第36話:師匠への報告
王都の夜は、いつまでも明るかった。
『銀の明星』の勝利を祝う宴は、王城の大広間から市井の酒場へと場所を広げ、街全体がお祭り騒ぎになっていた。
どこへ行っても乾杯の声が響き、俺たちの名前が呼ばれている。
かつて俺を「鉄クズ屋」と馬鹿にしていた連中が、掌を返したように「昔から見どころがあると思っていた」などと擦り寄ってくる様は、滑稽ですらあった。
「……悪い。少し抜ける」
俺は祝賀会の喧騒に疲れ、エリアナに一言告げてから会場を抜け出した。
向かったのは、俺たちが泊まっている宿の屋上テラスだ。
ここなら誰も来ない。
眼下には、光の海となった王都が広がっている。遠くに見える港には、傷ついた『セイレーン』と、誇らしげに掲げられた王家の旗が見えた。
「ふぅ……」
俺は手すりに寄りかかり、夜風に当たった。
火照った頬が冷やされていく。
ポケットから、師匠の形見である古びたキズミ(ルーペ)を取り出した。
月明かりにかざす。
無数の傷がついたレンズの向こうに、懐かしい師匠の顔が浮かぶような気がした。
「……終わったよ、師匠」
俺は夜空に向かって、静かに語りかけた。
「あんたが命懸けで挑んで、跳ね返された壁……俺たちがぶち破ってやったぜ」
『重力制御籠』。
師匠が夢見、設計図の隅に描き殴っていた理想郷。
それを形にし、嵐の海で証明してみせた。
あの日、雨の墓地で誓った約束を、ようやく果たせたんだ。
『アルドよ。時計とは宇宙だ』
師匠の口癖が蘇る。
『星は止まらない。だから、時計も止まってはならないのだ』
あんたは正しかったよ。
でもな、師匠。一つだけ、あんたは間違ってた。
時計作りは、孤独な作業じゃねえ。
一人で宇宙を作ろうなんて、傲慢だったんだ。
俺は、一人じゃなかったから勝てた。
素材を叩き出してくれた弟子たちがいた。
命がけで船を操ってくれた船乗りたちがいた。
そして何より……。
「……アルド?」
背後から、衣擦れの音がした。
振り返らなくても分かる。
この足音、この気配。
俺の「共犯者」だ。
「……ここだったのか」
「ええ。あなたが消えちゃったから、主役不在でハンスたちが困っていたわよ」
エリアナが苦笑しながら歩み寄ってきた。
夜会用のミッドナイトブルーのドレスが、月光を受けて濡れたように輝いている。
綺麗だ、と素直に思った。
初めて会った時の、くすんだ藍色のドレスを着ていた彼女とは別人のようだ。
いや、中身は変わっていない。
あの時も今も、彼女の瞳には、俺を信じる強い光が宿っている。
「悪かったな。どうもあの空気は苦手だ。……酒の味も分からなくなりそうだ」
「ふふ。私もよ」
彼女は俺の隣に並び、同じように手すりに寄りかかった。
手には、会場から持ってきたであろうワイングラスが二つ。
一つを俺に差し出した。
「こっちの方が、美味しく飲めると思って」
「……気が利くな」
俺たちはグラスを軽く合わせた。
チン、と澄んだ音が夜気に溶ける。
安いワインだったが、どんな高級酒よりも美味く感じた。
「……師匠に、報告していたの?」
エリアナが、俺の手にあるルーペを見て尋ねた。
「ああ。……文句を言ってやったよ。あんたの設計図は複雑すぎて使い物にならなかったってな」
「まあ。罰が当たるわよ」
「いいんだよ。弟子が師匠を超えるのが、最高の恩返しだ」
俺はルーペをポケットにしまった。
これで、一つ区切りがついた。
師匠の影を追うのは、もう終わりだ。これからは、俺自身の時計を作る。
「エリアナ」
「なあに?」
「……礼を言う」
俺は彼女の方を向いた。
照れくささはあったが、今言わなきゃ一生後悔する気がした。
「あんたがいなきゃ、俺はここにはいなかった。王都の片隅で、借金に追われて腐ってたか……あるいは、師匠の後を追って死んでたかもしれない」
大袈裟じゃない。
あの時、彼女が工房の扉を開けてくれなかったら、俺の時間は止まったままだった。
「あんたが俺を見つけてくれた。俺の技術を『本物』だと言ってくれた。……そして、俺に『引き算』という翼をくれた」
ジャイロ・ケージの完成。
あのひらめきを与えてくれたのは、間違いなく彼女だ。
技術を持たない彼女だからこそ見えた、本質的な「理」。
「あんたのおかげだ、エリアナ。……この勝利は、半分以上あんたのものだ」
エリアナは少し驚いたように目を丸くし、それから優しく微笑んだ。
「半分こ、ね。……じゃあ、あとの半分はあなたのものよ」
彼女はそっと、俺の手に自分の手を重ねた。
温かい。
雪の日、暖炉の前で触れ合った時と同じ温もり。
でも、あの時よりもずっと近くに感じる。
「あなたが諦めずに戦い抜いたから、私たちは勝てたの。……誇りに思うわ、私の最高のパートナー」
パートナー。
その響きが、心臓を心地よく叩く。
俺たちは主従であり、ビジネスの相手であり、そして……それ以上の何かだ。
俺は、重ねられた彼女の手を握り返した。
華奢で、白くて、でも芯の強い手。
この手を、もう離したくないと思った。
「……俺は、王都には残らねえぞ」
俺は唐突に言った。
「筆頭宮廷時計師なんて肩書きはもらったが、ここで貴族のご機嫌取りをするつもりはねえ。俺の居場所は、あの雪深い工房だ」
「ええ、知っているわ。陛下にもそう言ったでしょう?」
「ああ。……あんたはどうする?」
俺は少し不安になって尋ねた。
彼女は伯爵令嬢だ。実家の借金も完済し、名誉も回復した。今なら、王都の煌びやかな社交界に復帰することもできる。
ギルバート以上の優良物件との縁談だって、山ほど来るだろう。
あんな何もない田舎に、彼女を縛り付ける権利が俺にあるのか。
エリアナは、きょとんとした顔をして、それから吹き出した。
「何を言っているの? 私が帰る場所も、あそこしかないわ」
彼女は王都の街並みに背を向け、北の空――俺たちの領地がある方角を見つめた。
「ここは眩しすぎるの。星も見えないし、雪の静けさもない。……それに、私の大切な『家族』たちが待っているもの」
家族。
ハンスや、15人の弟子たち。そして村のみんな。
彼女にとっても、あそこが唯一の「家」なのだ。
「それに……まだ終わっていないでしょう?」
「あん?」
「『銀の明星』は完成したけれど、それはまだ第一歩よ。これから世界中に私たちの時計を届けて、産業を大きくして……あの村をもっと豊かにしなきゃ」
彼女の目は、未来を見ていた。
俺なんかより、ずっと先の景色を。
「付き合ってくれるか?」
「もちろんよ。……死ぬまで、こき使ってあげるわ」
悪戯っぽく笑う彼女を見て、俺も笑った。
敵わねえな、この女には。
俺の一生なんて、とっくに彼女に捧げちまってるんだ。今更だ。
「よし。帰ろうぜ、エリアナ」
俺はグラスの中身を飲み干した。
勝利の美酒は、これで終わりだ。
明日からはまた、油まみれの日々が待っている。
だが、それが何より楽しみだった。
俺たちは並んで、テラスを後にした。
夜空には、満天の星が輝いている。
その中でも一際明るく輝く星が、俺たちの行く道を照らしているようだった。
師匠。
見ててくれよ。
俺たちは、もっとすごい時計を作る。
この世界中の誰よりも、幸せな時を刻む時計をな。




