日常つまりは空想なり
K
「じゃあ行こうか、駅前の通りを右に曲がって少し歩けば予約したお店あるからさ」
圭司が指差したのは途絶えることのない人通りの向こう側にある北口だった。その先には小さな夜空が明かりに隠されるなか必死に顔を出していた。
「ありがとね、圭司君にいつもお店の予約など任せてしまってるんだよね、ほんとありがとう」
毎年五月の温泉旅行も圭司が旅館を探して予約してくれる。
いつも当たりな旅館。北陸の旅館はとにかく料理が美味しかった。
もう一人の友人である雄一郎は少し遅れるから先に始めといてくれと事前に二人に連絡があった。
「そんなそんな、気にしないで」
雄一郎君は遅れるみたいだね、
あの人は忙しい人だから。
瑛太と圭司はとりあえずお店に行こうかとお互いに笑顔を浮かべそして肩を並べてゆっくりとした足取りで歩き出した。
「ああそういえば圭司君はあれ見たかな。ドラマ、キミと二人羽織の最終回」
「え?う、うん、まあね」
「やっぱり見たよね、いやーすごかったな、二人があのあとどうなったのかとても気になる終わりかただったよね、続編あるといいけど」
「うん」
SNSでは否定的な意見で溢れ返っているあのドラマの最終回。僕も否定的に一票です、すみません瑛太君。
「あのドラマの最後の告白はほんと良かったよね」
瑛太が瞳をこれでもかと輝かせて告白シーンを話しだした。
え?え?ええ!
圭司は二度瑛太を見た。おそらく自分はいまとても驚いた表情をしていると思う。
瑛太君はあの告白シーンにもしや感動をしてしまわれたの?
だめだよ。だめだ瑛太君。
僕のなかの扉がゆっくりと近づいてくる。
圭司は心の迫る扉に目を背ける。
ダメだ瑛太君。…ねえ瑛太君いいかな?そのドラマの話が、そのドラマの話しがだね…
気づいたら扉は目の前にあった。
そのドラマの話し…すごくつまんないかも
そう思ったと同時に圭司は心の扉を開けていた。
瑛太はまだウキウキと話し途中だったが、もうすでに隣りにいる長身の男の圭司には瑛太の声はまったく届いていなかった。
「うーん」
彼はすでに、テレビドラマのキミと二人羽織の誹謗中傷が巷で溢れ返ってる最終回のことなどこれっぽっちも考えてはいなかった。そして瑛太がドラマ主題歌、越前マスティフの歌を鼻歌で奏ではじめたときも圭司にはまっく耳には入ってはいなかった。長い経験則により無意識に一緒にリズムに乗ってるような仕草をして共に楽しげに歩く圭司だが実際はまったく違うことを考えはじめていた。
これは圭司の癖というか彼の日常的なことだった。瑛太が知らない本当の圭司がいここにいる。雄一郎の圭司への心配事は異様なまでな想像家であり空想家なことだった。
想像家あるいは空想家というのをもし特技とするなら、または職業であるならば圭司には凄まじい得点アップものがあるはずだ。
圭司の頭のなかには想像という名の真夏の冷蔵庫の扉のように開けばなにか心がキュッと癒される世界がたえずあった。だがこれは何度も開け閉めしていたらきっと食材が傷みはじめてしまうのだろう、一日に何度も開こうとする想像の扉を少しは慎まなければならないなと思っていた。
そんな矢先、秋から冬に変わりそうな季節の境目のある日の夜、突然雄一郎から逢いたいと告げられた。近くまで来てるから茶でも飲もうと
それはもうあまりに唐突な誘いで圭司は実に驚いた。
ファミレスの椅子に座りコーヒーをゆっくり啜った雄一郎は、かちゃりとカップを置くと人差し指で丁寧に飲み口をなぞりそして同じようにゆっくりとした動作で口を開いた。
なあ、圭司君て誰かといるときにさ、いまつまらないなと思ったらすぐに想像の世界に没入しまくるだろ?
やばいくらいに想像のことばかり考えて
まったく話し聞いてないだろ?
「え…どうしてそれを…」
圭司君、いいか?やめろとは俺は言わない、それは圭司君の良さでもあるからね、ただ想像の扉はとても重い扉なんだと想像したほうがいいかもしれない。そう簡単には開けられないのだよ。と考えを変えたほうが良い。
圭司君。開いてはいけない扉もあるんだよ、俺は友人として君が心配で怖いんだ。
「え?怖いってどうして?」
「それはね、妄想の扉という名の媚薬なる香りが充満しているもの、心当たりあるでしょ?」
空想、想像。これはまだ良いのだよ。でもね圭司君。妄想だけはやばい。連発してほしくない。連鎖反応で普段見えないものまで見えてくる錯覚が生まれる。つまりは人は幻覚なるものが一番怖い。
サンソウで一番やっかいなのは妄想だよ圭司君。覚えておいて損はない。
サンソウ?
先日、友人の雄一郎に会って大事な話しがあるという前振りからいわれた言葉。
雄一郎君はやっぱりすごいや。
圭司のなかのもう一つの世界を雄一郎は見事に見破っていた。
妄想の怖さもわかる。
中学生時代は(話しを聞かない奴)一人孤立してしまい闇の時間が多く妄想に手を出した。そんなとき立ち寄った墓場で火の玉を見た。
ごめん、雄一郎君。僕はどうしてもいま想像をしています。
どうしても気になるのです。
これは妄想ではなく想像だと思いますので安心してください。
瑛太君のドラマの話しがあまりにつまらないです。
瑛太がなにか楽しげに話すのをまったく聞き流しながら圭司はなぜか父が以前に言っていた言葉を思い出していた。
なんであのとき父は
「我が同類君たち、ようこそ日本へ」
と言ったのだろう?
普通ならば、ようこそ人間が住む我が家へ。とかになるのではないだろうか。だが父は違った。サッカーのゴールキーパーが相手チームのストライカーに向けてするように両腕を最大限に伸ばして父は我が同類といいその後に日本という国名を出した。
うーむ、果たしてそこにはなにか深い意味があるのだろうか。
普段はしゃべらないほんと無口な父親。趣味は習字に盆栽にお念仏。だからたまに口にする言葉が頭から離れなくなる。父はたまらなく日本が好き、それは理解してる。でも同類ではない…なにかが引っかかる。
そこにはドラマキミと二人羽織よりもっと重厚なストーリーがあるのかもしれない。
もしや誰も知らない戦いがいままで繰り広げられていたら?
解明できたら瑛太君に絶対に教えたい。
は!
父は…いままでに鳥を褒めたことあるか?
ほかにはなにを褒めた?
じゃあなにゆえ桃太郎は仲間に猿と犬に猫ではなく鳥を選んだ?
圭司の額から流れる冷たいひと雫の汗。冬なのに?
もしや桃太郎が猫?……ではないのか?
なにか少しだけきっかけを掴んだのかもしれない。あの時でた父の言葉の意味は
超絶に深いかもしれない。
我が家には半年前に新しい家族となった二つの命がある。
圭司はいま浮かべる対象者を父から母へと瞬時に変える。瑛太のことは数ミリも考えてはいなかった。
うちのほんとよくできたお母さんが昔から切に願っていた夢をついに叶えました。
「わたしは55歳になったら必ずわんちゃん猫ちゃん飼いたいです」
圭司が幼いころから母はその夢の話しを語ってきた。
愛護センターで人間に一度見捨てられた命を助けたいと里親となり引き取ってきた二つの種族の二つの命。あとになってわかったが犬は紀州犬で猫はコラットという種類だった。
実は圭司は瑛太に会ってすぐに伝えたくて遅れた理由を、手間取ってしまって。と言ったがそこはやはり瑛太君。
滞ることない清流の流れであった。
圭司はいま一瞬だけ隣りにいる瑛太を意識した。
雄一郎君ならば
必ずトルコアイスのようにカッコよく聞いてくるはずだ。なにが手間取ったんだ?おい圭司君、主語がない。新撰組に土方歳三がいないと寂しいだろ?と、いうはず。
圭司の思考は比率でいくなら2割が現実にいて8割が想像、空想、の世界にいた。
昔から
周りにはよく話しを聞いてないと怒られたり呆られてきた。嫌われ疎外もされてきた。
その度に圭司はイケねと反省するのだがやはりつまらない現実に直面すると扉はすぐに開かれてしまう。
いまもなぜか父の言葉が頭から離れないでいるし大好きな母のこと考えて心がポカポカしてきている。
ようこそ日本へ
違う種族二名、しかも見知らぬ場所に連れてこられ半狂乱にまでなってる二匹に父は笑顔でゴールキーパーのように両腕を開きそう言ったのだ。
「どう思う?」
「え?」
圭司がまた後でねと扉に言ってからパタリと閉めて現実に舞い戻ってくると瑛太がこちらを見つめていた。
「だからさっ、圭司君はどうかなと思って」
これはいままで27年間生きてきて何度も繰り返されてきたシーンだった。
まったく話しを聞いていなかったよ。なんて言えるわけがない。え?もう一回言ってともなんか言いづらい。
こんなときはこれ。
「ごめん…僕もそう思う…けど」
話しをまったく聞いてなくて、どう思う?と質問されたときの返答はこれが一番良いといままでの経験で培ってきた。
ごめん、は自分の無力さを嘆くイメージ。
僕もそう思うは少し元気なく。
最後の、けどは肯定も否定どちらも受けとれる言い方。
人は大方肯定を求めて質問してくる。でも
ごくたまに否定を求めてもくる。
そのどちらにも対応できるのがこの返答だ。
「圭司君、どうも僕らはロータリーを一周して元の位置に戻ってきたみたい」
「え?」
圭司はぽりぽりと頭を掻いた。