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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第4章:嵐の海と審判

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第31話:救難信号

 闇と暴風雨に閉ざされた海上で、その赤い光は血のように不吉な輝きを放っていた。


 赤色の信号弾。

 それは海の上において、万国共通の言語だ。

 『我、操舵不能なり』あるいは『我、現在地を喪失せり』。

 つまり、死の縁に立っているという悲鳴だ。


「……間違いない。僚船グラン・ロワだ」


 ゴードン船長が、望遠鏡を下ろして呻くように言った。

 船長室の空気が凍りつく。

 俺たちの勝利は確定した。ライバルの時計は壊れ、彼らは勝負の土俵から滑り落ちたのだ。

 ざまあみろ、と言って祝杯を上げることもできる。

 だが、俺の胸に去来したのは、暗い勝利感ではなく、もっと切迫した焦燥感だった。


「船長。あいつらの現在位置は?」


 俺が問うと、航海士が青ざめた顔で海図を指差した。


「推測ですが……光の方角と距離からして、この辺りです」


 彼が指差した場所。

 そこは、俺たちが先ほど命からがら回避した『魔女の岩礁』の、すぐ北側だった。


「……マズいな」


 ゴードン船長が舌打ちをした。


「あいつらは今、南へ流されている。このまま行けば、30分後には岩礁地帯に真正面から突っ込むぞ」

「教えてやることはできないのか!?」

「無理だ! この嵐だぞ!? 声なんぞ届かんし、近づけばこっちが巻き添えを食う!」


 船が大きく傾き、俺は『銀の明星』の台座にしがみついた。

 時計は、チチチチ……と変わらぬリズムで時を刻んでいる。

 この正確な鼓動が、今は残酷なカウントダウンのように聞こえた。


 あと30分。

 それを過ぎれば、あの煌びやかな最新鋭艦は、数百人の乗組員と共に海の藻屑となる。

 ギルバートたちは港で優雅に待っているだろうが、現場にいる名もなき水夫たちに罪はない。


(……ふざけるな)


 俺は奥歯を噛み締めた。

 俺は時計師だ。

 俺が作ったのは、人を殺すための機械じゃない。人の命を守るための道具だ。

 ライバルが自滅するのは勝手だが、俺の時計(分身)が目の前にあるのに、みすみす人が死ぬのを見過ごすなんて、職人のプライドが許さねえ。


「……助けるぞ」


 俺は低く言った。

 ゴードン船長がギョッとして俺を見た。


「ああん!? 正気か時計屋! 助けるってどうやって……」

「俺たちには『目』がある」


 俺は時計を指差した。


「こいつが生きてる限り、俺たちは神の視点を持ってるのと同じだ。俺たちの正確な位置と、あいつらの方角が分かれば、あいつらが『今どこにいて、どう動けば助かるか』を計算できる!」

「計算だと!?」

「そうだ! あいつらは目が潰れてパニックになってるだけだ。『お前らの位置はここだ、右へ切れ』と教えてやれば、まだ間に合う!」


 俺は航海士の胸ぐらを掴んだ。


「おい! 計算しろ! 俺たちの現在地(北緯58度15分、東経18度05分)を基準点にして、あいつらの座標を割り出せ! 誤差は許さねえぞ!」

「は、はいっ!」


 航海士が定規とコンパスを手に取り、海図に覆いかぶさる。

 俺も横から覗き込み、時計の秒針を読み上げる。


「信号確認から3分経過! 推定潮流速度、南へ4ノット! あいつらの漂流速度を加味しろ!」


 頭の中で数字が回転する。

 歯車の噛み合わせを計算するのと同じだ。

 因果関係を解きほぐし、たった一つの「解」を導き出す。


「……出ました!」


 航海士が叫んだ。


「対象艦の現在位置、推定北緯58度18分、東経18度02分! 岩礁までの距離、わずか1.5海里(マイル)!」

「進路は!?」

「面舵一杯! 針路270(西)へ転舵すれば、岩礁の北端をかすめて外洋へ脱出できます!」


 答えは出た。

 あとは、これをどう伝えるかだ。


「船長! 発光信号だ!」


 俺はゴードン船長に向き直った。


「モールス信号で、この座標と指示を叩きつけろ! あいつらが気づくまで何度でもだ!」


 ゴードン船長は一瞬、複雑な顔をした。

 彼にとっても、あの『グラン・ロワ』は自分たちを見下し、冷遇してきた憎きエリート集団だ。

 だが、彼は海の男だった。


「……ちっ。お人好しな時計屋だぜ」


 彼はニヤリと笑い、帽子を目深に被り直した。


「野郎ども! 聞いたか! あのデカブツの尻拭いをしてやるぞ! 信号灯用意! 『セイレーン』の意地を見せてやれ!」


「「「アイアイサー!!」」」


 船員たちが動き出す。

 俺は時計の箱を抱え直し、祈るように見つめた。

 頼む。

 お前の光で、あいつらの目を覚まさせてやってくれ。


          * * *


 甲板に出ると、風雨はさらに激しさを増していた。

 信号手が防水ランプを構え、闇の向こうへ向けてシャッターを切り始める。


 カチ、カチ、カチ……。


 鋭い光の明滅が、雨のカーテンを切り裂いて飛んでいく。


『貴艦ノ位置、危険ナリ。岩礁マデ1.5マイル』

『直チニ面舵一杯。針路270ニテ回避セヨ』


 繰り返し、繰り返し送る。

 返事はない。

 向こうの船影は、波の間に見え隠れするだけで、動きに変化は見られない。


「……気づかねえのか!?」

「混乱してるんだ! 艦橋(ブリッジ)じゃ怒号が飛び交って、外を見る余裕もねえんだろうよ!」


 焦りが募る。

 刻一刻と、タイムリミットが迫っている。

 時計の秒針が進むたびに、彼らは死へと近づいていく。


「……貸せ!」


 俺は信号手からランプをひったくった。


「俺がやる! もっと強く、もっと速くだ!」


 俺は手すりに身を乗り出し、嵐に向かって光を放った。

 ただの信号じゃない。怒りを込めろ。

 「こっちを見ろ!」という意志を込めろ。


 カチカチカチカチッ!!


 俺の指が痙攣するほどの速さでレバーを弾く。

 まるで、俺自身がテンプとなって、光の鼓動を刻むように。


 おい、王都の連中! 聞こえるか!

 お前らが馬鹿にした「田舎の時計」が、今お前らを助けようとしてるんだぞ!

 飾りだけの時計じゃ、命は守れねえって分かったか!

 だったら意地を見せろ! 生き残って、俺に負けを認めに来い!


「……曲がれェェェッ!!」


 俺は叫んだ。声は風にかき消されたが、魂の叫びは光に乗ったはずだ。


 その時。

 闇の向こうの巨大な影が、微かに動いた気がした。


「……おい、見ろ!」


 見張り員が指差した。

 『グラン・ロワ』のマストが、ゆっくりと傾いていく。

 風に流されているのではない。

 自らの意志で、舵を切った動きだ。


「回頭してる……! 右だ! 西へ向かってる!」


 船員たちが歓声を上げる。

 巨体が、波を押し分けて旋回していく。

 遅い。あまりにも遅い動きだが、確実に死のコースから外れようとしている。


 間に合うか?

 岩礁はもう目の前だ。


 俺たちは息を呑んで見守った。

 『グラン・ロワ』の船尾のすぐ横で、白い波飛沫が上がった。

 隠れ根だ。

 あと数十メートルずれていれば、船底を引き裂かれていただろう。


「……抜けた」


 ゴードン船長が、双眼鏡を下ろして息を吐いた。


「ギリギリだ。……あいつら、首の皮一枚で繋がりやがった」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の全身から力が抜けた。

 甲板に膝をつく。

 冷たい雨が顔を打つが、今はそれが心地よかった。


 助かった。

 あいつらの命も。

 そして、俺の時計師としての誇りも。


 その時、向こうの船から、弱々しい光が返ってきた。

 チ、チ、ツー、チ……。


『感謝ス。貴艦ノ誘導ニヨリ、生還セリ』

『ワレ、現在地ヲ喪失。貴艦ノ先導ヲ乞ウ』


 それは、完全なる敗北宣言であり、救助要請だった。

 あのプライドの高い王立海軍が、ボロ船である俺たちに「導いてくれ」と頭を下げたのだ。


「……へっ。いい気味だぜ」


 ゴードン船長がニヤリと笑い、俺の肩をバシと叩いた。


「聞いたか、マイスター! あいつら、泣きついてきやがったぞ! これで貸しは一生もんだな!」

「ああ。高くつくぜ、このガイド料は」


 俺は立ち上がり、ランプを掲げた。

 

『了解。当艦ニ続ケ。我ラガ道ヲ示ス』


 返信を送ると、俺は船室へと戻った。

 『銀の明星』の元へ。


 ガラスケースの中で、ジャイロ・ケージは相変わらず優雅に回転を続けていた。

 その青白い輝きは、まるで「いい仕事をしたな」と俺を労ってくれているようだった。


「……帰るぞ、相棒」


 俺は箱を優しく撫でた。


「エリアナが待ってる。最高の土産話を持ってな」


 『セイレーン』が先頭に立ち、『グラン・ロワ』を従えて進む。

 嵐はまだ続いているが、もはや恐怖はなかった。

 俺たちには、決して狂わない羅針盤(こいつ)があるのだから。


 夜明け前。

 俺たちは王都へ向けて、勝利の航海を続けていた。

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