第四話②『バッド君の思惑』
「おはよう森村ちゃん」
「檸檬ちゃ…ん! おはよう!!」
自席へ辿り着くと今まで一度もなかった友達からの挨拶がみる香に向けて放たれる。
みる香は夢のようなこの瞬間に、そして自分が檸檬に対して多少言葉を詰まらせてはいるものの、きちんと挨拶を返せていることに喜びを感じる。
そしてみる香は挨拶が終わるとまるで魔法にかかったかのようにスラスラと檸檬と会話を続ける。
今までのコミュ障が不思議に感じられるくらい声もきちんと出せていた。
「あ、そうだ。昨日の事だけどさ」
話が一段落すると、檸檬は話の話題を変えてくる。みる香は「昨日?」と言いながら頭に疑問符を浮かべた。
「そう。あいつ、半藤だけど、またなんか言われたら隠さないで私に言ってね。エスカレートするとヤバそうだしさ」
その言葉でみる香は後ろめたい気持ちになった。檸檬は当然ながらみる香とバッド君の関係を知らない。
みる香も昨日はバッド君に対して嫌悪感をもっていたが、事情を聞いた今はそんな気持ちも消えていた。そもそもがみる香の友達作りのためだったので、バッド君を恨む理由はないのだ。
しかしそんな事を知るはずもない檸檬はバッド君への不満を募らせている様子だ。檸檬は再び口を開くとこんなことを聞いてきた。
「あいつって前からあんな感じなの? なんか森村ちゃんのこと知ってる風な言い方してたけど」
「え、あー……半藤君とは……」
下手に嘘をつけばせっかく出来た友達を失う事になるかもしれない。しかしバッド君の説明をするのも無理な話だろう。
バッド君を裏切って彼が天使だと暴露するのも自分の今までの惨めな境遇を打ち明けるのも嫌だった。みる香は突然の緊急事態に頭が混乱し始める。
するとみる香のそんな状況を手助けするかのように朝礼を合図する予鈴が教室中に鳴り響いた。
(助かった……)
予鈴の音と共に教室へ担任教師が入ってくる。席を立っていた生徒は慌ただしく自席へ戻っていく中みる香は心の底でホッと胸を撫で下ろしていた。
「あ! いたバッド君!」
昼休みになるとみる香はバッド君の姿を探した。
本当はもっと早い内に彼と会話をしたかったのだが、檸檬とのお喋りが予想以上に楽しかったみる香はバッド君に話しかけるタイミングを見失っていた。
だが昼休みは檸檬が部活動での集まりがあると教室を出ていったので、みる香もこうして行動ができていた。
檸檬との関係は昨日までは予想もできないくらい好調であった。あれ以降、バッド君の話題は出なかったためみる香は安心していたが、またいつ彼の話題が出るかはわからない。
みる香はそうなる前にバッド君と口裏を合わせておこうとこうして彼との接触を図っていた。
「あれ? みる香ちゃんどうしたの」
バッド君は昨日打ち合わせをした屋上で一人食事を摂っていた。今日は大盛りのコンビニ弁当だ。
「昨日の事だけどちょっと相談したいんだ」
みる香はそういうとバッド君の目線に合わせるように彼の隣に腰を下ろした。
そしてバッド君に一連の流れを説明するとなるほどねと口に出してから彼は爽やかな笑みを向けてくる。
「昨日までは考えられなかった悩みだね~良かった良かった」
「それはそうだけど今だって真面目に悩んでるんだよ」
大したことはないとでも言うようにそう笑い飛ばすバッド君を軽く睨むとみる香はことの重大さを伝える。しかしバッド君の様子が変わることはない。
「夕日さんの中で既に俺の印象は悪いわけだしそのままでいいと思うよ」
バッド君はいつものような軽い調子でそう言った。
「えっバッド君は悪くないのに誤解させたままでいいの!?」
「俺は別に他人からの評価ってどうでもいいんだよ。大天使様にさえ認められれば昇格できるしさ」
バッド君は涼しい顔をして楽しそうにそんな言葉を口にする。
そんな話を聞いてみる香は確かに似たような事を口にしていたと今朝のやり取りを思い出す。
バッド君は本当に昇格の事しか頭にないようだった。彼の言動からは嘘をついているようには見えない。
しかしみる香は複雑な気持ちだ。当の本人はそれでいいと言っているが、仮にもバッド君は協力者だ。彼が昇格の為だけに行動しているのはよく分かっているつもりだが、そうであってもやはりみる香にとってバッド君は恩人だった。
そんな恩人が悪く思われているのはみる香にとって決して良い気分ではない。
「言ったでしょ天使と人間の違いだって」
そんな事を考えていると急にバッド君の言葉が聞こえてきた。
みる香はハッとしてバッド君の目を見るとバッド君は笑みを崩さずみる香を見据えた。
「みる香ちゃんには理解できないかもしれないけど、君が今考えていることは俺には必要ないよ。だからさ、せっかく出来た友達と楽しく過ごしちゃってよ。契約者の君が満足すれば俺にくるメリットは大きいんだしさ」
そう言ってバッド君はみる香の頭に大きな手をポンと置くともう一度爽やかな笑みを向けてきた。バッド君にみる香の考えていることは筒抜けのようだった。
みる香は小さくため息を吐くとバッド君に頭を下げる。彼にこう言われては、みる香が言うことはもうなかった。
「ありがとうバッド君。私、これからも頑張るよ」
バッド君はうん頑張ってねとにこやかにそう返してくる。みる香はそのままもう一度口を開いた。
「契約の解除はどうすればいいのかな? なんか儀式とかあるの?」
みる香は率直にそう尋ねるとバッド君はキョトンとした顔で一瞬静止した。
「みる香ちゃんもしかしてもう契約必要ない?」
「え、うん。だって檸檬ちゃんと仲良くなれたし……私には十分満足のいく契約だったよ」
みる香は本心をそのまま伝えるとバッド君は顎に手を当て「ふむ」と言う。そしてもう一度みる香の方を見てきた。
「契約者のみる香ちゃんがそう言うなら解除するのは構わないけどさ、みる香ちゃんはほんとにいいの?」
何やら意味深なその問い掛けにみる香は首を傾げる。バッド君の言葉は何を意味しているのだろうか。
みる香が不思議そうにしているとバッド君は人差し指を立てながらこんな言葉を口にした。
「友達は何人いたっていいんだし、せっかくならもっと多くの友達がいてもいいんじゃないかな?」
バッド君にそう言われみる香は頭の中で瞬時に想像をした。みる香の周りには檸檬がいて、そしてその他にも多くの人間がみる香を囲むように話しかけてくれている。
みる香は自身を取り囲む多くの友人たちと楽しそうに青春を謳歌している。
そこまで想像してみる香は湧き上がる気持ちを隠す事なく目の前にいるバッド君に曝け出した。
「……友達たくさん欲しいです」
「あはは、だよねえ~」
バッド君はまるでみる香がそう答えるのを分かっていたようにそう返すとじゃあ契約は続行ねと言葉を付け足してから屋上を去っていった。
みる香はバッド君がいなくなった後も屋上で暫く座り続ける。
(私……友達もっと作ってもいいんだ)
みる香は今のこの状況がまだ夢のようだった。しかし夢ではなく現実なのだ。ようやく立ち上がったみる香は急いで教室へと戻っていった。
第四話『バッド君の思惑』終
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