第12話:洋銀の輝き
雪解けの季節がやってきた。
あれほどの猛威を振るった冬将軍も、太陽の光には勝てない。
屋根の雪がずり落ちる轟音が、あちこちで春の訪れを告げる号砲のように響いていた。
工房の中は、以前にも増して熱気に包まれていた。
アルドが考案した《ユニティ・プレート》の試作品第一号が完成して以来、弟子たちの士気は天井知らずに上がっている。
「俺たちが作った部品が、あの凄い音を奏でているんだ」
その自信が、彼らの背筋を伸ばし、作業の手つきをより一層洗練させていた。
けれど、開発は順風満帆とはいかなかった。
新たな壁が、私たちの前に立ちはだかっていたのだ。
「……変色してるな」
窓際で試作品を点検していたアルドが、渋い顔で呟いた。
彼の手にあるのは、数日前に完成したばかりのムーブメントだ。
「えっ? もう錆びてしまったの?」
「いや、錆じゃない。酸化だ。真鍮の宿命だな」
彼は私に、地板の一部を見せてくれた。
磨き上げた直後は黄金色に輝いていた真鍮のプレートが、空気中の酸素と反応して、くすんだ茶色に変色し始めていた。
時計の材料として、真鍮は一般的だ。加工しやすく、安価だからだ。王都で作られる時計のほとんども真鍮製で、変色を防ぐために金メッキを施すのが常識だった。
「メッキをかければいいんじゃないの?」
「それじゃあ意味がねえ」
アルドは首を横に振った。
「メッキはいずれ剥げる。剥げればそこから腐食が始まる。俺が作りたいのは、百年経っても中身が変わらない時計だ。それに……」
彼は言葉を濁し、窓の外の雪景色を見た。
「真鍮の黄色は、安っぽい。王都の連中みたいに金ピカに飾り立てるならいいが、俺たちの目指す『質実剛健』とは色が合わねえ」
確かにそうだった。
《ユニティ・プレート》の広大な平面には、真鍮のけばけばしい黄色よりも、もっと落ち着いた、深みのある色が似合う気がする。
けれど、銀では柔らかすぎるし、鉄では錆びてしまう。
「……昔、似たような色の石を見たことがありますぞ」
ふいに、横で作業をしていたハンスが口を挟んだ。
「石?」
「ええ。まだ銀山が稼働していた頃の話です。坑道のずっと奥深く、一番底の方で、奇妙な鉱脈に当たりましてな」
ハンスは記憶を探るように、遠い目をした。
「銀にしては黄色いし、銅にしては白い。精錬してみても銀は取れなかったんで、当時は『ニセ銀』だの『化かし金』だのと言って、捨てておりましたが……」
「……詳しく聞かせろ」
アルドの目の色が変わった。
ハンスに詰め寄り、その場所を問い詰める。
「坑道の入り口近くのズリ山(廃棄場)に、まだ当時の残骸が残っているはずです。何せ使い物にならない石でしたから」
アルドは私を見た。
言葉はいらなかった。
私たちはすぐにコートを羽織り、工房を飛び出した。
* * *
雪解け水でぬかるむ道を歩き、かつての坑道入り口へと向かった。
そこには、黒ずんだ岩石が無造作に積み上げられた小山があった。
アルドは躊躇なくその山に登り、泥だらけになりながら石を拾い上げては投げ、拾い上げては投げを繰り返した。
「……これか?」
彼が差し出したのは、一見するとただの汚れた石塊だった。
けれど、断面がわずかに鈍い光を放っている。
「銅と、ニッケル……それに亜鉛か? 重さが違う」
彼は石の重さを手で量り、匂いを嗅ぎ、舌先で少し舐めた。
その姿は、まるで獲物を品定めする野獣のようだ。
「アルド、それは……」
「ビンゴだ、エリアナ。こいつはただのクズ石じゃねえ」
彼はニヤリと笑った。
「持って帰って焼くぞ。試してみる価値はある」
私たちは手分けして、その種類の石をリュックいっぱいに詰め込み、工房へと持ち帰った。
工房の炉に火が入る。
砕いた石を坩堝に入れ、高温で溶かす。不純物を取り除き、配合を調整する。
アルドの指示で、元鉱夫の弟子たちが鞴を吹く。彼らの顔は煤で真っ黒だが、目は生き生きとしていた。自分たちが昔捨てた石が、何かに変わるかもしれないという期待があるからだ。
数時間後。
炉から取り出されたのは、一つのインゴット(金属の塊)だった。
熱が冷めるのを待って、アルドがそれを万力に固定する。
「磨くぞ」
彼はヤスリを手に取った。
ジョリ、ジョリ、という音が響く。
表面の酸化膜が削り落とされ、その下から真の姿が現れ始める。
最初は荒いヤスリで。次は細かいヤスリで。最後は布と研磨剤で。
アルドの手が動くたびに、工房の中に新たな「光」が生まれようとしていた。
「……できた」
アルドが手を止め、その金属片を布で拭い、高く掲げた。
窓から差し込む春の陽光が、その金属に当たる。
ハッ、と息を呑んだ。
そこに現れた色は、私の知るどんな金属とも違っていた。
銀のように冷たくはない。
金のように派手ではない。
淡いシャンパンのような、あるいは朝焼けに染まった雪原のような、温かみを帯びた銀色。
「綺麗……」
思わず呟いていた。
その輝きは、優しく、奥ゆかしく、それでいて芯の強さを感じさせる。
これこそが、私が求めていた色だ。
華美な王都の宝石にはない、この静かな領地にこそ相応しい、品格のある光。
「洋銀だ」
アルドが静かに言った。
「銅、ニッケル、亜鉛の合金だ。硬さは真鍮より上。バネ性もあって、加工もしやすい。そして何より……」
彼は金属片に息を吹きかけた。曇った表面が、すぐにスッと消えて元の輝きに戻る。
「酸化に強い。表面に薄い皮膜を作るから、中まで腐食しねえ。時間が経てば少し黄色味を帯びるが、それは『汚れ』じゃなくて『味』になる」
「味?」
「ああ。使い込むほどに、黄金色のような深みが増していくんだ。持ち主と共に歳を取る金属だ」
持ち主と共に歳を取る。
なんて素敵な響きだろう。
ギルバート様の言っていた「古くなれば捨てる」価値観とは正反対だ。
ハンスたちも、周りに集まってその金属を食い入るように見つめている。
「まさか、あの『ニセ銀』が、こんなに美しい色になるとは……」
「俺たちは、宝の山の上に座って、貧乏だと嘆いてたってことか」
彼らの目から涙がこぼれている。
自分たちの土地は、何も価値がない場所だと思い込まされていた。
けれど、違ったのだ。
ここには最初から、世界に誇れる「宝」が眠っていたのだ。それを磨き上げる技術がいなかっただけで。
「アルド」
私は彼に向き直った。
胸が高鳴り、言葉が溢れ出してくる。
「これを使いましょう。私たちの時計の、全ての地板と受けに」
「ああ、そのつもりだ。だが……こいつは加工が難しいぞ。真鍮より硬いから、刃物がすぐにダメになる。弟子たちには泣いてもらうことになるが」
「構わないわ。彼らならきっとやり遂げる」
私は、アルドの手にある洋銀の輝きを見つめた。
王都で見た、目が痛くなるようなダイヤモンドの輝きを思い出す。
あれは、人を威圧するための光だった。
でも、この光は違う。人を癒やし、寄り添うような光だ。
「宝石はいらないわ」
私の口から、自然とそんな言葉が出た。
「え?」
「文字盤にダイヤを埋め込む必要も、ケースを金で飾る必要もない。……この金属そのものが、宝石だもの」
私の言葉に、アルドが目を見開いた。
そして、ふっと柔らかく笑った。
「……そうだな。あんたの言う通りだ」
彼は洋銀のインゴットを私に手渡してくれた。
ずっしりとした重み。そして、アルドの手の温もりが残っている。
「この素材と、《ユニティ・プレート》の構造。それが揃えば、俺たちの時計は無敵になる。……名前が必要だな」
「名前?」
「ああ。この金属に名前をつけるなら、なんだ?」
私は掌の中の輝きを見つめた。
この土地の雪。人々の強さ。そして、温かい光。
「……『ベルン・シルバー』はどうかしら?」
ベルンシュタインの銀。
かつて銀山として栄えたこの地の誇りを、新しい形で受け継ぐ名前。
「悪くねえ」
アルドはニヤリと笑い、弟子たちに向かって声を張り上げた。
「聞いたか、みんな! 今日からこいつが俺たちの武器だ! 真鍮なんて柔な金属はもう使わねえ。この『ベルン・シルバー』で、世界一美しい時計を作るぞ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
工房が歓声に揺れた。
みんなが笑っている。泣きながら笑っている。
その顔は、春の陽射しよりも眩しく輝いていた。
私は窓の外を見た。
雪解け水が流れる音が、まるで祝福の歌のように聞こえた。
私たちの時計は、ただ時間を計る道具ではない。
この土地の記憶と、人々の誇りを刻む、生きた証になるのだ。
洋銀の温かい輝きが、私の心の中にも、消えない灯火を灯していた。




