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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~  作者: ぱる子
第3章:王家のコンペティション

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第21話:エリアナのひらめき

 嵐のような雨が上がり、翌朝は嘘のように晴れ渡っていた。

 北部の秋晴れは、空が高く、吸い込まれそうなほど青い。


 アルドは目を覚ました。

 丸一日、死んだように眠り続けたおかげで、顔色は随分と良くなっていた。充血していた目も白さを取り戻し、あの狂気じみた焦燥感は消え失せていた。

 けれど、その瞳の奥には、まだ深い霧がかかったままだ。


「……おはよう、アルド。気分はどう?」


 私が声をかけると、彼はベッドの上で体を起こし、力なく首を振った。


「……最悪だ。夢を見たよ。巨大な迷路の中で、出口を探して走り回る夢だ。いくら走っても、同じ場所に戻ってくるんだ」


 彼は自分の手を見つめた。


「頭はクリアになった。だが……答えが見えねえ。複雑になりすぎた機構を単純化しなきゃならねえのは分かってる。でも、どこを削ればいい? 部品を一つ減らせば、バランスが崩れて止まる。今の俺は、積み木を崩すのが怖くて震えてる子供と同じだ」


 彼は自嘲気味に笑った。

 技術的な袋小路。

 精神論ではどうにもならない、物理的な壁がそこにあった。


「ねえ、アルド。少し外に出ましょう」

「外? そんな暇は……」

「あるわ。今のあなたに必要なのは、机に向かうことじゃない。違う景色を見ることよ」


 私は強引に彼の手を引き、工房の外へと連れ出した。


          * * *


 私たちは工房の裏手にある、川沿いの道を歩いた。

 雪解け水や雨水を集めて流れるこの川は、村の生命線であり、工房の動力源でもある。

 昨日の雨で水量は増し、轟々と音を立てて流れていた。


 冷たく澄んだ空気が、肺の中を洗っていくようだ。

 アルドは黙って歩いていたが、その表情は少しずつ和らいでいるように見えた。


「……いい風だ」

「ええ。もうすぐ冬が来るわね」


 私たちは、川岸にある水車小屋の前で立ち止まった。

 工房の旋盤やフイゴを動かすための、巨大な木製の水車だ。

 増水した川の激しい流れを受けて、水車はいつもより速い速度で、しかし力強く回転している。


 ゴオン、ゴオン、ゴオン……。

 重低音が、地面を伝わってくる。


「……よく回ってるな」


 アルドが柵にもたれかかり、ぼんやりと水車を眺めた。


「こいつはいいよな。ただ水に押されて回ってるだけでいい。重力だの、姿勢差だの、細かいことは気にしなくていいんだから」

「そうかしら? 私はこの水車、すごいと思うわ」


 私は回る水車を見上げながら言った。


「見て、アルド。あんなに激しい水流を受けているのに、軸がブレていないわ。……それに、不思議ね」

「何がだ?」

「この水車、片側だけで支えられているのね」


 私たちの村の水車は、崖に張り出すように設置されているため、川岸の建物側から太い一本の軸が伸びているだけで、川側の外側には支柱がない「片持ち構造」だった。

 外側は何にも遮られず、ただ開放されている。


「普通、こんな重いものを回すなら、両側から支えた方が安定するでしょう? でも、これは片方だけで支えて、あんなに綺麗に回っている」


 私は何気なく感想を口にした。


「もし外側に枠があったら、流れてきた流木やゴミが引っかかって、止まってしまうかもしれないわ。片側が空いているからこそ、余計なものを逃がして、自由に回り続けられるんじゃないかしら」


 私がそう言うと、隣のアルドが静かになった。

 返事がない。

 不思議に思って横を見ると、彼は彫像のように固まっていた。

 その目は、一点を見つめて動かない。

 水車の中心。片側だけで支えられた、太い回転軸を。


「……片側……」


 彼がポツリと呟いた。


「両側から支える必要は……ない?」


「え? アルド?」


「……余計な枠があるから、ゴミが引っかかる……」


 彼の瞳孔が開いていく。

 先ほどまでの迷いの色は消え、代わりに見たこともないような閃光が、脳内で炸裂しているのが分かった。


「……そうだ。俺は何を守ろうとしてたんだ?」


 彼は手すりを強く握りしめた。


「俺が作っていたジャイロ・ケージは、上下の軸でガッチリと固定されていた。まるで『檻』だ。強度を出すために柱を立て、屋根ブリッジをかけ、その中にテンプを閉じ込めていた」


 彼の言葉が早口になる。


「だから重くなった。部品が増えた。摩擦が増えた! ……だが、もし『屋根』がいらないとしたら?」


 彼は私の方へバッと向き直った。


「エリアナ! この水車みたいに、底の軸だけで支えることができれば……上側のブリッジも、支柱も、全部捨てられる!」


「えっ? でも、そんなことできるの? 支えがなくなったら、グラグラして……」


「普通の素材ならな!」


 アルドは叫んだ。

 その顔には、少年のような興奮と、野獣のような野心が混ざり合っていた。


「だが、俺たちにはあるだろ! 『ベルン・スチール』が! あの異常なまでの剛性と粘り強さがあれば、片持ちでも耐えられる! いや、むしろ片持ちにすることで、構造が劇的に単純化されて、軽くなる!」


 彼は水車を指差した。


「見てみろ、あいつを。何にも縛られず、空中に浮いてるみたいだろ? ……これだ。俺が作りたかったのは、重力に縛られた檻じゃない。重力から解き放たれて空を飛ぶ、翼だ!」


 フライング。

 彼の口から、その言葉が漏れた。


「『フライング・ケージ(飛翔する籠)』だ!」


 アルドは私の肩をガシッと掴んだ。痛いくらいに強い力だった。


「あんたは天才だ、エリアナ! 俺はずっと足し算ばかりしてた。補強して、支えて、守ることばかり。……でも正解は、引き算だったんだ! 支えなんて捨てちまえ! 強さがあれば、一つで立てる!」


「あ、アルド、落ち着いて……」

「落ち着いてられるか! 答えが見えたんだぞ! 迷路の壁が全部吹き飛んだ!」


 彼は私の額に、バチュッと音を立ててキスをした。

 ロマンチックなキスではない。興奮のあまり、勢いでぶつかったようなキスだ。

 でも、彼の体温と、溢れ出る生命力が伝わってきて、私は顔が真っ赤になるのを感じた。


「行くぞ! 工房に戻る!」


 彼は私の手を引いて走り出した。

 病み上がりとは思えない速さだ。


          * * *


 工房に戻ったアルドは、まるで嵐のように弟子たちに指示を飛ばした。


「今までの設計図は全部破り捨てろ! 一から作り直しだ!」

「ええっ!? お、親方、正気ですか!? あと一週間しかないんですよ!?」


 ブルーノ爺さんが悲鳴を上げるが、アルドは聞く耳を持たなかった。

 彼は新しい羊皮紙を広げ、猛烈な勢いで線を引いていく。


「上部のブリッジを削除。支柱も半分撤去。ケージの固定は下部のベアリングのみ一点支持! これによって重量は半分以下になる!」

「そ、そんな無茶な! 軸が折れちまいます!」

「折れねえ! ベルン・スチールを信じろ! その代わり、軸の太さを0.05ミリ太くする。焼き入れの温度も変えるぞ!」


 彼の迷いは完全に消えていた。

 その筆致には、神懸かり的な確信が宿っていた。

 複雑怪奇だった蜘蛛の巣のような図面が、みるみるうちにシンプルで、洗練された美しい線へと変わっていく。


 引き算の美学。

 不要なものを極限まで削ぎ落とし、本質だけを残す。

 それはまさに、私たちの工房が目指してきた「質実剛健」の極致だった。


「……すげえ」


 書き上がった図面を見て、弟子たちが息を呑んだ。


「浮いてる……。テンプが、まるで空中に浮いてるみたいだ」

「部品が少ない……これなら、摩擦も最小限で済む……!」

「これならいける! これなら勝てるぞ!」


 工房の空気が、一瞬にして変わった。

 絶望的な閉塞感が消え、爆発的なエネルギーが渦を巻き始めた。


「時間がないぞ! 死ぬ気で削れ! 今度こそ、神様の鼻を明かしてやるんだ!」

「「「おうッ!!」」」


 再び、旋盤の音が響き始めた。

 だが、その音は以前の苦しげな音とは違う。

 軽快で、リズムに満ちた、勝利への行進曲だ。


 私は部屋の隅で、その光景を見守っていた。

 胸のドキドキが止まらない。

 アルドの額のキスの感触が、まだ残っている気がする。


 彼は言った。「あんたは天才だ」と。

 でも、違うわアルド。

 私が見たのはただの水車。それを「飛翔する翼」に変えたのは、あなたの才能よ。


 でも、嬉しい。

 私の何気ない一言が、彼の背中に翼を授けることができたのなら。

 私たちはやっぱり、最強の「共犯者」なのだ。


 窓の外では、秋の陽射しが川面をキラキラと照らしている。

 あの水車のように、私たちの運命もまた、力強く回り始めていた。

 もう、迷いはない。

 あとは、空へ飛び立つだけだ。

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