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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第5章:永遠を刻む

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39/40

第39話:結婚式

 その日の朝、領地は抜けるような青空に覆われていた。

 昨晩降り積もった新雪が、朝日に照らされてダイヤモンドダストのように煌めいている。

 かつて「寒々しい」と言われたこの景色が、今日はまるで、世界中の光を集めた祝福のステージのように見えた。


 私の部屋の鏡の前。

 そこに映っているのは、かつての「地味で不幸な令嬢」ではない。

 純白のドレスに身を包み、頬を紅潮させた、一人の幸せな花嫁だった。


「……お美しいです、お嬢様」


 侍女たちが、涙ぐみながらヴェールを整えてくれる。

 このドレスは、王都の有名デザイナーに頼んだものではない。領地の女性たちが、この日のために最高級の羊毛と絹を使い、総出で織り上げてくれたものだ。

 胸元や袖口には、銀糸で繊細な刺繍が施されている。

 雪の結晶と、歯車を模した模様。

 私たちの「誇り」が刻まれたドレス。どんな高価なブランド品よりも、私にとっては価値がある。


「準備はよろしいですか、お嬢様」


 ドアがノックされ、ハンスが入ってきた。

 彼は今日のために新調したモーニングコートを着ていたが、その目は既に真っ赤に腫れていた。


「ハンス……。泣くのは早いわよ」

「だ、だって……ううっ……こんな日が来るなんて……! 旦那様に見せて差し上げたかった……!」


 ハンスはハンカチで顔を覆い、号泣している。

 私は苦笑しながら、彼に近づき、その背中を優しく撫でた。


「ありがとう、ハンス。あなたがいてくれたから、私はここまで来られたのよ。……さあ、エスコートをお願い」

「は、はいっ! 喜んで!」


 ハンスが震える腕を差し出す。

 私はその腕に手を添え、部屋を出た。


 屋敷の外に出ると、冷たく澄んだ空気が肌を刺した。

 けれど、寒くはない。

 屋敷から村の教会へと続く道には、赤い絨毯……ではなく、村人たちが撒いてくれた赤い木の実と、常緑樹の葉が敷き詰められていたからだ。


「おめでとうーッ!!」

「エリアナ様ー! 綺麗だよー!」

「幸せになれよー!」


 沿道には、村人だけでなく、近隣の町や、遠く王都からも駆けつけた人々が溢れていた。

 鉄道会社の職員、海洋商会の船乗りたち、そして私たちの時計を愛用してくれている顧客たち。

 誰もが笑顔で手を振り、花びらを投げてくれる。


 私は手を振り返しながら、一歩ずつ歩いた。

 二年近く前、この道を馬車で通った時は、誰もいなかった。

 閉ざされた窓と、諦めに満ちた静寂だけがあった。

 それが今、こんなにも温かい声で満たされている。

 私たちが作ったのは、時計だけじゃない。この「笑顔」も作ったのだ。そう思うと、胸がいっぱいになった。


 教会の前に着くと、そこには15人の弟子たちが整列していた。

 彼らもまた、作業着ではなく、それぞれの晴れ着(何十年も前の流行遅れのものだが、綺麗にプレスされていた)を着て、誇らしげに胸を張っている。


「お嬢様、到着だ!」

「親方が中でガチガチになって待ってますぜ!」


 ブルーノ爺さんがニカッと笑い、重い木の扉を開けた。


 パイプオルガンの音色が響き渡る。

 私はハンスの腕から離れ、祭壇へと続くバージンロードを見据えた。

 ステンドグラスから差し込む光の先に、彼が立っていた。


 アルド。


 彼は、白銀色のタキシードを着ていた。

 『ベルン・シルバー』をイメージしたというその色は、彼の琥珀色の瞳と黒髪によく似合っていた。

 彼は緊張した面持ちで、私が歩いてくるのを直立不動で待っている。

 その強張った表情が愛おしくて、私は自然と笑みがこぼれた。


 一歩、また一歩。

 彼との距離が縮まるたびに、思い出が走馬灯のように蘇る。

 路地裏での出会い。

 雪の中の契約。

 暖炉の前での温もり。

 そして、嵐の海での約束。


 全てが、今日この瞬間のためにあったのだ。


 祭壇の前まで来ると、アルドが手を差し伸べた。

 私はその手を取った。

 大きくて、温かくて、そして少し汗ばんだ手。

 この手が、世界を変え、私を救ってくれた手だ。


「……綺麗だ」


 彼が、誰にも聞こえないような小声で囁いた。


「見惚れて、心臓が止まるかと思った」

「ふふ。時計師が心臓を止めちゃダメでしょう?」

「違いない」


 彼がいつものようにニッと笑い、私の緊張も解けた。

 神父様が咳払いをして、式を始める。


 誓いの言葉は、ありきたりなものだった。

 病める時も、健やかなる時も。

 でも、私たちにとってその言葉は、机上の空論ではない。

 本当に病める時も、貧しい時も、死にかけた時も、共に乗り越えてきたからこそ、言葉の一つ一つが重みを持って響く。


「……誓います」


 私が答えると、次は指輪の交換だ。

 アルドがポケットから取り出したのは、この日のために内緒で作ってくれていた『ベルン・シルバー』の指輪。

 小さな歯車とネジが埋め込まれた、世界に一つだけの指輪だ。


 彼は私の左手を取り、震える指で、薬指にそれを滑らせた。

 冷たい金属が肌に触れ、すぐに体温で馴染んでいく。


「……俺の時間は、すべて君に捧げる」


 彼は祭壇の前で、もう一度その言葉を口にした。

 神への誓いではなく、私への誓いとして。


「私も。……私の命が続く限り、あなたと共に時を刻みます」


 私も、彼のために用意した指輪を、彼のごつごつした指にはめた。

 お揃いの、洋銀の指輪。

 これで私たちは、名実ともに夫婦となり、永遠のパートナーとなった。


「では、誓いの口づけを」


 神父様の言葉に、アルドが私のヴェールを上げた。

 至近距離で見つめ合う。

 彼の瞳の中に、私が映っている。

 私の瞳の中にも、彼が映っているだろうか。


 彼がゆっくりと顔を近づける。

 まつ毛が触れ合う距離。

 そして、唇が重なった。


 柔らかく、温かい感触。

 工房の夜にしたキスよりも、少し長く、深いキス。


 その瞬間だった。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン……。


 教会の鐘が鳴り響いた。

 正午を告げる鐘だ。

 でも、それだけではなかった。


 カラン、カラン、カラン……。

 キン、コン、カン、コン……。


 村の至る所から、鐘の音が響き始めたのだ。

 工房の始業の鐘。

 広場に新設された時計塔の鐘。

 そして、学校のチャイム。

 

 音色はバラバラだ。重厚な音、軽やかな音、高い音、低い音。

 けれど、そのリズムは完全に一致していた。

 一秒のズレもなく、完璧に調和した大合唱となって、谷間の村全体に響き渡る。


「……っ!」


 私は驚いて唇を離した。

 アルドを見ると、彼は悪戯っぽく笑っていた。


「……驚いたか?」

「アルド、これ……」

「村中の時計を、電信で繋いで同期させたんだ。この瞬間に、一斉に鳴るようにな」


 彼は窓の外を指差した。


「これが、俺たちの『新しい時』の始まりの合図だ」


 村全体が、祝福の音色に包まれている。

 それは、私たちが作り上げた産業の音であり、人々の生活の音であり、そして平和の音だった。

 かつて静寂に支配されていたこの村が、今はこんなにも賑やかな「時」を歌っている。


「……素敵。最高の演出だわ」


 私は涙をこらえきれず、また彼に抱きついた。

 教会の中からも、外からも、割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がる。


「おめでとう!!」

「最高だぞ、親方!」

「お幸せにー!!」


 フラワーシャワーが降り注ぐ中、私たちは腕を組んでバージンロードを歩き出した。

 扉の向こうには、眩しいほどの光が溢れている。


 教会の外に出ると、空には白い鳩が放たれ、青空へ向かって舞い上がっていった。

 その先には、雪を頂いた山々が聳え立っている。

 厳しい冬も、美しい春も、これからは二人で見ていくのだ。


「……エリアナ」


 アルドが、隣で私を呼んだ。


「愛してる」


 直球だった。

 照れ屋の彼が、皆の前で、大声で言った。

 私は顔が真っ赤になるのを感じたけれど、それ以上に胸が熱くなった。


「私もよ。……愛してるわ、アルド」


 私たちはもう一度、光の中でキスをした。

 鐘の音はまだ鳴り響いている。

 それは、私たちの物語がハッピーエンドを迎えた合図であり、同時に、これから始まる長い長い未来へのファンファーレでもあった。


 かつて止まっていた時間は、もう二度と止まらない。

 私たちは歩き出す。

 永遠に続く、愛しい時の中へ。

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