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【正義のカナタ】

いい年ながら特撮番組が好きなので、そういう話を書きました。

SF風の話ですが、結局は「特撮」です。

そのうち、ベルトを巻いて変身する話も書きたいです。


<1>

 幼い頃から正義の味方に憧れていたので、進路先にはその方面を選んだ。

 と言っても、就職先はある政府の下請け機関だ。寂れた博物館に偽装してあるが、実際は秘密裏に異世界から来た存在と戦う組織。……肩書きは一応、公務員だ。


 視界があわ立ったように濁り、徐々に収まっていく。見えてきたのはある地下鉄駅の構内。乗り継ぎ地点となる駅なので駅の規模は大きい。ただ、構内に駅員さえもいないのは終電間近の時間だからではない。僕は防護服の具合を点検し、武装の作動を確認した。

「無事、潜れました」

「了解」

 ヘルメット内に取り付けられた通信機からノイズ交じりのオペレーターの声が響く。彼は31歳、独身、僕と同じくヒーローオタク。オペレーターとしては致命的なほど発音が悪い。ただ、それでなくても僕が今いるこの世界では通信がひどく聞こえにくいのだが。

 今、僕は通常の世界とは空間の位相が異なる世界にいる。<隔離世>と呼ばれるこの世界は通常の世界と被さりながら、決して交わらない場所にある……らしい。音や光の波長に人間には感じ取れない領域があるように、<隔離世>は我々の「存在」の認識できない領域だと説明を受けた。柔らかい布団の上に重い物を置くとシーツが窪むように、存在するだけで物体は空間に影響を与える。<隔離世>は存在のエネルギーが作った虚像だという。・・・・・・素人向けのわかりやすい説明という奴だ。<隔離世>に関する文章を読んでみたりもするが、少しもわからないので、この説明で我慢するしかないだろう。

 <隔離世>には生物はいない。存在するのは建造物などの無機的な物体……その非認識領域の虚像だけだ。生命体…常温で化学反応を行っている有機物…は我々が認識している位相(これは現世と呼ばれる)に存在のエネルギーが集中しているらしい。生物が死ぬ(化学反応が停止する)と存在の幅が拡散していくそうだ。実際、有機物でも木材や紙、革製品は<隔離世>にも存在している。

 だが、<隔離世>に生物はいない。動物の死骸すら原形を留めている段階ではこの世界にはいない。

 僕が着ている防護服は別名「潜水服」とも呼ばれ、生物の存在できないこの位相に「潜る」ための機能を持っている。本部に設置された小型加速器により発生した微細なブラックホールによって空間を歪ませることで<隔離世>への通路が開いた後は、この防護服が僕の身体を存在エネルギーの拡散から守ることになる。だから、現在、僕はこの世界に唯一の生物ということになる。そして、僕以外で動く生物らしき存在がいたとしても、それは生物ではない。

 ……もっと別の何か、だ。


 何かの気配を感じ、振り向いた。だが、そこには何もいなかった。脚部の移動のタイミングが少しずれたので、ねじれた腰が少し痛む。

 僕が着ている防護服が「潜水服」と呼ばれるのには2つの理由がある。1つはこの<隔離世>に潜るための装備であること、もう1つは本当に潜水服に似ているからだ。潜水服と言ってもスキューバーダイビングなどで使われるゴム製のものではなく、球状の頑丈なヘルメットと分厚い布地で覆われたスーツを着用する、水中での建設作業に用いられるタイプのものだ。

実際の潜水服はホースで海上から空気を送られるが、防護服は背面にある接続装置で通常の位相(現世)と繋がりを保っている。外見上の違いは体のあちこちに武装が取り付けられていることと、姿勢制御用の小型バーニアがあることくらいだろうか。総重量が300Kgを越えるため、内部の人工筋肉を動かさないと身動きさえできないが、その操作にもかなり体力がいる。傍目から見れば、動きは海底を緩慢に進むダイバーのように見えるだろう。


 先程の気配の正体はすぐにわかった。何もなかったホームに薄っすらと地下鉄の車体が現れていく。これは「現像」と呼ばれる現象で、無機物が運動を停止することで<隔離世>にその虚像が現れるようになったのだ。写真には静止した物体ほど正確に写るように、静止した物体ほどその姿が<隔離世>には現れやすい。出現度には物質によって差があるので<隔離世>の情報量は場所によって差が激しいが、防護服のモニターによる補正で僕にはほぼ通常の世界と同じように見えている。だが、新しく現れてくる物体は別だ。一般に無機物は30分ほど一箇所に停止することで現れるようになるが、熱を帯びたものや、生物が触れていたものは現れにくい。目の前の地下鉄も外装はほぼ現れているが、駆動部分や人が触れた座席はまだ見えてこない。

「清掃のために止まっているようだ。終電だからな」

 オペレーターが説明する。現実世界の様子が見られないのはもどかしい。

「反応はどうですか?」

「東方向に移動している。ただ、反応が妙に弱い」

「了解」

ゆっくりと地下鉄のホームを進む。ここは現実の世界ではないと自分に言い聞かせる。地面に見えるものは地面ではないし、実際にその上に立っているわけでもない。僕は現実の残像の中を泳いでいるだけだ。だが、モニターを通した光景はごく普通のホームにしか見えなかった。地上への階段があり、その下にゴミが落ちている。空き缶、ペットボトル、男物の革靴。

 右手に取り付けられた連装のマシンガンを構え、引き金を引いた。階段上部の壁が崩れ、巨大な昆虫のような足がちらりと見えた。それと片足だけ素足の男性の脚部。

「一人、引きずり込まれています。チェックを!」

 僕は通信機に叫んだ。


「確かに引き込まれている。中年の男性だ」

「時間は?」

「まだ数分だろう」

 ……ならば間に合うかもしれない。

 僕は「敵」に向かって引き金を引き続けた。敵の名前は「ク」という。漢字で書くと「来」。英語では「Ku」もしくは「Q」。この<隔離世>に住む「何か」だ。生物の姿に似ているが、生物ではない。位相の果てからやってきた我々とは根本的に異なる存在だ。その生態(?)や構造(?)はほぼ不明だが、1つだけわかっていることがある。

 それらは生物……特に人類を襲うということだ。


 生物でいうところの栄養補給なのかは不明だが、「ク」は<隔離世>に人類を引きずり込み、その存在のエネルギーを吸収する。<隔離世>に生物が引き込まれた場合、その存在のエネルギーは急速に拡散し、最終的に存在自体が消滅する。僕がこの<隔離世>に潜れるのは防護服があるからだ。ただ、人類の科学技術では<隔離世>に潜るためには莫大なエネルギーと大規模な設備が必要だし、自然にそのような現象が起きることは建物が天に向かって崩れ落ちることよりもありえない。

 だが、どのような仕組みによってかは不明だが、「ク」は容易に位相の壁をすり抜け、獲物を<隔離世>に引きずり込むことができる。おまけに何らかの処理を行えるのか、引き込まれた生物の崩壊速度を調節できるようだ。「ク」によって<隔離世>に引き込まれた人間が数日に渡って、この世界をさまよった例もあるらしい。もし、「ク」の行う位相間の移動方法が解明されれば、人類の空間に関する理解は飛躍的に増大するだろう。

 「ク」が獲物の崩壊を防ぐのは、我々人類が食品に防腐処理を行うようなもの、もしくは効率よく獲物からエネルギーを奪うためだと考えられている。勿論、生物とは異なる存在の行うことだ。理由はわからない。ただ、わかっているのは被害者の生存の可能性があるということだ。

 今回、現れた「ク」は巨大なクモを連想させた。黒い胴体から長い足が伸びているのがそう思わせたのだろう。ただ、20本以上の足があるクモは生物学上ありえないだろうが。問題の男性はそのうちの数本の足に抱えられていた。小太りの禿げたオジサンだ。怪物がさらう相手と言えば昔から美女と決まっているが、「ク」には情緒も何もあったものではないようだ。


 右手の武装を収束レーザーに切り替え、足の付け根に向かって撃つ。焼き切れるというよりは砕け散る形で男性を掴んでいた足が千切れる。「ク」がどのように<隔離世>でその存在を維持しているのかは不明だが。「ク」の細かい断片はその結合力を失い、分解していった。その様子はナトリウムの結晶を水に入れた時の様子を早送りしたようだ。足から外れたオジサンの体は階段の上に落ち、消えた。その瞬間、空間がまるで水面に石を投げ入れたかのように波打った。

「どうですか? 無事ですか?」

「いけたようだ。今、救護班が向かっている……だが、乱暴なやり方だな」

 文句をいうオペレーター……言い忘れたが、竹中という名前だ……は無視して、僕は仕事を続けることにした。


 収束レーザーの稼動限界が近付いたので、武装をマシンガンに戻した。僕の兵器の運用は慎重だと評判だ。一気に攻撃するのではなく、時間をかけて敵を追い詰める戦法だ。よくあんな化け物を前にして落ち着いていられると言われるが、昔から物を無駄にするのが嫌いな性分だ。母もよく言っていた。お化けよりも貧乏が怖いと。

 一応は格闘術も習ってはいるが、防護服の可動性は低く、とても接近戦では戦えない。実際のところ、防護服は銃火器の移動砲台としての役割しか果たせない。最先端の科学の粋が集められている(使い勝手はかなり悪いが)のだから、遠隔操作でも、人工知能搭載でも良いように思えるはずだ。

 だが、人間が操縦しなければならない理由が3つある。まず、<隔離世>と現世の間では情報の伝達に制限がかかる。音声通信はリアルタイムでなんとかできるが、画像となると静止画像さえ送るのには時間がかかる・・・という大昔の携帯電話の状態だ。これでは複雑な遠隔操作は行えない。おまけに<隔離世>では電子機器にも誤作動が生じやすい。防護服には人工知能は搭載できず、動作はあくまで中の人間の動きを機械的に増幅し、補う形になっている。だから、すでに実用化されている人工知能搭載の軍事用パワードスーツのように滑らかな動きはできない。

 最後の理由はこの防護服が人間の存在エネルギーを動力源にしているからだ。生物は<隔離世>ではその存在エネルギーが拡散することは既に言ったが、この時に生じるエネルギー量は莫大なものだ。通常の位相の数値に換算すると、1g以下の有機物から、原子爆弾以上のエネルギーが生じる(このエネルギーを「ク」はエサにしていると考えられている)。防護服はほんの僅かだけ僕の「存在エネルギー」を拡散させることで動力を得ている。短時間の活動程度では拡散によって生命が危険にさらされることはないはずだし、僕の存在自体が消滅することはないはずだが、文字通り身を削って仕事をしていることになる。

 

 マシンガンを打ちながら、機体を後退させる。銃身から薬莢が排出されるが、それらは地面に落ち、跳ねると同時にエネルギーを拡散させながら消えていく。防護服周囲のエネルギーフィールドから出た物質は無機物でさえこうなる。薬莢は熱を帯び、小さいので分解されやすいとは言え、もし防護服が破壊されれば、僕の体は瞬時に存在エネルギーを全て放出し、大爆発を起こすだろう。

 後退すると同時に小型地雷を床に放ち、柱の影に隠れる。モニター越しの映像とは異なり、実際の<隔離世>は穴だらけのスカスカの状態だ。防護服もバーニアで制御しているから床に立っていられるし、地雷と言っても空に浮くタイプのものだ。だが、常に静止している建造物の骨組みや柱は<隔離世>でも密度が高い。地雷が爆発したときの衝撃からも十分に守ってくれた。バラバラと「ク」の体の破片が飛んでいく。それらは砕け、分解しながら空間に消えていった。

「いけたみたいだ」

 完全に対象が吹き飛んだことを確認しながら僕は言った。地下鉄のホームには大きな穴が開き、姿を現したばかりの地下鉄の車体も骨組みのみが残っていた。


<2>

 遅くなったが、少し僕のことを話そう。

 僕に名前は立花・咲也という。29歳。この仕事を始めて五年になる。工学系の大学を修士までいった後、この職場…「離次元災害対策委員会」…仲間内からは「潜水船」と呼ばれる…に就職した。最初は技術者として入ったはずだが、いつの間にか「ダイバー」になった。ダイバーというのは実際に<隔離世>に潜って戦う人間のことだ。仲間内では<隔離世>に入ることは<潜水>という。職場でのみ通じる用語という奴だ。

 喧嘩もしたことのない人間だが、「ダイバー」の中では最長の経歴と第一位の成績を持つ。というより、僕以外のダイバーの構成は流動的で、すぐに辞めてしまう。

 潜水船と類似の組織は各国にあるのだが、この国では被害の大きさの割に「ク」に対応する組織の設立が遅れたらしい。組織の方針としては常時、3人のダイバーを配置しておきたいらしいが、その人数がそろったことはない。現在は僕と新人がもう一人いるだけだ。僕はそれなりの年なのだが、部下や後輩といったものには縁が薄い。一応は社会人なので、「最近の若い奴は根性ないよな」とか言ってみるが、そのたびに「お前が変なんだ」という目で見られる。実際、「ダイバー」は平均、半年しか続かない。一年間続く人間もまれだ。ほとんどの人間は初めて潜っただけでやめてしまう。ひどい時は精神的にダメージを負って入院してしまう。やはり、「ク」の姿は耐え難く、それと一人で対峙しなければならないのは精神的に負担が大きいのだろう。

……それほど恐怖を感じない僕は妙なのだろうか?


 僕が「ダイバー」になったのは、やはり人員不足の補充のためで、当初あまり期待はされていなかったように思う。だが、僕はこの仕事が好きだし、遣り甲斐を感じている。人付き合いは苦手だから、一人で仕事することも苦にはならない。ある程度、戦いの手順も自分の中でできている。肝心なのは落ち着くことだ。冷静に距離を保ち、引き金を引くことが重要。「ク」には恐らく人間のような知性は存在しないし、単体で行動する場合が多い。異なる世界に住み、そこから捕獲を行う「ク」は基本的に自分が攻撃されることを想定していないようだ。

 勿論、危険が全くないわけではない。何度も大きな負傷をしているし、<隔離世>に取り残されかけて死にかけたこともある。だが、それでも仕事を辞めたいと思ったことは殆どない。

 幼い頃から人の役に立つ仕事をしたかった。

 人付き合いのよい性格でもなかったし、友人もそれほどいなかったが、人の役に立つのは好きだった。だが、テレビで見る正義の味方のような仕事は存在しない・・・・・・のだろうと思っていた。就職活動に行き詰まって困っていた時、教授の紹介でこの仕事のことを知るまでは。

人助けをしたいなんて偽善だと言われるかもしれない。ただの自己満足かもしれない。・・・・・・いや、実際に自己満足なのだろう。人は嫌がる仕事だが、僕は結構、満足しているからだ。

 ただ1つ、不満があると言えば、異性との出会いが少ないことくらいだろうか。

 ちなみに僕は生まれてこの方、異性と交際したことはない。

 ただの一度もだ。


 地上部から奇妙な反応があるとかで、僕は地上部への階段へ向かった。潜水服の脚部は設置面積が大きく、階段を登るのには向いていないので、バーニアを使って踊り場まで飛び上がった。酸素と弾薬は充分にあるし、現在は技術的にダイバーを潜らせるのは日に一度が限界だ。このまま潜水を続けたほうがいいだろうと判断した。

「大丈夫か?」

「まだ、活動限界じゃないですよ」

 僕は竹中に答えた。

「しかし、お前は凄いよな」、と竹中。

「そうですか」

「俺だったら、こんな所に一分でもいたくはないよ」

「・・・・・・そういうこと言わないでください」

 実際に潜っているのは僕なんだから。

「実は秘密にしていたんだが」

「何ですか?」

「実は俺、来月、結婚するんだ」

「え?」

「冷やかされるのが嫌だったから言わなかったけど、一年前から付き合っているんだ」

「竹中さん」

「何だ?」

「おめでとうございます」 

 でも、別にこんな時に言わなくてもいいんじゃないだろうか? 

「で、どうなの?」

「何がです?」

「お前もいい人いないわけ?」

 竹中の声には何やら余裕が感じられた。経験者語るというやつだ。

「いませんよ」

「本当に?」

「本当に」

「・・・・・・ゲイって噂は本当?」

「怒りますよ」

 任務中でなければ通信を切っているところだ。僕はこの手の話をするのは苦手だ。仲間内の会話でも避けるようにしている。 

・・・・・・映画やドラマの中では唐突に結婚するやつは大抵、すぐ死ぬんだよな。

 僕は心の中で呟いた。まあ、明確に命の危機性があるのは僕で、竹中が命の危険にさらされることはまずないのだが。僕は階段を上がり、外部への入り口へと向かった。


 「ク」に対するのはそれほど苦痛ではないが、女性に接するのは非常に苦手だ。大学は工学部で、周囲は男ばかりだったし、「潜水船」のスタッフも何故か男ばかりだ。女性と会話をしたのはこの数年で数えるほどしかない。

 ・・・・・・保険の勧誘とか。

 周りの連中は全く女気がないわけではないようだ。「潜水船」は何故か事務員にいたるまで男性しかいないので、会話が下ネタに走ることは多い。どうも「ダイバー」は任務を行う前には恋人や妻、それがいない場合でも女性との夜を過ごすことが多いようだ。DNAの保存を行う本能のようなものなのかもしれない。

 僕は恋愛経験もないし、風俗に行ったこともない。初めて<隔離世>に潜った時も特に普段と変わらないトレーニングをしていた。当日、当時の先輩から大切な人と過ごしてきたか、と尋ねられて困ったくらいだ。当時も今も、僕には明確に大切と思える人はいない。強いて言えば両親や妹くらいだろうか? 

 守りたいと思える存在がいてこそ、男は戦えるんだ、と先輩は言った。

 その先輩は数ヶ月後に結婚し、任務を離れた。現在は年金の管理を行なう機関(退職した者は情報の漏洩を避けるためにもそこに回される)で働いている。子供も生まれたそうだ。

 ・・・・・・僕の本当に守りたいものは何だろうか?

 時折、そんなことを考える。だが、答えの出ないうちに任務が回って来て、僕は<隔離世>に潜る。今は新人がまだ使えない状態なので、非常に忙しい。

 仕事を始めた頃は仕事をする意義とか、理想とかを良く考えたが、今ではあまり考えなくなっている。ただ、淡々と仕事をこなすだけだ。仕事の効率は上がっているし、技術的な進歩もある(防護服の改良に関しては、僕の意見がかなり取り入れられている)。今のところはそれでいいんじゃないかと思ったりもする。経験からすると、仕事の意義とか理想の自分とかを考え続けるタイプほど早々と去っていくように思う。正義の味方だって、結局、ルーティンワークなのだ。

 テレビでだって毎週やってくる敵を一年間も倒し続けているわけなのだし。


 ちなみに恋愛話が出た時、さすがにこの年で童貞というのは恥ずかしいので、大学時代に付き合った女性と初体験している・・・・・・ということにしている。全くの嘘なのだが、相手の女性は大学の時の同級生をモデルにしている。もともと工学部に女性がいるだけで人気が出るものなのだが、その子は非常に可愛らしい子だった。同じ研究室だったせいもあるが、彼女とは不思議と気が合った。友人と呼べる関係だったのではないかと思う。・・・・・・だが、それだけだ。

 その話をするたびに、彼女に対しては申し訳ない気分になる。

 ちなみに、この話はまだ嘘だとはばれていない。同僚がよく変わるせいもあるが、大学に一度付き合った以外は、女性経験なしという話はむしろ同情的な眼で見られることが多い。

 実際にはもっとダメなのだが。


 僕が戦う理由は何だろうか? 今日は柄にもなく考える。

 何を守り、何を得るために僕はここにいるのだろうか?

 給料は良いので、それで我慢すべきなのだろうか?

 ただ、やはり僕が死んでも悲しむのは家族くらいだろうと思うと悲しく思った。同僚たちも悲しんでくれるだろうが、元々危険と隣り合わせの職場だ。その辺りはドライだろう。

 自分を優しく受け入れてくれる存在。帰るべきところ……年のせいか、そんなものに憧れる。だが、それから逃げ、男として誰かと向き合うのを恐れてきたのが僕の人生だ。

 だから、こんな世界の果てにいるんだよな。


「しかし、妙な反応だな」、竹中が呟く。

「さっきのも、いつ獲物を引き込んだのかわからねえし……全体にノイズがかかってるみたいだ」

「……竹中さん」

「何だ?」

「結婚ってどんな感じですか?」

「何だよ、いきなり」、竹中は小さく笑った。

「まだ、これからするんだからわからねえよ。それに一緒にはもう住んでいるからな」

「そうですよね」

「でもよ、なんかこれからはもっとしっかりしなくちゃいけないのかなって思うね。人一人、支えていくんだから」

「相手はどんな方ですか?」

「聞きたいか?」

 竹中の口調が一気ににやけた。

「それがな、コスプレイベントで知り合ったんだが、無茶苦茶可愛くてさ……年は10歳下なんだけど、昔の制服とか着させたら、もっと年下に見えて、まるで……」

「……もういいです」

「お前もそろそろ身を固めろよ。やっぱり生活の張りが違うからな」

「はい」

 僕は非常に素直に頷いた。それが必要だとは自分でも思う。

「竹中さん。結婚式には呼んでくださいね」

「え……?」

「……………………」

「あ、ああ。また日取りが決まったら教えるよ」

 まさか、招待客のリストには入っていなかったのだろうか? 親しいと思っていたのは僕だけなのか? やっぱり、人付き合いは難しいな、とため息をついた。

 地下鉄の駅から外に出た。


<3>

 遠くから見ると、それは一見、巨大な塔に見えた。だが、ビルの隙間に直立したそれが建造物ではないことは拡大した画像からわかった。それの表面は軟体動物の体組織とも内臓ともつかないもので覆われ、絶えず波打っている。所々から突き出したトゲとも骨ともヒレともつかない突起からは放電と火花が飛び散る。その姿を見た時、僕はアントニ・ガウディの設計した巨大な聖堂を連想した。海の暗い底にうごめく異形の生物を積み上げて作られたバベルの塔。高層ビルにも匹敵する高さのそれは猥雑でおぞましいと同時に何処か神々しい美しさを持っていた。

 ……そう、それは美しかったのだ。


「何だ、あれは!」

 竹中が悲鳴を上げる。<隔離世>の映像は分析用のため、十数秒に一枚の割合で本部に送られる。だから、竹中の驚きは一瞬の遅れがあった。後から聞いた話では本部では映像が映し出されたとたんにパニックが起きたそうだ。

「どうやら、あれが異常な反応の原因ですね」

「しかし、あんな巨大な「ク」がどうしてわからなかったんだ」

「おそらく、広範囲の空間に干渉しているんじゃないでしょうか」

「さっきの「ク」の反応もかき消されていたのか……」

「恐らく……」

 僕はあることに気づいた。

「もしかして、アイツ、空間を破ろうとしているんじゃないでしょうか?」

 通常、「ク」は自然に生じた空間の隙間を通って我々の位相に干渉すると考えられている。ただ、「ク」によっては位相を貫き、移動することができる。過去、世界中で目撃された怪物の大半はそのような「ク」だという説もある(あくまで可能性だが)。

 一瞬の沈黙の後、本部の技術者達の出した判断を竹中が読み上げた。

「数値の変動からするとその可能性が高いとの判断だ。もし、あんな巨大なものが進入してきたらえらいことだぞ。他の奴だって一緒に入ってくるだろう」

「そうですね」

 本部で起こっているだろう大騒ぎとは逆に、僕はぼんやりと巨大な「ク」を見つめた。正直、それは震えがくるほど美しく感じた。僕は「ク」に魅入られているのだろうか? それがこの仕事を続ける理由なのだろうか? 

……いや、それは違う。

「竹中さん。追加の酸素パックと武装を送ってください。S-7がいいと思います」

「え?」

「時間がありません。今のうちになんとかしないと」

「しかし……」

「するしかないでしょう」

 自分に言い聞かせるように言った。


 <隔離世>にダイバーを送り込むのには莫大な電力と時間が必要になる。転送装置は国内に一基のみで、複数のダイバーを同時に送ることはできないし、24時間に一度しか稼動できない。

 ただし、ダイバーが既に<隔離世>にいる場合、位相間の回線が存在するのでそれを目標に追加の装備を送り込むことは比較的容易だ。

「ダイバー」用の武装には色々なものがあるが、その中で威力と危険性が高すぎて、安全性が確保されていない装備をSクラスと呼ぶ。現在、このカテゴリーには数種類の武装があるが、S-7と呼ばれるのは大型レールガンのことだ。送り込む装備の質量には限界があり、3つのパーツに分解しないと送ることはできないが、大きさと共に威力も最大の武装だ。

「本当に使う気か?」

「早く手を打たないと大変なことになります。少しでもダメージを与えておかないと」

「しかし……」

「竹中さん。それが僕らの仕事でしょう?」

 武装を組み立てながら言った。

レールガンは電磁誘導により弾丸を加速する。その電力は潜水服の稼動と同じく、ダイバーの存在エネルギーの変換によってまかなわれる。これの使用が認可されなかったのは、必要な電力量がダイバーの生存を脅かす可能性があったからだ。改良されてバッテリーが付属することで扱いやすくなったとは言え、危険性は相変わらず残っている。

 人の背より大きい砲身を「ク」に向け、レールガンを起動させる。このレールガンのもう1つの問題点は巨大すぎて小回りが利かないことだが、これほど巨大な相手だと照準は楽だ。

 電力チャージが終わり、引き金を引いた瞬間、視界が暗くなるのを感じた。存在エネルギーの急激な使用で、一瞬、意識が遠のいたのだろうか? 加速された弾丸は「ク」の体に大穴を開けた。付近のビルや道路に「ク」の破片が降り注ぐ。

 ……だが、まだ浅い。

 巨大な「ク」の体から多数の物体が吐き出された。細長い内臓が絡み合ったような体にコウモリのような羽が生えている、それは羽ばたきながら、明確な目的を持って向かってくる。まるで、間違った進化を遂げた空飛ぶスパゲッティーだ。巨大な「ク」はまるで空母のようにその体内に小さな「ク」を住まわせているようだ。だったら、なおのこと空間を破らせるわけにはいかない。ミサイルポットの対空ミサイルを発射すると同時にレールガンのチャージを再開した。連続使用は危険過ぎると竹中が叫ぶ。ミサイルを逃れた空飛ぶスパゲッティーが一匹、突っ込んできたので、バーニアの噴射で避ける。勿論、巨大な「ク」の方向へだ。

 このまま距離をつめて攻撃する。そう告げた後、バーニアの出力を全開にした。近付くほど、ビルのような「ク」の巨大さが際立つ。

 二回目の引き金を引いた瞬間、脳裏に大学の同級生の顔が浮かんだ。彼女と本当に恋人同士だったら、どんなに良かっただろう。だが、僕は現在、彼女が何処にいるのかを知らない。

 彼女も僕のことを知らない。

 君は知らないだろうけど、僕は結構がんばっているんだよ。

 引き金を引き続けながら、そう思った。


<4>

 目を開くと、僕は見知らぬ部屋のベッドに寝ていた。傍らには外国籍と思われる年配の男女が一組。僕が目を覚ましたのには気付かず、何か喋っている。

「あの……」

 声が上手く出せなかったが、何回か呼びかけたり、手を振ってみた結果、女性のほうが僕に気が付いた。それにしても体が動かしにくい。まるで関節に鉛でも流し込まれたようだ。

「あら、目覚めたのね。英雄さん」

 英語で喋っていた女性は僕には達者な日本語で話しかけた。

「ここは、どこですか?」

「病院よ。正確には政府の医療施設。ちょっと訳ありの人用のね」

「高級な隔離施設と言ってもいいね」

 やはり流暢な日本語で男が言った。

「僕は……どうなったんですか?」

 尋ねると、男女は顔を見合わせた。

「記憶障害? これもあれの影響かな?」

「断定は早いわね。物理的なダメージも大きかったわけだし」

 また、二人で話し始めたので、僕は再び呼びかけるところから始めなければならなかった。

 とりあえず、一番気になるのはあの「ク」のことだ。

「あれは……どうなりましたか?」

「完全に消滅したよ」

「アナタのおかげでね」

「……僕の?」

「そうよ。戦い始めた所までは憶えているのよね? アナタはあの後、3時間に渡って戦い続けて、勝利したの」

「いやあ、あれほど無茶苦茶な戦い方は始めてみた。こちらとしても興味深いデータが得られたよ。特にシステムの耐久性についてね。後、Sクラス武装の運用データも」

「僕は……勝ったんですか?」

「大勝利よ。あれほど巨大な「ク」を撃退できたのは1928年のダニッチ以来だわ」

 と女性が言った。彼女はバーバラ・アーミティッジと名乗った。隣の男性はハーバード・ウェイユン。どちらもアメリカのミスカトニック大学の教授であり、<隔離世>と「ク」の研究者。「潜水船」の技術顧問として僕も名前だけは知っていた。

「おめでとう、アナタは世界を救ったのよ」

 バーバラ教授は言った。

「ま、代償はあったがね」、とハーバード教授が言った。

「代償?」

 僕は聞き返した。ひどく嫌な感じがした。


「防護服の動力が装着者の存在エネルギーを利用しているは勿論、知っているね」

「ええ」

「君は活動時間の最長記録を大幅に更新しただけじゃなく、電力消費の大きい武装を連続使用し、おまけにナドレ・システムまで使ったんだ。当然、体に影響が出る」

「どんな影響ですか?」

 慌てて、ベッド上の自分の体を見つめた。体中がひどく痛いことを除けば、特に怪我もしていないように見えるが……。

「オチンチンが分解されて、ミクロの長さに」

「え!」

「……嘘よ」

 バーバラ教授の品のないジョークにハーバード教授がゲタゲタ笑った。これがアメリカンジョークという奴なのか? 

「それは冗談だが、現在、君の体は存在のエネルギーを大量に失っている。生物学的な構造には異常はないが、存在が重しを失ったように不安定だ」

「存在が不安定?」

「風船が風に漂うように、我々の位相からズレていると言うべきかな。常に現世を中心にして漂っているんだ」

「それは危険なのですか?」

「さっきも言ったように、生物学的な危険はないわ。ただ……私達から見ると、アナタの存在が非常に認識しずらいのよ。それこそぼやけたテレビのようにね」

「別に妙な感じで見えているわけじゃないんだ。ただ、注意していないと君の存在を見失いやすい。今も気を抜くと、君の存在を認識できなくなる」

「非常に興味深い現象だと思わない?」

「我々もこのような現象が起きるとは思っていなかった。動物実験じゃ存在エネルギーが不足すると普通に死んでいたしね」

「人間だけに起きる現象かもしれないわね。それとも、アナタが特別なのかも」

「存在の希薄さに耐性があるとか? そのような状態で活動が可能なのかもしれないわ」

「興味深い考えだね」

 それって存在感がないってことですか? そう聞きたかったが、既に教授二人は議論を始めていて、僕のことを見ていなかった。注目されるのも嫌いなのだが、さすがにこれは辛い。

「今、本部はどんな状況ですか?」

 三度、注意を促す努力をして、僕は話を続けた。

「それがねえ……」

 両教授は顔を見合わせた。


「我々、二人はたまたま学会で、この国に来ていてね。今回の話を聞いて慌てて駆けつけた。政府や軍も万が一の事態に備えて動いていたが、結局、君が決着をつけたというわけだ」

「アタシ達の世界にはほぼ影響なし。軍は出番がなくて不満そうだったけどね。あ、貴方が助けた男性も無事よ」

「しかし、大した戦いぶりだったよ。君の回収と共に君の後輩が潜ったけど、<隔離世>の状態を見てショックを受けていたくらいだ」

「彼、辞めちゃうかもね。あんなのがいるなら潜りたくないって言ってたもの」

 辞められると困るなあ。

「君は回収された後、ここに運ばれたんだが、そのときは存在の<ぶれ>が今より遥かにひどくてね。君を認識できる人間がほとんどいなくて生命維持装置につなぐのも一苦労」

「大丈夫、生命時装置の稼動は完璧よ」

「でも、幾つか器具をつなげそこねていたよな」

「そうそう。道理で数値が変だと思ったのよね」

 両教授はゲタゲタ笑った。……何なんだ、この人達の騒々しさは。

「心配しないで。命に関わる怪我はなかったし、意識を失っていたのも過度の疲労が原因よ」

「僕は……どれだけ眠っていたのですか?」

「断続的に意識を取り戻していたのは憶えている? 今日で事態が起きてから一週間になるわ」

「そんなに……」

「この一週間は大変だったわよ。各国の組織から問い合わせは殺到するし、政府も大騒ぎだし」

「でも、祝賀パーティは楽しかったな」

「スシが美味しかったわ」

「そうそう、スシは何度食べてもうまい」

「アメリカでも美味しい店はあるけど、本場の味は別格ね」

 両教授がスシの話をし始めたので、僕は大声で注意を促した。・・・・・・珍しく苛立っている。

「すまんね。まだ、君の存在を認識しづらいんだ。我々もこの現象は初めてで、気付くのが遅れた。気付いたのは、パーティの途中でね」

「大臣が表彰する時になって、アナタがいないことに気付いたの」

「表彰状は代りに私が受け取ったから心配するな。後で渡してあげよう」

「……はあ」

「ここにも皆、お見舞いに来たんだけど、アナタの事が認識しづらいから、なんだかよくわからない状態だったな。全員、酔ってたし」

「まあ、これでいいかということになって、二次会に行ったのよね」

「二次会も楽しかった」

「カラオケはやっぱり楽しいわ。人類の作った文化の極みよね」

「同感だ」

 カラオケ談義を始めた二人を見て、僕はため息をついた。


 その後、いろいろと検査があった。負傷はひどかったらしいが、全身の筋肉痛を除けば、一週間のうちにほぼ治療は終わっていた。存在がぶれても、治療が行えるのは妙な気がしたが、治療してもらわないと困るので、深くは考えないことにした(実際にはメトロノームのように現実世界を中心に僕の存在が振動している状態なので、断続的に治療を続けると治療効果が現れるらしい。扇風機に指を突っ込んだら、必ず羽が指に当たるような感じだ)。

 動ける段階にまでは回復していたので、家に帰らせいてほしいと申し出たが、それは却下された。万全な体調になるまでは入院を続けるように上のほうから指示が出ているらしい。僕は存在エネルギーの枯渇に関する貴重なモルモットというわけだ。

「体は大事にしてくださいね」

 と担当の医師は言った。ただ、彼の視線も僕を完全に捕らえてはいないようだったが。

 仕事に関しては現在、アメリカにある同様の組織からダイバーが来ているそうだ。だが、今のところ「ク」の出現は世界中で確認されていない。「ク」も警戒するということはあるらしい。


「どうすれば、存在の希薄さが治るのでしょうか?」

 僕は再び病室に来たバーバラ教授たちに尋ねた。

「心配しなくても、アナタの存在の拡散は収まりつつあるわ。じきに元に戻るわよ」

「まあ、肉体の存在はともかく、我々の業界では君の名前はすっかり有名だがね」

 そうだ、とハーバード教授は言った。

「君は現在、付き合っている恋人はいるかね?」

「い、いいえ」

「なら良かった。私のスタッフで君に会いたがっている子がいるんだ」

「アナタの話を聞いて、すっかりファンになっちゃったみたい。凄く綺麗な子よ」

「で、でも」

「恋愛すれば、存在の拡散もすぐ治るかもしれないわ」

「恋している人間は一目でわかるというからね。存在エネルギーも増すだろう」

「興味深い意見ね。次の研究テーマはそれにしようかしら?」

 無茶苦茶な、と思ったが、その時、病室のドアが開いた。現れたのは、金髪の女性だった。年は僕と同年代、化粧は派手だが確かに美人でグラマーだ。女性は早口の英語でまくし立てた。

「教授、私も連れて行く約束だったじゃないですか!」

「すまんね、エリザベス。でも、ちょうど君の話をしていたところだ」

「そうですか! では、ミスター立花はドコですか!」

「そこだよ」

「……ドコですか?」

 エリザベスはキョロキョロと病室を見回した。

「………認識できないみたいね」

 バーバラ教授が呟いた。


<5>

 その後、何回か試してみたが、結局、ミス・エリザベスは僕のことを認識できなかった。言われてみればいるような気がする、と言っていた。相性が悪かったのだろう、とハーバード教授。確かに、昔から彼女みたいなタイプからは相手にされていない。・・・・・・しかし、根本的に認識さえされていなかったとはショックだ。一瞬、期待をした自分が悲しい。

気長に待てば、素敵な出会いがあるさ、とハーバード教授は言った。

何せ、君は世界を救った英雄なんだからね、と。

「自分の仕事をしただけですよ」

 僕は答えた。


 この件がショックだった訳ではないが、午後から無断で外出をした。許可はないが、監視されているわけでもないので抜け出すのは簡単だった。認識されにくい人間はこういう時は楽だ。

 私物は病室にあったので、携帯電話のGPS機能で現在位置を確認する。使っていなかった間にかかってきた電話はなかったが、元々、緊急の連絡用にしか使用していないので気にはしない。電車を乗り継ぎ、地下鉄に乗った。公共交通機関は自動販売機で切符が買えるので、移動は困らなかった。他人に認識されなくても生きていくのは可能だ。やがて、地下鉄は僕が戦った駅についた。

 <隔離世>でその姿が破壊されても、現世には影響を与えない。ただ、非認識領域の音を削られたCDの音が生演奏と異なるように、<隔離世>の姿を破壊された物体は現世の姿が少し色あせて見える・・・・・・気がする。だが、<隔離世>の姿は現世の存在によって作られていくものだ。次第に補充され、元通りの存在になっていくのだろう。

 地上に出て、近くのコンビニでジュースとパンを買う。店員に認識されないことを危惧したが、店員の意識は商品に向かっているようで、客のことは最初から認識していないようだ。昼下がりの忙しい時期ならば、僕も他の客も存在感は変わらないのだろう。


 僕は小さな広場のベンチに腰を下ろし、立ち並ぶ高層ビルを見つめた。先日はあの間に巨大で異形の存在がいた。だが、今は何も異常なく、行き交うサラリーマンは忙しそうに地下鉄への階段を下りていく。曜日の感覚がなくなっていたので、気付かなかったが今日は月曜日だ。そんな昼下がりに一人ベンチに座っている僕はどう見えるだろう。

 ・・・・・・いや、最初から認識されないか。

 僕は小さく笑い、パンをかじった。病院食は高級だったが、こっちのほうが美味く感じる。

 足元にボールが転がってきた。幼い男の子と女の子がこちらを見ている。僕は微笑んでボールを彼らの足元に転がした。

「ありがとう」

 男の子達はそう言って親の下へ駆けていった。

しばらくしてから、あの子達は僕のことが認識できたんだな、と気付いた。まあ、昔から子供には好かれるほうだし、何より正義の味方はいつだって子供の味方だ。

見上げると空は美しく晴れ上がり、澄み切っていた。


 そう言えば、僕は世界を救ったんだな・・・・・・この時、初めてそう思った。


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