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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第4章:嵐の海と審判

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第28話:別れの言葉

 港には、強くなり始めた海風が吹き荒れていた。

 空を覆う雲は厚く、カモメたちが低い位置を飛び回っている。熟練の船乗りでなくとも、これから海が荒れることは肌で感じ取れた。


 私の目の前には、今回アルドが乗るフリゲート艦『セイレーン』が停泊している。

 近くで見ると、その古さは歴然としていた。船腹の板は潮風に晒されて黒ずみ、所々に継ぎ接ぎの跡がある。隣の桟橋に停泊している最新鋭艦『グラン・ロワ』の、城のように巨大で煌びやかな姿とは比べるべくもない。


「……本当に、この船で大丈夫なの?」


 不安が口をついて出た。

 時計の性能勝負だとは分かっている。けれど、その舞台となる「船」の格差があまりにも大きすぎる。もし時計が無事でも、船ごと沈んでしまったら……。

 悪い想像ばかりが頭をよぎり、私は無意識にドレスの裾を握りしめていた。


「心配すんな。見てみろよ」


 アルドは荷物を肩に担ぎ直しながら、顎で『セイレーン』の甲板を示した。

 そこには、出航準備に追われる船員たちの姿があった。

 彼らの服はボロボロで、肌は革のように日焼けしている。だが、その動きには一切の無駄がなく、ロープを操る手つきは神業のように素早かった。


「あいつらは『海軍の除け者』かもしれねえが、海を知り尽くしたベテランだ。ピカピカの制服を着てパレードばかりしてるエリート連中より、よっぽど信用できる」


 アルドはニヤリと笑った。


「それに、俺たちと同じ匂いがするだろ? 『不適合者』の匂いだ」


 彼の言葉に、ふと肩の力が抜けた。

 そうだった。私たちはいつだって、逆境をバネにしてきた。

 整えられた環境で守られている時よりも、泥にまみれて足掻いている時の方が、私たちは強いのだ。


「……そうね。あなたらしい船だわ」

「だろ? ジャジャ馬くらいが乗りこなすには丁度いい」


 出航を告げる鐘が鳴った。

 第一打。

 別れの時だ。


 周囲の喧騒が、急に遠のいた気がした。

 数万人の観衆の声も、風の音も、波の音も、今は背景のノイズに過ぎない。

 世界には、私と彼、二人しかいないような錯覚。


 アルドが私に向き直った。

 その手には、黒檀の箱がしっかりと握られている。

 中には『銀の明星』。

 私たちの夢と、誇りと、そして未来が詰まった箱。


「……行ってくる」


 短い言葉だった。

 でも、その声音には、普段のぶっきらぼうさとは違う、深い響きがあった。


「エリアナ。あんたはここで待ってろ。寒いから、無理して桟橋に立ってる必要はねえ。宿に戻って、温かい茶でも飲んでればいい」

「……嫌よ。私はここから動かないわ」


 私は首を横に振った。


「あなたの船が見えなくなるまで、いいえ、あなたが帰ってくるその瞬間まで、私は港で待っている。……私はあなたのパトロンよ? 投資の行方を見届ける義務があるもの」


 強がりを言った。

 そうでも言わなければ、今にも「行かないで」と泣きついてしまいそうだったからだ。

 魔の海域。

 そこは、多くの船が飲み込まれ、二度と戻らなかった場所だ。

 もしこれが、彼との最期の会話になったらどうしよう。

 そんな恐怖が、喉元までせり上がってくる。


 アルドは困ったように眉を下げ、そして一歩、私に近づいた。

 彼は右手を伸ばし、私の頬に触れた。

 ゴツゴツとした、硬い職人の手。

 でも、その温もりは優しく、私の震えを鎮めてくれるようだった。


「……この時計はな」


 彼は黒檀の箱を少し持ち上げて見せた。


「ただの機械じゃねえ。俺の分身だ」


 彼の琥珀色の瞳が、私の瞳を真っ直ぐに射抜く。


「俺の技術、俺の魂、そして……あんたへの想い。全部、この中に詰め込んだ。こいつが動いている限り、俺は絶対に止まらねえ」


 心臓が、大きく跳ねた。

 あんたへの想い。

 不器用な彼が精一杯紡いだその言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも、私の胸を貫いた。


「必ず帰ってくる」


 彼は誓うように言った。


「どんな嵐が来ようが、どんな波が来ようが、俺はこの時計を守り抜く。そして……必ず、あんたの元へ帰る」


 それは、勝利宣言ではなかった。

 一人の男としての、約束だった。


「だから……信じて待ってろ」


 彼の顔が近づき、その額が私の額にコツンと当たった。

 熱い。

 彼の体温と、鼓動が伝わってくる。


「……俺の時間は、全部あんたに預けたんだ。勝手に終わらせたりしねえよ」


 涙が溢れそうになり、私は必死で堪えた。

 泣いてはいけない。

 戦場へ向かう彼の背中を、涙で濡らしてはいけない。

 私は笑顔で見送らなければならないのだ。

 「不適合者」の相棒として。


「……ええ。信じているわ」


 私は彼の手の上に、自分の手を重ねた。


「待っているわ、アルド。最高の時計と……最高の時計師の帰りを」

「ああ」


 第二の鐘が鳴った。

 アルドは名残惜しそうに離れると、踵を返し、タラップへと向かった。

 一度も振り返らなかった。

 その背中は、以前よりもずっと大きく、頼もしく見えた。


 彼は『セイレーン』の甲板に立ち、船長に何やら言葉を交わすと、すぐに船内へと消えていった。

 彼にとっての戦場は、甲板ではなく、時計が設置された船室なのだ。


「出航ーッ!!」


 号令と共に、(ともづな)が解かれる。

 帆が張られ、風を孕んで大きく膨らむ。

 ギギギ……と船体がきしむ音を立てて、古びた軍艦が岸を離れていく。


 隣の桟橋からは、『グラン・ロワ』も優雅に出航していくのが見えた。

 王立楽団の演奏と、華やかな紙吹雪が舞う中での出立だ。

 対してこちらは、カモメの声と、風の音だけ。


 けれど、私には聞こえた気がした。

 あの船の中から響く、力強い鼓動が。

 チチチチ……ヒュン……。

 『銀の明星』が刻む、勝利へのリズムが。


 船はみるみるうちに遠ざかり、鉛色の水平線へと向かっていく。

 風が強まり、私の髪を乱暴にかき乱す。

 冷たい雨粒が、ポツリと頬を打った。

 嵐が来る。


 私は桟橋の先端に立ち尽くし、船影が霞んで見えなくなるまで、その場を動けなかった。

 祈ることしかできない無力さが歯痒い。

 けれど、胸の奥には不思議な温かさが残っていた。

 彼が残していった言葉。

 『俺の時間は、全部あんたに預けた』。


 その言葉をお守りのように抱きしめ、私は海を睨みつけた。

 負けないで。

 荒れ狂う海よ、彼を飲み込めるものなら飲み込んでみなさい。

 彼は重力さえもねじ伏せた男なのよ。

 あなたごときに、私たちの時間を止めさせはしない。


 遠くで雷鳴が轟いた。

 戦いの幕が、切って落とされた。

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