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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第3章:王家のコンペティション

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第24話:完成、「銀の明星」

 出発の日の夜明け前。

 村はまだ深い眠りについていたが、工房の明かりだけは消えることなく灯っていた。


 私の目の前には、一つの木箱が置かれている。

 黒檀で作られ、内側にビロードが貼られた重厚な箱だ。

 アルドがゆっくりと、その蓋を開けた。


「……できたぞ」


 彼の声は掠れていたが、そこには揺るぎない自信が満ちていた。

 箱の中で、真新しい時計が鎮座している。

 今まで部品の状態や、ムーブメントの裸の状態では何度も見てきた。けれど、こうしてケースに収められ、「時計」としての完全な姿を見るのは初めてだった。


 私は思わず息を呑んだ。


「なんて……美しいの」


 それは、時計という工業製品の枠を超えた、一つの芸術品だった。

 ケース素材はもちろん、私たちの誇りである『ベルン・シルバー』。

 丁寧に磨き上げられたその表面は、鏡のように光を反射するのではなく、内側から発光しているかのような、温かく深みのある光沢を放っている。

 王都の流行である彫金や宝石の装飾は一切ない。

 あるのは、完璧な曲線と、計算し尽くされたプロポーションだけ。


 だが、真の美しさはその「顔」にあった。

 文字盤には、6時の位置に大きな穴が開けられている。

 そこに見えるのは、青白く輝く鋼の檻――『ジャイロ・ケージ』だ。

 空中に浮遊するかのように設置されたその檻は、一分間に一回の速度で優雅に回転し続けている。その中で、テンプが生き物のように脈打ち、ヒゲゼンマイが呼吸をしている。


「……見ろ。文字盤の配置だ」


 アルドが指差した。

 通常の時計とは異なり、時刻を表示する文字盤は中心から少し上にズレて(オフセンター)配置され、その分、下のジャイロ・ケージが主役として強調されていた。

 そして、文字盤の余白部分には、独特のストライプ模様が刻まれている。


「これ……『ベルンシュタイン・ストライプ』ね」

「ああ。この領地の雪原に風が吹いた時にできる、あの波模様(風紋)をイメージした」


 彼は少し照れくさそうに言った。

 銀色の雪原。

 その上に浮かぶ、時を刻む二つの円。

 まるで、凍てついた世界の中で、命だけが燃えているような情景。


「動かしてみていい?」

「ああ。今はあんたのものだ」


 私は震える手で、時計を箱から取り出した。

 ずしりとした重み。

 中身がぎっしりと詰まっている密度の高さだ。

 耳に当てる。


 ……ヒュン、チチチチ……。


 静かだ。

 以前の試作品のような荒々しい音ではない。

 抵抗がなく、無理がなく、ただ永遠に回り続けることを約束されたかのような、静寂な回転音。

 それはまるで、星が巡る音のように神秘的だった。


「名前をつけよう」


 アルドが言った。

 彼は窓際に行き、カーテンを開けた。

 東の空が白み始めている。その境界線に、一つだけ強く輝く星が残っていた。

 明けの明星だ。


「……『銀の明星シルバースター』」


 私の口から、自然と言葉がこぼれた。


「どうかしら? この時計は、銀色の輝きを持っている。それに、暗闇の中でも決して迷わない道標になってくれるはずだから」


 アルドは星と、私の手の中の時計を見比べ、ニヤリと笑った。


「『銀の明星』か。……悪くねえ。王都の連中には眩しすぎる名前だがな」

「ふふ。目が眩むくらいがちょうどいいわ」


 私たちは顔を見合わせて笑った。

 この数週間、地獄のような苦しみの中にいたことが嘘のようだ。

 今の私たちには、達成感と、これから始まる戦いへの高揚感しかなかった。


「……アルド」

「ん?」

「ありがとう。私の領地に来てくれて」


 私は時計を胸に抱きしめたまま、彼を見つめた。

 借金まみれの工房で、世界を呪っていた彼。

 それが今、こんなにも素晴らしいものを生み出し、堂々と立っている。


「……礼を言うのは俺の方だ」


 アルドは窓枠に手をつき、背中を向けたまま言った。


「あんたがいなきゃ、俺はとっくに野垂れ死んでた。技術があっても、それを使う場所がなきゃ意味がねえ。……あんたが俺を見つけてくれたから、俺は時計屋に戻れたんだ」


 彼は振り返り、真剣な瞳で私を見た。


「エリアナ。……コンペに勝ったら、言いたいことがある」

「え?」

「今は言わねえ。勝って、王室御用達の称号を手に入れて、誰にも文句を言わせない時計師になったら……その時、聞いてくれ」


 心臓が、時計の鼓動よりも大きく跳ねた。

 彼の言いたいことが何なのか、なんとなく分かってしまったから。

 そして、それが私自身の願いと同じであることも。


「……ええ。楽しみに待っているわ」


 私は精一杯の笑顔で答えた。

 約束だ。

 私たちは必ず勝つ。そして、最高のハッピーエンドを迎えるのだ。


 その時、教会の鐘が鳴り響いた。

 朝を告げる鐘だ。

 工房の外がにわかに騒がしくなる。村人たちが集まってきたのだ。


「おーい! お嬢様! 親方! 馬車の準備ができたぞー!」


 ハンスの声が聞こえる。

 私たちは顔を見合わせ、頷き合った。


「行くぞ、エリアナ」

「ええ、行きましょう!」


 私たちは『銀の明星』を専用のケースに収め、工房の扉を開けた。


 外には、村中の人が集まっていた。

 15人の弟子たち、ハンス、女性たち、子供たち。

 誰もが眠い目をこすりながらも、誇らしげな笑顔で私たちを見上げている。


「行ってらっしゃい! 俺たちの時計を見せつけてやってくれ!」

「負けんじゃねえぞ! ベルンシュタインの魂を見せてやれ!」

「お土産は優勝トロフィーだけでいいからな!」


 口々に声援が飛ぶ。

 ブルーノ爺さんが進み出て、アルドの手を強く握った。


「親方。……後のことは任せてくだせえ。留守の間も、しっかりと量産品を作り続けておきます」

「ああ、頼んだぞブルーノ。研磨の角度、甘くするんじゃねえぞ」

「へへっ、承知してますよ」


 ハンスが私の前に立ち、深々と頭を下げた。


「お嬢様。……立派になられましたな。亡き旦那様も、きっと草葉の陰で喜んでおられます」

「ありがとう、ハンス。留守を頼むわね」


 私たちは馬車に乗り込んだ。

 私が選んだのは、かつて王都から逃げるように乗ってきたボロボロの幌馬車ではない。

 村の職人たちが修理し、磨き上げてくれた、ベルンシュタイン家の紋章入りの馬車だ。


「出発!」


 御者の掛け声と共に、馬車が動き出す。

 村人たちが手を振り、走りながらついてくる。

 「頑張れー!」「行ってらっしゃーい!」

 その声が、いつまでも、いつまでも背中に響いていた。


 馬車の中で、私はアルドの隣に座った。

 膝の上には、『銀の明星』が入った黒檀の箱。

 これが、私たちの剣であり、盾だ。


「……緊張してるか?」


 アルドが尋ねてきた。


「少しだけね。でも、怖くはないわ」

「へっ、強がりだな」

「あなたこそ。手が震えてるんじゃない?」

「まさか。これは武者震いだ」


 私たちは軽口を叩き合い、笑った。

 窓の外を流れる景色は、以前とは違って見えた。

 寒々しい雪景色ではない。

 これから私たちが伝説を作るための、白く輝くステージに見えた。


 目指すは王都。

 かつて私たちを追放し、嘲笑った場所。

 そこに、最高の時計を持って凱旋する。


 馬車の車輪が、力強く大地を蹴った。

 止まっていた時間は、もう動き出している。

 私たちの未来へ向かって、一秒、また一秒と。

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