大事な工具たちを、湿気から守らなきゃならねえ」


 アルドが指示を出すと、老人たちが「よっこらしょ」と言いながらも、嬉々として動き出した。

 先ほどまでの死んだような静寂が嘘のように、村に小さな活気が生まれ始めていた。


 私はその光景を見ながら、コートのポケットの中で、懐中時計を握りしめた。

 トクトク、と。

 時計の鼓動が、村の鼓動と重なって聞こえる気がした。


 白銀の貧困。

 確かにここは貧しい。

 けれど、ここには何にも染まっていない「白」がある。

 これから私たちが、この真っ白なキャンバスに、どんな時を描いていけるのか。

 

 冷たい風が頬を撫でる。

 それはもう、拒絶の風ではなく、私たちを祝福する始まりの風のように感じられた。

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