第十四話①『勉強会と帰り道』
「お邪魔します~」
土曜日の午後、爽やかな顔でみる香の敷地内へと足を踏み入れたバッド君は何の躊躇いもなく自宅へと入っていく。
みる香の母は驚いた様子で彼氏なのかと問うてくるがみる香は首を大きく振りながら大きな声で「チガウ!」と否定の声を上げた。
そんな様子を楽しそうに笑うバッド君にみる香は自分の部屋まで案内をする。
「あはは、みる香ちゃんの部屋、結構汚いねえ」
みる香の部屋を見るや否やすぐにそのような感想を述べてくるバッド君にみる香は非難の目を向けた。思っていても普通は言わないだろう。
「じゃあ数学から始めようか? みる香ちゃん一番苦手なんでしょ」
「あ、うん。そういえば前にそう言ったね」
ムッとはしていたものの彼のいつもの調子にみる香は流されてしまう。まあいいかと思うのだから慣れというのは恐ろしいものだ。それに今日は揉めるために来たわけではなく、勉強をしに来たのだ。
みる香も気持ちを切り替えるとそのままバッド君との勉強会を開始した。
数時間が経過しみる香の頭はパンパンだった。もうこれ以上勉強で頭を使いたくない。
そう思ってしまう程に、バッド君と長い勉強会をしていると彼もみる香の状態を察知したのか「今日はもう終わりにしとこうか」と切り上げの声を上げてきた。みる香としては願ってもない申し出だ。
「あはは、みる香ちゃん分かりやすいね。まあ君にしては頑張ったと思うよ」
「私も今日の自分はめちゃくちゃ褒められる……多分人生で一番頭使ったかも」
そんなやりとりをして暫し休憩をとる。勉強会の途中に母が持ってきた茶菓子セットを頬張りながらみる香はスマホを操作しているとバッド君がこちらを見ていることに気が付いた。
率直にどうしたのか尋ねると彼は笑いながら「レイン交換しとこうか」と言ってきた。
みる香はその言葉でバッド君の連絡先を知らないことを思い出す。
「テレパシーに頼りすぎて全然考えてなかった」
「スマホより便利だからねえ、でも一応こっちでも連絡できた方がいいと思うよ」
バッド君は一応ねと付け加えながら自身のスマホを取り出しみる香に近づける。あれ、とみる香は思う。距離感が一気に縮まったのは気のせいなどではなかった。
「す、ストップ! 結界はどうしたの!?」
そう言って勢いよく後退りしたみる香は右手を伸ばしながらバッド君を制するようにそう尋ねる。
レインの交換で距離を縮めたのは分かるが、急な展開にみる香はパニックになりかけていた。
バッド君は特に慌てた様子も見せずみる香の顔を見てくると「レインの交換するしもう剥がしちゃったよ」と答えてきた。
「私の部屋にいるときはずっとしてほしいんだけど……!」
「あはは、警戒心強いなあ。それとも俺のことを意識してるの?」
バッド君の表情は先ほどと何ら変わりはない。彼が何を思ってこんな発言をしているのかはみる香には不明である。
「バッド君をそんな風に見た事ないし……煽ってくるの止めてよ!」
みる香はバッド君を軽く睨みながらそう声を張り上げると彼はごめんごめんと両手を上げて降参の合図をした。
「みる香ちゃんてほんと、分かりやすいよね。今のはただのジョークだよ。俺を意識してるなんて思ってないって」
そう言って楽しげに笑い出す彼をみる香は呆れた顔で見つめる。性格が悪すぎる。
「バッド君、もう帰んなよ」
「ん?」
みる香はバッド君の荷物を持ち上げ、廊下に出そうとするが意外にも重いその荷物はみる香に持ち運ぶ事ができなかった。
その場で荷物を下ろすとドスンという重みのある音が床に響く。
「え、何これ重い」
そんなみる香の様子を見ながらバッド君は再び笑い「自分で持つよ」と手を出してきた。
みる香は荷物を彼の近くまで持って行こうと一歩歩くと荷物に足を引っ掛け勢いよく目の前のバッド君目掛けて転んでしまう。
「いたー……ごめん怪我してない?」
そう言いながら無意識に瞑っていた目を開けるとみる香はそのまま静止する。思っていた以上に自身の目の前にバッド君の顔があったからだ。
みる香の体はバッド君の体を押し倒す形となり、みる香の短い髪の毛は彼の耳にかすかに触れている。
「…………」
「わー!!! 最悪!!!」
みる香は暫しの沈黙の後すぐ飛び上がるように立ち上がるとバッド君から距離を取るように後退する。
そんなみる香を見つめながらあははと声をあげるバッド君は余裕そうな表情で声を発した。
「最悪ってひどいなあ。みる香ちゃんの方からきたのに」
そう言いながら楽しそうに笑っている彼をみる香は真っ赤な顔で軽く睨みつける。
「やましい気持ちは持たれたくなかったのに……!」
女の子の噂が絶えないバッド君のことだ。きっと距離が近くなってしまえば誰彼構わず手を出すに違いない。
彼は恋愛感情などなくても簡単に手を出せる、そんな男なのだと決めつけた発言をするとバッド君はその言葉には否定の声を上げていた。
「あはは、大丈夫大丈夫。今のでやましい気持ちなんか一ミリも起きなかったよ。第一みる香ちゃんは対象外だからさ、心配しないでよ」
「え、じゃあ私にそういう気持ちはない? ホントに?」
「ないない。安心していいよ」
その言葉でみる香はようやく胸をほっと撫で下ろした。
バッド君は納得した様子のみる香から目を離すと床に置いてある自身の荷物である鞄を軽々持ち上げ、「じゃあ帰るね」と声を出す。
みる香は玄関まで一緒に向かうことにした。
「今日はありがとう、今度は学校で教えてほしいな」
みる香は先程の一連の出来事を思い出しながらそう言う。もうあんな出来事はごめんである。
正直に要望してくるみる香を面白そうに見つめながらバッド君は爽やかに頷くと「あ、これ登録しといてね」と言って小さなメモ用紙を渡してくる。レインのIDだった。
先程交換できなかったために渡してきたのだろうが、いつの間にこんなものを用意していたのだろうか。
「じゃあお邪魔しました」
バッド君は笑顔でそう言うと軽くみる香に手を振って玄関を後にした。
彼が振り返ることはなく、みる香もすぐに自宅の中へ戻っていく。午後六時の事だった。




