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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第1章:泥の中の歯車

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第4話:追放された弟子

 チチチチチチ……。


 工房の空気を震わせるテンプの振動音が、俺の鼓膜を心地よく叩く。

 久しぶりの感覚だった。

 死んでいた機械が息を吹き返し、再び心臓が脈打ち始める瞬間の、指先に伝わる微かな震え。

 これがあるから、俺は時計屋をやめられない。


「……動いた」


 目の前の客――くすんだ藍色のドレスを着た令嬢が、まるで奇跡でも見たかのような声を上げた。

 その瞳は潤み、直ったばかりの懐中時計を食い入るように見つめている。


 俺はルーペ越しに、その横顔を盗み見た。

 変わった女だ。

 最初は、どこぞの世間知らずな貴族が冷やかしに来たのだと思った。借金取りに追われるような薄汚い店に、女一人で入ってくる度胸は買うが、どうせ俺の無愛想な態度に腹を立てて帰るのがオチだと。


 だが、違った。

 彼女は、俺の技術(うで)を見ていた。

 薄汚れた作業着でもなく、店のボロさでもなく、ただ純粋に、俺が組み上げた機械の動きだけを見ていた。

 その瞳には、侮蔑も憐憫もない。

 あるのは、深い敬意と、燃えるような熱量。


(……懐かしい目だ)


 ふと、記憶の蓋が開く。

 俺のことを、そんな目で見てくれた人間は、この世にもう一人しかいない。


 ――大親方(マイスター)

 俺の全てであり、俺に時計の何たるかを叩き込んでくれた、唯一の師匠。


 俺の意識は、テンプの音に導かれるように、数年前の雨の日へと引き戻されていた。


          * * *


 あの日も、王都は冷たい雨に沈んでいた。

 郊外にある共同墓地。

 傘もささずに立ち尽くす俺の目の前で、粗末な棺が土の中へと降ろされていく。


 参列者は少なかった。

 俺と、数人の近所の住人。そして、義理で顔を出した時計ギルドの役員たちだけだ。

 役員たちは高級な黒の礼服に身を包み、泥で靴が汚れるのを極端に嫌がっていた。彼らの口元には、悲しみではなく、厄介払いができたという安堵の笑みが浮かんでいた。


「まったく、頑固な爺さんだったな」

「ああ。王家の注文を『物理的に不可能だ』なんて突っぱねるから、心労で倒れるんだ」

「『精度こそが正義』だなんて、時代錯誤も甚だしい。今は宝飾時計ジュエリーウォッチの時代だというのに」


 彼らのひそひそ話が、雨音に混じって聞こえてくる。

 俺は拳を握りしめ、爪が掌に食い込む痛みで、込み上げる激情を必死に抑え込んでいた。


 師匠は、宮廷時計師だった。

 だが、決して器用な生き方ができる人ではなかった。

 貴族への根回しや、賄賂、華美な装飾によるご機嫌取り。そういった政治的な振る舞いを一切拒絶し、ただひたすらに「狂わない時計」を作ることだけに生涯を捧げた職人だった。


『アルドよ。時計とは、宇宙だ』


 酒臭い息を吐きながら、師匠はよく言っていた。


『星の運行を、この小さな箱の中に再現する。それが我々の仕事だ。神が作った宇宙に、妥協など許されるか? 0.1秒の狂いは、宇宙の崩壊と同じだ』


 師匠の作る時計は、無骨だった。

 文字盤に宝石を散りばめることもなければ、外装に黄金を使うこともない。

 その代わり、中身は芸術だった。

 極限まで磨き上げられた歯車。温度変化による膨張さえ計算に入れたバイメタル構造。

 蓋を開けなければ誰にも見えない場所に、師匠は魂を削って美を宿していた。


 だが、王都の貴族たちが求めたのは「宇宙」ではなかった。

 彼らが欲しがったのは、舞踏会で自慢できる「アクセサリー」だったのだ。


 師匠の仕事は減り、代わりに台頭してきたのが、見栄えだけを重視する新興の工房たちだった。

 そして最後に来た、王家からの無理難題。

 『決して狂わぬ航海用時計を作れ。ただし、予算は半分、期間は三ヶ月で』

 それは、どう考えても不可能な注文だった。師匠を追い落としたい派閥の差し金だったのだろう。

 師匠はそれでも断らず、不眠不休で設計図を引き続け――そして、製図台の上で冷たくなっていた。


「……おい、アルド君と言ったかね」


 葬儀が終わり、帰ろうとした俺を、ギルドの理事が呼び止めた。

 丸々と太った男で、その指には大きなルビーの指輪が光っていた。


「君も、そろそろ身の振り方を考えたほうがいい。あの店は借金のかたにいずれ取り壊す。君のような若いのが、あんな古臭い技術にしがみついていても先はないぞ」

「……師匠の技術は、古臭くなんかありません」


 俺は掠れた声で反論した。


「師匠は、誰よりも先を見ていました。師匠の理論が完成すれば、時計の精度は飛躍的に向上するはずです」

「はっ! 理論、理論か。そんな紙切れ上の数字で、パンが食えるか?」


 理事は嘲るように鼻を鳴らした。


「いいか、客はな、精度なんて求めてないんだよ。一日に数分ズレようが、見た目が綺麗で、『高そうに見える』ならそれでいいんだ。それが商売だ」


 ドッ、と取り巻きたちが笑う。

 俺は何も言い返せなかった。

 悔しかった。

 師匠の人生を、その信念を、薄っぺらい金メッキの価値観で踏みにじられたことが、何より許せなかった。


 俺は背を向け、泥道を走った。

 雨と涙でぐちゃぐちゃになりながら、誰もいない工房へと戻った。


 冷え切った工房の机の上には、師匠が最期まで握りしめていた書きかけの羊皮紙が残されていた。

 『究極のクロノメーター理論』。

 重力の影響を相殺し、どんな環境下でも絶対的な精度を保つための機構。

 まだ理論の一部しか書かれていない、夢の残骸。


『アルド、お前なら……』


 師匠の声が聞こえた気がした。


『お前の手なら、いつかこの理論を完成させられる。お前の時計で、世界を変えろ』


 俺はその羊皮紙を胸に抱き、誓ったのだ。

 絶対に完成させてやる。

 あいつらが「鉄クズ」だと笑った師匠の技術が、世界で一番優れていることを証明してやる。

 そのためなら、どんな泥水だってすすってやる、と。


          * * *


 あれから二年。

 現実は、さらに残酷だった。


 俺が継いだ『ヴァン・ライン時計工房』は、閑古鳥が鳴くどころか、完全に干されていた。

 俺が作る時計は、師匠譲りの堅牢な作りだ。

 部品を分厚い地板で挟み込む構造は、衝撃には強いが、どうしても厚みが出る。

 王都の流行は「薄型・軽量・煌びやか」。

 俺が持ち込み営業に行っても、店主たちは時計の裏蓋を開けることすらしてくれなかった。


「分厚いねえ。こんな無骨な時計、紳士のポケットには入らないよ」

「デザインが野暮ったい。もっと愛嬌がないと」

「アルド君、君もギルドに入って、石留め(セッティング)の修行でもし直したらどうだ?」


 どこへ行っても門前払い。

 修理の仕事で食いつなごうにも、ギルドの圧力がかかって、まともな仕事は回ってこない。

 残ったのは、膨れ上がる借金と、焦りだけ。


 師匠の残した設計図は、今も机の引き出しの奥にある。

 だが、それを形にするための材料もなければ、工具を新調する金もない。

 日々のパン代すら事欠く生活の中で、「世界を変える」なんて夢は、ただの妄想になりかけていた。


 俺は、終わるのか。

 師匠と同じように、誰にも理解されず、野垂れ死ぬのか。

 

 そんな絶望の淵にいた今日。

 この女が現れた。


 エリアナ・ベルンシュタイン。

 没落寸前の貧乏貴族。噂は聞いている。北の果ての、何もない雪国の令嬢だと。

 婚約者に捨てられ、社交界の笑いものになっていると。


 似たもの同士だ。

 時代に取り残された家と、時代に拒絶された職人。


 だが。

 今、俺の目の前で、彼女は直った時計を愛おしそうに撫でている。

 その指先は、まるで赤子をあやすように優しい。


「……動いた」


 彼女のその一言は、ただの動作確認ではなかった。

 止まっていた彼女自身の時間が、俺の手によって再び動き出したことへの、魂からの叫びのように聞こえた。


 俺の心臓が、ドクンと跳ねる。

 承認欲求? いや、もっと根源的な喜びだ。

 俺の技術が、誰かの役に立った。

 俺の作った「正確さ」が、誰かの心を救った。


 師匠。

 あんたの言っていたことは、間違いじゃなかったのかもしれない。

 見てくれる人は、いる。

 たった一人かもしれないが、中身(ほんもの)の価値を分かってくれる人間が、ここにいる。


「……礼を言うのはまだ早い。これからが本番だ」


 俺は努めてぶっきらぼうに言った。

 素直に感情を表に出すのは苦手だ。それに、まだ警戒心は解けない。

 彼女は貴族だ。気まぐれで褒めているだけかもしれない。明日には「やっぱり地味ね」と言って捨てるかもしれない。


 だが、彼女は帰らなかった。

 金を払う代わりに、何かを言い出そうとしている。

 その瞳は、嵐の前の海のように、静かで、しかし激しい光を宿していた。

 

 俺は無意識に、作業机の下で拳を握りしめた。

 予感がした。

 今まで錆びついて動かなかった運命の歯車が、巨大な音を立てて回り出そうとしている予感が。


 彼女が、口を開く。

 俺の人生を、根底から覆す言葉を紡ごうとしていた。

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