3・三人寄れば文殊の知恵(4)
少年のように無邪気な笑みを浮かべる奏美と見つめ合っていると、奏美の背後から基が姿を現した。
「なんだ。本当に来たんだな」
基は感心したように、詩鶴と奏美を見比べる。
「出たな、浮気野郎!」
隣にいた乃絵が、詩鶴を庇うように毅然と立ち上がる。
「浮気?心外だな。残念だけどこんな短時間で勃てて挿れて出せるほど、僕はアグレッシブじゃない」
「もうちょっと言葉を選んで⁈」
基の露骨な言い草に取り乱した詩鶴は、思わず乃絵を押し退けて立ち上がる。
「挿れようが挿れまいが出そうが出すまいが、女と二人でホテル入ったら、その時点で浮気だよ!」
乃絵は詩鶴を再び押し退け、基に喰ってかかる。どうどう、と横から和歌が割って入って、乃絵を宥めた。
「ホテルに入った訳じゃなかったんですね」
「勿論。用もないのに入らない」
「この入口、反対側が駐車場に繋がってるからね。ホテルの玄関素通りして、そっちからぐるっと回ってここに出られるんだ」
奏美が指をぐるりと回して、経路を説明してみせた。
「そうなんだ…。や、ていうか、それなら結局、二人はこんなとこで…」
『…何してんの?』
詩鶴と和歌と乃絵。
三人は異口同音に、率直な疑問を口にした。
「話せば少し長くなる」
そう前置きして、基は詩鶴の腰に手を回し、ひたっと寄り添った。話をするのに何故こうも密着する必要があるのか。詩鶴は逃げ腰になるが、離れようとするとぐいっと押さえ込まれるので、より距離が近くなるだけだった。
「詩鶴。君と結婚して、もう二ヶ月が経つ」
「あ、あー…そうですね」
髪に唇が触れるほどの至近距離で聞く基の声は、妙に物憂げだ。耳朶をくすぐる息遣いに、詩鶴の心はそわついた。とりあえず、もうちょっと離れて欲しい。
「君との生活は楽しいし充実している。概ね満足してるんだが、僕ら夫婦には決定的に足りないものがある。…何かわかるね?」
詩鶴はぎくりとした。
基の言わんとすることは、もちろんわかる。詩鶴がまだ踏み切れずにいる、夜の、夫婦生活である。
「君の心の準備が整うまで待つと約束したのは僕だし、行為そのものを急かす訳じゃない。ただ、君は未だに僕が肌に触れただけで慌てたり強張ったり逃げ回ったりするだろう?せめてそろそろ、自然に触れ合えるくらいには前進したいと思ってるんだ。けど無理強いしたって逆効果だろう?君が僕にもう少し夫婦としての情を抱いてくれたら、心を寄せてくれたら、それが一番望ましい。その為にはどうしたらいいか。思い悩んでいる時に、君の旧友に会う機会に恵まれた。そこで彼女に相談してみたんだ。そうしたら彼女は──」
「他の女の影をちらつかせて嫉妬を煽ってみたらいいんじゃないかなって思ったんだよね!」
奏美がぐっと親指を立てて、詩鶴の眼前に突き付けてくる。
「浮気疑惑が深まれば、絶対自分の目で確かめに来ると思ったんだよねぇ。ほら、詩鶴って頭より手足使うような泥臭いとこあるから。だからまずは匂わせから始めようと思って。今なら詩鶴が絶対見るだろうなってタイミングを瀬尾さんに電話で教えてもらって、わかりやすく待ち合わせ時間と場所入れた怪しいメッセ送って。約束の時間からしばらく待っても詩鶴が来なかったら、そこで解散。何度か繰り返したらその内絶対詩鶴は確認しに現地に来るだろうから、そしたらそこでネタバレして『ほら、浮気かどうか気になって見に来ちゃうくらいには、瀬尾さんの事好きなんでしょ?』って決めゼリフ言って作戦終了!詩鶴も自分の気持ちを素直に認めて二人はラブラブ!って予定だったの。でもまさか初回で釣れるとは思わなかった!四、五回は続けるつもりでいたからなぁ」
奏美は底抜けに悪気のない笑顔で、あっはっはと笑う。
「君の予想は的中したけど、この作戦は失敗だな。予定では匂わせ行為の回数を重ねる毎に詩鶴の中で不安と焦慮が募り、それが契機となって心の奥底に秘められた思慕の情が引っ張り出されて膨れ上がるって筋書きだったじゃないか。露見が早過ぎて何ひとつ引っ張り出されても膨れ上がってもいないぞ。いっそ今日はこのままホテルに入ったと思わせておいて、もう少し引っ張った方が良かったんじゃないか?」
「いやっ、そこまでしたらむしろ関係が拗れるよ。決定的な場面を目撃させてフォローも無しじゃ詩鶴が傷付いちゃうもん。それは駄目。ともかくネタバレしたからには、私に協力出来るのはここまでだ!後は瀬尾さんの弛みなき努力で頑張って?あ、餌付けは効くと思うよ」
自由奔放で非常識。常識や倫理観より波乱や破天荒を好む──珍妙な作戦を立てた奏美はもちろん、基だって同罪、同類、似たもの同士だ。
全然優しくなんかない。やっぱり、ただの詐欺師じゃないか。
まんまと二人の謀略に乗せられてしまった詩鶴は、二の句も継げずにふるふると体を震わせる。和歌と乃絵が、ひどく気の毒そうな憐れむような顔をして、こちらを見ていた。
「…ひっ」
「ひ?」
「ひどくない……?」
半泣きで呟いた詩鶴の頭を、基は労わるように優しく撫でる。
「結果的に君を謀るような形になってしまった事は申し訳なく思う」
「いや、結果的にも形も何も、最初っから謀ってなんぼの計画じゃん」
「君を想うあまりの愚挙だと理解して貰えないか」
「愚挙過ぎやしない?」
ふつふつと、詩鶴の中に遅効性の怒りが湧いてきた。
それを察してか、基はどこまでも優しく甘く、そっと詩鶴の頬に指を掛ける。
「君の望むままに罪滅ぼしをさせて貰おう。そうだ、この辺りにあっただろ?君が好きな黒牛亭の本店。今からそこに──」
「行く」
詩鶴は頬に添えられた手をばしっと払い落として、据わった目で基を睨んだ。
「行く。高級店の最高級肉を、胃が裂けるまで食べてやる…!!」
「おっいいね!私も行きたい」
「奏美は駄目!主犯のくせに図々しいわ。一人で松野屋の牛丼でも食べてなさい!」
便乗しようとする奏美を押しとどめ、詩鶴は和歌と乃絵を指差した。
「基さん、この二人は一緒に行くからね。しっかりご馳走して」
「勿論。愛妻の大事なご友人だろう?喜んでご馳走しよう」
「え、いいんですか?」
「私、黒牛亭なんて行った事ない」
和歌と乃絵は戸惑いつつも、誰もが憧れる高級料亭に目が眩んでいる。
「ほら詩鶴、行こう」
基はそう言って詩鶴の肩を抱き、大通りに戻るよう誘導して歩き出す。
「あのね、お肉は食べるけど、これくらいじゃ許さないからね。お肉は食べるけど」
「いいよ。何度でも許しを乞うさ。可愛い妻が僕の事で気を揉んで、わざわざここまで来た。おまけに今、僕の腕の中にいるんだ。それだけで上々だよ」
膨れっ面の詩鶴を見下ろして、基はふと柔らかく笑った。信号待ちで立ち止まると、詩鶴の額にキスを落とす。
「たくさんお食べ、詩鶴」
あろうことか公衆の面前で、すぐ後ろで友達が三人も見ているのに。
詩鶴は真っ赤になって基をばしばし叩いたが、彼は意に介さずに笑うばかりだし、どさくさに紛れて奏美も結局ついてきて、一緒にご馳走されようとしているし。もう、腹の立つことばかり。
。
それでもなぜか詩鶴は、肩に回された基の腕を、振りほどく事が出来ないのだった。




