第11話:発明「ユニティ・プレート」
猛吹雪が去り、工房には再び活気が戻っていた。
届いたばかりの真鍮や鋼材の山を見て、弟子たちの目が輝いている。彼らはもう、ただの老人ではない。俺の教えた技術を貪欲に吸収し、その指先に職人の魂を宿し始めた「時計師の卵」たちだ。
だが、俺の頭の中は晴れていなかった。
作業机に向かい、何度も図面を引いては、くしゃくしゃに丸めて床に捨てる。
何かが違う。
これじゃダメだ。
「……親方。また書き直しですか?」
弟子の筆頭であるブルーノ爺さんが、心配そうに声をかけてきた。手には熱いコーヒーが入ったマグカップを持っている。
「ああ。……納得がいかねえ」
「素人のわしから見れば、十分に凄そうな設計図に見えますがねえ。王都で流行ってる時計より、ずっと頑丈そうだ」
「頑丈『そう』なだけだ。本質的な弱点が解決できてねえ」
俺はペンを置き、苛立ちを隠さずに頭を掻きむしった。
時計のムーブメント(中身)というのは、基本的に二枚の板で歯車を挟み込む構造になっている。下にあるのが「地板」。そして上から蓋をするのが「受け(ブリッジ)」だ。
王都の主流――いや、これまでの時計作りの常識では、歯車一つ一つに対して、別々の「受け」を用意するのが一般的だった。
二番車には二番車の受け、三番車には三番車の受け……といった具合に。
そうすれば、組み立てる時に一つずつ調整できるし、メンテナンスもしやすい。見た目も複雑で、工芸品としての美しさが出る。
だが、それは同時に「脆さ」を生む。
部品点数が増えれば増えるほど、ネジの緩みやガタつきのリスクは増える。
特に、この領地のような過酷な環境では致命的だ。馬車の激しい振動、極寒による金属の収縮。バラバラの「受け」では、その歪みに耐えきれず、微妙に軸がズレてしまう。
軸がズレれば、歯車は噛み合わなくなり、時計は止まる。
「……俺が作りたいのは、工芸品じゃねえ。何があっても動き続ける『心臓』だ」
師匠の言葉を思い出す。
『時計とは宇宙だ』。
宇宙がバラバラの法則で動いていたら、星は衝突してしまう。全体を統べる、強固な秩序が必要なんだ。
俺は工房の窓から、外の景色を眺めた。
雪に覆われた山々。
そして、かつて銀を産出していた鉱山の岩肌。
風雪に耐え、何百年も変わらぬ姿で聳え立つ、あの一枚岩のような強さ。
(……一枚岩、か)
脳裏に、閃光が走った。
バラバラだから弱いなら、一つにしてしまえばいい。
「ブルーノ、新しい羊皮紙を持ってこい! 大至急だ!」
「へ、へいっ!?」
俺は新しい紙を広げ、憑かれたようにペンを走らせた。
今までバラバラだった三つの「受け」を統合する。
香箱(動力ゼンマイ)、二番車、三番車、四番車。これら全ての軸を、たった一枚の巨大なプレートで覆い尽くす。
常識外れの設計だ。
こんなことをすれば、組み立ての難易度は跳ね上がる。四つの軸を同時に、ミクロン単位の穴に嵌め込まなければならないからだ。少しでもズレれば入らない。
普通の時計師が見たら「正気か?」と笑うだろう。「整備性を無視した欠陥品だ」と罵るだろう。
だが、もしこれが実現できれば。
全ての歯車は強固な一枚の板によって完全に固定される。振動でネジが緩むことも、歪みで軸がズレることもない。
圧倒的な剛性。
そして、部品点数が減ることで、故障率も激減する。
「……できた」
数時間後。
俺の前には、一枚の図面が完成していた。
それは、今までのどんな時計とも違う姿をしていた。
ごちゃごちゃとしたブリッジの群れはなく、ムーブメントの四分の三を覆う、広大で滑らかな金属の平原。
シンプルだ。
だが、無駄を極限まで削ぎ落とした、暴力的なまでの機能美があった。
「こいつは……」
覗き込んだブルーノが、ゴクリと喉を鳴らした。
「まるで、雪原みてえですね。何もないけど、全てがある」
「ああ。名付けて《一枚岩の地板》だ」
俺はニヤリと笑った。
ユニティ(Unity)。団結、統合、結束。
この村の連中が、貧しさの中で身を寄せ合い、助け合って生きている姿にも重なる。
この地で作るに相応しい構造だ。
「よし、早速試作に入るぞ。ブルーノ、お前は真鍮の板を切り出せ。厚さは通常より0.5ミリ厚くする」
「へい! 任せてくだせえ!」
工房に、再び熱気が満ちた。
俺の設計図を元に、弟子たちが動き出す。
彼らはもう、俺の手足だ。俺が言葉にしなくても、図面を見ただけで意図を汲み取り、正確な仕事をしてくれる。
三日後。
ついに最初の試作部品が完成した。
俺の目の前には、美しく磨き上げられた真鍮のプレートと、歯車たちが並んでいる。
「親方、やりますか」
弟子たちが作業の手を止め、固唾を飲んで見守る中、俺はピンセットを手に取った。
ここからが、地獄の釜の蓋が開く瞬間だ。
《ユニティ・プレート》の組み立て。
全ての歯車を地板にセットし、その上からこの巨大な一枚板を被せる。
四本の軸を、同時に、盲目状態で穴に通さなければならない。
俺は深く息を吸い、止めた。
心拍数を落とす。指先の震えをゼロにする。
プレートをそっと被せる。
カチャリ。
金属同士が触れ合う音がする。まだ入っていない。軸の先端が、穴の縁を探っている状態だ。
見えない。
プレートの下で、軸がどっちを向いているのか、目視することはできない。
頼りになるのは、指先に伝わるわずかな感触だけ。
0.01ミリ右か? いや、手前か?
俺はピンセットで、ミクロン単位で歯車をつつき、位置を修正していく。
額から汗が滴り落ちる。
時間が永遠のように感じられる。
ブルーノたちが、祈るように手を組んでいる気配がする。
クッ……。
指先に、吸い込まれるような感触があった。
一番奥の四番車が入った。
だが、まだだ。残り三つ。
一つでも外れれば、また最初からやり直しだ。
俺は慎重に、プレート全体を揺らさず、平行を保ったまま沈めていく。
コトッ。
三番車が入った。
コトッ。
二番車も入った。
あと一つ。
動力源である巨大な香箱真。ここが一番トルクがかかっていて入りにくい。
俺は全神経を指先に集中させた。
行け。
入れ。
俺たちの「結束」を見せてみろ。
スッ……。
抵抗がなくなり、プレートが完全に地板と密着した。
カチリ。
完璧な着地音。
「……入った」
俺が呟くと同時に、工房中から「おおおおおっ!」という歓声が爆発した。
弟子たちが抱き合って喜んでいる。
俺は震える手でネジを締め、プレートを固定した。
リューズを巻き上げる。
テンプを弾く。
チチチチチチチチ……。
音が、違う。
今までの時計のような、どこか高音の混じった頼りない音ではない。
低く、重厚で、安定したリズム。
全ての軸が強固に固定され、微動だにしない剛性が生み出す、信頼の音色だ。
「なんて音だ……」
いつの間にか、背後にエリアナが立っていた。
彼女は目を見開き、完成したムーブメントを見つめている。
その姿は、俺が思い描いた通りの「美しさ」を放っていた。
広大なプレートの表面には、弟子たちが丹精込めて刻んだストライプ(波模様)が施され、光の加減でベルベットのように輝く。
ネジは青焼き(ブルースチール)され、黄金色の真鍮の中で、サファイアのようなアクセントになっている。
「アルド、これは……」
「《ユニティ・プレート》だ。俺たちがたどり着いた、最初の答えだよ」
俺は誇らしげに胸を張った。
「部品のほとんどを一枚の板で覆った。これなら、馬車で崖から落ちても壊れねえ。埃が入る隙間も減る。そして何より……」
俺はエリアナを見て、ニヤリと笑った。
「見た目が、あんたの領地そっくりだろ? 広くて、何にもなくて、でも頑丈で美しい」
「……ええ」
エリアナは涙ぐんで、何度も頷いた。
「美しいわ。本当に……これが、私たちの時計なのね」
彼女の瞳に、銀色のプレートが映っている。
その輝きは、王都の宝石なんかよりずっと価値がある。
俺は確信した。
この《ユニティ・プレート》こそが、俺たちを「不適合者」と笑った世界へ叩きつける、最強の挑戦状になるはずだと。
工房の外では、まだ雪が降っているかもしれない。
だが、俺たちの手の中には、決して凍りつかない熱い心臓が動き始めていた。




