表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第3章:王家のコンペティション

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/40

第23話:最後のワンピース

 王都への出発前日。

 工房の外では、明日の旅立ちに向けて準備をする馬車の音や、村人たちのざわめきが聞こえていた。

 だが、俺の耳にはそれらは届いていなかった。

 今の俺の世界は、直径わずか4センチメートルの、金属の円盤の中だけに存在している。


 作業机の上には、完成したはずの『ジャイロ・ケージ』搭載ムーブメントが置かれている。

 動いてはいる。

 重力の影響も、計算通り相殺できている。

 だが、まだ足りない。

 基準時計と比較すると、一時間で0.5秒の遅れが出ているのだ。

 一日にすれば12秒。

 普通の時計なら優秀な数字だが、「王家のコンペ」で勝つには致命的な誤差だ。


「……ヒゲゼンマイの重心か」


 俺は顕微鏡マイクロスコープを覗き込みながら、小さく独り言ちた。

 テンプの振動を司る、髪の毛より細いヒゲゼンマイ。

 その渦巻きの形状が、ミクロン単位で歪んでいる。それが回転時の遠心力で増幅され、微かな遅れを生んでいるのだ。


 修正するには、ゼンマイのカーブを手作業で曲げ直すしかない。

 だが、相手は『ベルン・スチール』だ。強靭なバネ性を持つこの金属は、生半可な力では曲がらないし、力を入れすぎれば折れるか、逆方向に弾け飛ぶ。

 許される誤差はゼロ。

 やり直しは効かない。


 俺は一度顕微鏡から目を離し、深呼吸をした。

 酸素を肺の底まで入れ替え、心拍数を強制的に下げる。

 指先の感覚を研ぎ澄ます。

 皮膚の厚さが邪魔だ。俺は指先をヤスリで少し削り、神経を露出させる感覚で鋭敏にした。


 そして、胸ポケットからあるものを取り出した。

 古びた、真鍮枠のキズミ(ルーペ)。

 師匠の形見だ。


 ガラスには無数の傷が入っている。師匠が何万回と覗き込み、時計と格闘してきた証だ。

 俺はそれを右目に嵌め込んだ。

 冷たい金属の感触が、まぶたに馴染む。

 瞬間、俺の視界に師匠の背中が重なった気がした。


『アルド、よく見ろ。時計は喋らないが、嘘もつかない』


 師匠の声が聞こえる。


『誤差には必ず原因がある。部品が泣いている場所を探せ』


 ああ、分かってるよ、師匠。

 聞こえるぜ。こいつの悲鳴が。

 「もっと速く回りたいのに、何かが足を引っ張ってる」ってな。


 俺は再び顕微鏡を覗き込んだ。

 右手のピンセットでヒゲゼンマイの外端を掴み、左手のピンセットで内側を支える。

 息を止める。

 心臓の鼓動すら邪魔だ。鼓動と鼓動の間の、一瞬の静寂を狙う。


 今だ。


 クッ。

 指先に、ごく僅かな力を込める。

 視認できないレベルの動き。だが、指先には金属分子がキシリと悲鳴を上げ、配列を変えた感触が伝わってきた。

 0.001ミリ、内側へ。


 俺はピンセットを離した。

 ゼンマイは美しいアルキメデスの螺旋を描き、歪みは消えていた。


「……よし」


 俺は息を吐き出した。

 だが、まだ終わりではない。

 次はアンクルの爪だ。

 ガンギ車を蹴り出すルビーの爪。こいつの角度が深すぎて、摩擦を生んでいる。

 俺はダイヤモンドペーストをつけた極細の棒を手に取り、ルビーの表面を磨き始めた。

 削りすぎればスカスカになり、時計は暴走する。

 磨く回数は三回。それ以上はダメだ。


 シュッ、シュッ、シュッ。

 リズムよく、かつ慎重に。

 研磨されたルビーの粉末が、油の中でキラリと光る。


 時間は溶けるように過ぎていく。

 喉が渇いた。

 空腹で胃が痛い。

 だが、この集中状態ゾーンを切るわけにはいかない。

 俺は今、機械と対話しているんじゃない。物理法則そのものと交渉しているんだ。

 「もう少しだけ、重力さん、負けてくれませんか」と。


 ふと、視界の端に白い手が差し出された。

 濡れたタオルだ。

 エリアナだ。彼女はずっと俺の横に立ち、俺が汗をかけば拭き、喉を鳴らせば水をストローで飲ませてくれていた。

 言葉は発しない。俺の邪魔にならないよう、気配すら消している。

 だが、その体温だけが、俺を現実に繋ぎ止めてくれている。


 ありがとう。

 心の中で呟き、俺は最後の工程に入った。

 テンプの重量バランス調整ポイジング

 回転するケージの中で、テンプ自体の重心が偏っていては意味がない。

 俺はテンプのリムに、微細な金のワッシャーを噛ませていく。

 その重さ、一粒あたり0.0001グラム。

 鼻息一つで飛んでいく砂粒のような部品を、所定の位置にねじ込んでいく。


 一つ。二つ。

 まだだ。まだ回転にブレがある。

 三つ目。

 ……違う。重すぎる。

 俺はワッシャーを外し、ヤスリで一撫でして軽くしてから、再びセットした。


 その時。

 テンプの回転音が変わった。


 チチチチ……という音から、雑音が消えた。

 ヒュン……ヒュン……。

 風を切る音すら消え、完全な静寂の中で、ただ視覚的な残像だけが回っているような錯覚。

 抵抗ゼロ。

 摩擦ゼロ。

 エネルギーの損失が極限までなくなった状態。


「……来た」


 俺は震える手で顕微鏡から目を離した。

 基準時計を見る。

 計測開始。


 一分。

 十分。

 一時間。


 ……ズレなし。

 秒針の位置は、コンマ一秒たりとも狂っていない。


 さらに、俺は時計を傾けた。

 45度、90度、180度。

 どの角度にしても、あの静寂な回転は乱れない。

 かつて師匠が夢見、過去の偉人たちすら到達できなかった「姿勢差ゼロ」の領域。


 俺は椅子に深くもたれかかった。

 全身から力が抜け、指先が痺れている。

 終わった。

 いや、始まったんだ。


「……アルド?」


 エリアナが、恐る恐る声をかけてきた。

 俺はゆっくりと彼女の方を向いた。

 右目のルーペを外す。

 そこには、心配そうに、でも期待に満ちた瞳で俺を見つめる彼女の顔があった。


「……入ったよ」

「え?」

「最後のワンピースが、ハマった」


 俺は作業机の上の時計を指差した。


「完成だ。……これ以上の時計は、神様でも作れねえ」


 エリアナが息を呑み、そして両手で口元を覆った。

 彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。


「よかった……! 本当によかった……!」


 彼女は俺に抱きつこうとして、ためらい、代わりに俺の手を両手で包み込んだ。

 温かい。

 冷え切った俺の指先に、彼女の熱が流れ込んでくる。


「お疲れ様、アルド。本当に……すごいわ」

「あんたがいてくれたからだ」


 俺は彼女の手を握り返した。

 師匠のルーペをポケットにしまう。

 師匠、聞こえたかい?

 あんたの弟子は、あんたを超えたぜ。

 でも、これはゴールじゃねえ。

 この時計を使って、俺たちの未来を切り拓くんだ。


「……日が暮れるな」


 俺は窓の外を見た。

 いつの間にか空は茜色に染まり、一番星が瞬き始めていた。

 長く、苦しい調整が終わったのだ。


「行くぞ、エリアナ」


 俺は立ち上がった。膝が少し笑ったが、気力は満ちていた。


「出発は明日だ。今夜はこの時計に、名前をつけてやらなきゃな」


 俺たちの手には、世界を変える鍵(時計)が握られている。

 宵闇の中で動き出したその小さな心臓は、明日からの激動の未来を予感させるように、力強く時を刻み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ