第192話「実験の終わり」
「――ック様」
水底に沈んでいた。判然としない声が僕の名前を呼んでいる。
何日も走り続けたような気怠さが全身を包み込んでいた。肩に、誰かが手を置いている。
「ヤック様」
その声には聞き覚えがあった。おもわず瞼が揺れる。
僕の手を誰かが握っていた。その手に力がこもる。
「ヤック様、起きてください」
「……アヤ、メ」
ゆっくりと目を開けると、燦然と輝く太陽を遮るように、アヤメが僕を見下ろしていた。頭が柔らかい何かの上に乗っている。それが彼女の太ももだと気付いて、急激に意識が覚醒した。
「アヤメ!? こ、ここは……」
「大結界の外、のようですね」
「また……。って、あれ?」
時間が巻き戻っている。それを知ってすぐに違和感に気が付いた。
「アヤメ、記憶があるの?」
「私だけではありません。ユリとヒマワリも同様に、これまでのことを覚えています」
背中を支えられて上体を起こす。ギルドによって設置された迎撃用魔導具の残骸が散らばる荒野に、ユリとヒマワリが立っていた。二人とも心配そうな目をこちらに向けてきている。その表情を見れば、何を思っているのかは一目瞭然だった。
僕らは、大結界の中であったことを覚えている。覚えたまま、また時間が巻き戻された。これまで記憶を引き継いでいたのは僕だけだったのに、どうして。
「だ、ダンジョンは」
大結界の方へと目を向ける。そして思わず口を開けて絶句した。
「我々が気が付いた時にはすでに、こうなっていました」
「大結界の内側にも入れないわ。完全に、綻びなく閉じちゃってる」
五十年にわたって魔獣侵攻を押し留めてきた大結界は、純白の結晶に変化していた。以前までの透明さはなくなり、内部の様子は全く見えない。まるで塩の柱のようだ。
近づいて触れると、ひんやりと冷たい。何人たりとも立ち入りを拒絶しているような、そんな無機質な冷たさだ。
「……ロックはどうなったんだろう」
「おそらく、この中に」
長く行動を共にした青年のことを、僕もアヤメたちも覚えていた。彼は苦戦の果てに使命を果たした。最後のマスターである施設長の言葉に従ってジンを討った。
「特殊破壊兵装〝無限無窮の狂瀾碇〟が問題なく作動した結果なのでしょう」
僕の隣に並び立ってアヤメが言った。
ロックがジンにとどめを刺す時に繰り出したもの。特殊破壊兵装〝無限無窮の狂瀾碇〟の固有シーケンス〝凪の水平線〟。それは、破壊を目的としたものではなかった。危険な実験がいくつも行われている〝割れ鏡の瓦塔〟を安全に停止させるための特殊破壊兵装だった。
この巨大な塩の柱は、彼の起こした偉業の証だ。内部は細波すら立たない静寂が延々と広がっている。全ての運動が停止した世界では、実験も無限に中断される。
「どうして、僕らは外に?」
「大結界によるものでしょう。時間の完全停止によってヤック様は死亡したと見做され、時間の逆転が起こった。これにより我々は、〝凪の水平線〟の影響下から弾かれる。――おそらく、時の魔法使いの想定した通りに動いたはずです」
僕の問いにアヤメは明瞭に答えてくれる。
僕らが何度も同じ時間を繰り返し、少しずつ経験を積んで迷宮を攻略したのも、その結果としてループが終わったのも、全ては大結界によるものか。ひいては、これを構築した時の魔法使いによるものなのか。
「この大結界は、アヤメたちにも壊せない?」
「無理です。内部の時間が完全停止している以上、原理的にあらゆる影響から隔離されています。ここは永遠に不可侵の領域となるでしょう」
全てを停止させる絶対の領域。それがロックの最後の仕事だった。
晴れて栄華を極めた大迷宮は一本の柱へと成り果て、不朽不変の墓標となる。遠からずギルドから調査隊が派遣され、今後も監視だけは続けられるはずだ。この白い壁の内側を見通すことは、誰にもできないまま。
「マスター、それは」
呆然と壁の前で立ち尽くしていると、ユリが僕の胸元を指差した。指摘されて初めて、僕は首にかけられたものに気付く。
「……〝紅光の墜星〟」
真紅に輝く小さな宝石。その内部に無限のエネルギーを宿した迷宮遺物。なぜこれが、僕の首に掛かっているのだろう。
「固有シーケンスの実行に必要なエネルギーさえ供給できれば、それはもう必要ない。だから、アンタに託したんでしょ」
ひんやりと冷たいそれを握りしめる。ほのかな輝きは太陽にも負けないくらい綺麗だ。僕らが時間の停止から弾き出される間際に、彼が渡してくれたのだ。
時間は巻き戻ってしまって、僕らの冒険は無かったことになった。それでも、僕が彼と艱難辛苦を共にして、ジンに挑んだ事実はある。僕ら四人が、それを克明に覚えている。
〝紅光の墜星〟は第一一一実験施設の施設長によって持ち出されたものだった。僕たちはこれを探しにここへやってきた。彼は、そのことを覚えていてくれたのだろう。
「〝銀霊の氷獄〟にこれを返しにいかないとね」
この赤い宝石には、世界を滅ぼしかねない力が宿っている。その威力の一端が、目の前にある白い結晶だ。時間そのものを凍結させるなんて、多少のエネルギーでできるはずがない。そして、それだけのことをしてなお、この宝石の煌めきは失われていないのだから。
約束通り、これは返しに行かないと。
そして、もう一つ目的ができた。
「行こう、みんな。時の魔法使いに会わないといけない」
この宝石を返す前に、会いに行かなければならない人がいる。
大結界を構築し人々を守った英雄。アヤメたちの時代を知る謎の存在。施設長の話を考えれば、彼女はきっとアヤメたちと同じ時代の人間だろう。その時代においても驚愕に値する技術力を持っていたようだけど。
時の魔法使いがこの大結界を作った。この結界のおかげで、僕は何度も時間をやり直し、ついにジンを倒すことができた。けれど、ジンもまたこの結界のなかで時間を繰り返していた。それもまた時の魔法使いの予想の範疇だったのだろうか。
「しかし、ヤック様。時の魔法使いの正体も所在地も、我々は知りませんが……」
アヤメの言う通り、時の魔法使いは五十年前にこの地を救ったあと、行方をくらませた。ギルドの執念深い捜索の甲斐もなく、いまだに見つかっていない。
けれど希望がないわけではない。
時の魔法使いがアヤメたちと同じ時代の人物なら、きっと何か探し出す方法があるはずだ。時の魔法使いは僕たちが大結界を訪れて、ジンを止めることを予見していた。だからきっと、何か手がかりを用意している。
そんな確信がある。だからこそ、
「時の魔法使いに、会いに行こう」
会って、ロックの存在を伝えなければ。
そう決意した。
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