番外編1・瀬尾さん家の晩ごはん
ここ数日、基の様子がおかしい。
♢♢♢
トントントン。トトトントン。
規則正しいリズムで、包丁がまな板を打つ音が鳴る。その音と共に、鮮やかなオレンジ色をした人参が均等に刻まれていく。
料理の中で一番好きなのは、こうして食材を一定の大きさに刻んでいく作業だ。適度に集中力を必要とし、適度に無心になれる。
だがここ数日、詩鶴はいつになく、その作業に集中出来ないでいた。理由は、背後にいるこの人だ。
「…ねぇ、基さん」
「どうした?詩鶴」
包丁を片手に握り締めたまま、詩鶴は振り返る。数十分前からずっと、基が食器棚の戸にもたれて、じっと作業を眺めていた。
「何でさっきからずっとそこにいるの?すっごい気になる。気が散るんだけど」
普段は詩鶴が食事の支度をする間、基は大抵自分の部屋かダイニングで仕事をしている。それがここ数日、こうして詩鶴が料理する姿をじっと見守っているのだ。
「料理する君を見守ってるんだ」
「いや、だから何で?最近ずっとそうだよね?いつもみたいに仕事してていいよ?」
というか、むしろ仕事をしていて欲しい。こうべったり一挙一動を見守られていては、やり辛いことこの上ない。それにキッチンはそこまで広くないから、大の大人が二人も立つと窮屈なのだ。
「そう邪険にするなよ。これもある意味仕事の内なんだ」
「仕事?料理するのを背後で見てるのが?」
何で?と詩鶴は首を捻る。基は憂鬱そうに長い溜息を吐いた。
「料理がテーマの短編を書かなきゃいけなくなった」
「あー…なるほど」
基が非・お料理男子であることは、一緒に暮らし始めたその日に判明している。料理というものはつまり、彼にとっては右も左もわからない苦手分野のはずだ。
「軸になるメニューをひとつ決めて、料理する場面を絡めながら一万字程度書かなきゃいけない。けど知っての通り、僕は君がここに来るまでは毎日買ってきた弁当かインスタントの生活だったからな。料理の方法は勿論、これについてなら書けるってメニューがそもそも思い浮かばない。だからこうして眺めて、ネタを探してる」
「苦手なテーマなら受けなきゃいいのに」
「馬鹿言うな。書けないから書かないっていうのは…」
「作家としての矜持に反するんだっけ?」
「わかってるじゃないか」
基は片眉を上げて笑って、詩鶴の肩越しに手元を覗き込んだ。そうならそうと言ってくれれば私だってもう少し協力的な態度を取ったのに、と、詩鶴は呆れる。
「今は何の作業をしてる?」
「今日はね、豚汁にするから、それに使う人参を切ってるところ」
「なるほど。次は何をする?」
「里芋の皮を剥くよ。基さんもやってみる?」
詩鶴が誘うと、基は露骨に嫌そうな顔をした。
「料理は苦手だ」
「苦手だからやらないっていうのは矜持に反さないの?」
「僕は料理人じゃないからな」
なるほど、矜持に関わるのは仕事だけか。まぁそうか。詩鶴だって機械系はさっぱりだし、運転も基に任せっぱなしだ。苦手で避けてる物事は山ほどある。誰だってそんなものだ。基もそうであることに、むしろ安心する。
「でも里芋の皮剥きは楽しいんだよ。一緒にやろうよ」
「皮剥きが楽しい?本当か?」
疑わし気な基の視線を、詩鶴は笑顔で跳ね返す。
「ほんとほんと。ちょうどまとめて剥いて冷凍しようと思ってたから、たくさんあるの。ダイニングで一緒にやろ?やってる内にインスピレーション湧いてくるかもしれないよ」
詩鶴は里芋が山盛りに入ったボウルを抱えて、基の手を引いた。
「里芋は生のままだと皮剥きが大変だから、一度まるごと茹でるの。真ん中に切れ目があるでしょ?両端を引っ張ると、そこからつるんって簡単に剥けるから」
あらかじめ下処理しておいた里芋で詩鶴が実演してみせると、基はおぉ、と感嘆の声を上げた。
「ね、やってみて」
詩鶴がひとつ手渡すと、基は神妙な顔付きでそれを受け取る。ゆっくり両端を引っ張ると、詩鶴がやってみせた時と同じようにつるりと皮が剥がれた。
「出来た!」
「出来たな」
詩鶴は拍手し、基はびっくりしたような顔をした。
「上手に出来たね。すごいすごい!じゃあこの調子でどんどんやっちゃおう!」
「君、褒め方と乗せ方が根っから幼稚園の先生だよな」
幼児と同じような扱いを受けて苦笑いしながらも、基はもうひとつ、里芋を手に取った。
豚汁、生姜焼き、ほうれん草のおひたしに、わかめときゅうりの酢の物、それにごはん。今日の瀬尾家の食卓は、そんな素朴なメニューだ。
「どう?自分で作ったごはんは特別美味しいでしょ?」
「作ったって言っても僕はちょっと皮剥いただけだぞ」
「えー、ちょっとでも関わると気分が違くない?」
「僕が手を出さなくても、君の作る食事はいつも美味いよ。…でも思いのほか楽しくはあった。縄文時代の保存食作りってあんな感じかな。村人たちが揃って食材囲んで、ひたすら加工の作業して」
「え、基さん里芋剥きながら頭の中でそんな時代まで遡る旅してたの?」
「そうだよ。君は何を考えてた?」
「私?そうだなぁ…そういえばこういうの憧れだったなぁ、って思考えてた」
「こういうの?」
「旦那さんとか家族と一緒にごはん作るの。さっきみたいに一緒に座って話しながら、餃子包んだりいんげんの筋とったり…」
「いんげんの筋?」
「あ、そっか、やったことないか。いんげんは端に固くて食べられない筋の部分があるから、先に取っておいた方が食べやすいんだ」
「へぇ。面倒なんだな」
「そうなの。でも一人だとちょっと面倒だなって作業も、二人でやるとあっという間だし楽しいよねって話だよ」
「ふぅん。なるほどな。確かに一人であの量を片付けるのは大変だよな」
山盛りの里芋を思い出して、基は深く納得したように頷く。
とは言え、詩鶴は別に労働力が欲しい訳じゃない。ただ、日常の隙間みたいな時間を、一人で労働に費やすより誰かと共有して楽しみに変えることは、なんだかとても素敵に思える。一人だとただの下ごしらえの時間。でも二人なら、まるで違うものになるでしょう?
「また下ごしらえ手伝ってくれる?」
「必要ならな」
「基さん、お手伝いしてくれる内に私より料理上手になっちゃったりして」
「なるとしても数十年後だろうな」
「得意になったらレシピ本でも出しちゃう?」
「君が監修する共著なら今すぐ出してもいいよ」
今日あった出来事、最近見たニュース、他愛もない思い出、これから一緒にやりたい事、行きたい場所。話したいことは、いくらでもあるんだ。
♢♢♢
数週間後、基と一緒にスナップエンドウの筋を取っている時に、詩鶴はふと思い出して尋ねた。
「そういえば前に言ってたお料理小説、完成した?」
「うん。二ヶ月後くらいには雑誌掲載になるよ」
基が作業したボウルを見ると、半分以上がさやから実が外れてバラバラになっている。これは里芋の皮剥きより難しかったらしい。お料理男子への道のりは険しいな、と詩鶴は思った。まぁいい。食べられない訳でもないし。
「結局、何の料理をテーマにしたの?」
「パパ・ア・ラ・ワンカイーナ」
「……ぱ…ぱぱ……なんて?」
「パパ・ア・ラ・ワンカイーナ。ペルーの料理だ」
「里芋皮剥き体験、カケラも生きてなくない?」
「ジャガイモを使った料理だ。イモ同士、多少のでんぷん成分くらいは生きてるんじゃないか」
「…そう…」
作家の頭の中はよくわからない。縄文時代に旅したかと思えば、今度はペルーに旅立っていたらしい。
「聞いたことない料理だけど、ちょっと食べてみたい。そのパパなんとか」
「週末行ってみようか。二駅先にペルー料理の店がある。僕も何年か前にそこで食べたんだ」
「行く!」
瀬尾さん家の今日の晩ごはん。
鮭のホイル焼き、わかめスープ、れんこんの明太和えにスナップエンドウの塩レモン和え、それとごはん。
明日の晩ごはんは何にしようかな、と、今日の晩ごはんを食べる前から、詩鶴はもう考え始めている。
end.




